8-4.アルズは料理の匂いを強く感じる(伏線)
(今の子達が食べていたのはクレープか。さっきから漂っている美味そうな匂いはこれだな。外国の果物を使ったジャムか? 嗅いだことのない匂いだが、美味しそうだな……)
フレデリカが気にいりそうだと考えたところで、アルズは失笑。アルズはフレデリカにとって家族の仇という、二度と会ってはならない体に成り果ててしまった。
意識からフレデリカを追いだすために、異なる話題を八咫烏に振る。
(なあ、やっぱり今の子達も先祖は人間だったのか)
『そうだ。あれは精霊を捕食した者の末裔だ。精霊が人の肉体に溶けこみ変異している。もはや精霊の意識や自我は残っておるまい』
(豚鬼や小鬼も元は人間なのか?)
『いや、あれらの種は元から居た。そういえば、我が眠りから醒めた後、見かけないな。精霊武具使い達がここへ来るまでの旅では魔物の気配すら感じなかった』
(シエドアルマの事情は知らないが、フラダ王国なら歴代の王がモンスターを討伐したからな。騎士が街道を巡回しているし、田舎の山奥にでも行かない限りモンスターは見かけないはずだ)
『そうか。精霊武具を失った時代の方が平穏とは、皮肉なものだ』
(なあ、八咫は精霊武具を破壊して精霊を解放したいんだよな? まさか、エルフに危害を加えて体内の精霊を引きずり出すとか言わないよな?)
『あれは精霊が完全に血肉と融合し、変容している。器から解放することは不可能だ。肉体を放れることができた貴様が例外だ。見ていろ』
左腰に差した鞘から烏羽色の烏が現れると、止める間もなく飛びたった。
「おい!」
アルズは慌てて烏の進行方向へ振り返る。
八咫烏は人混みを器用に避けて飛行すると、先程のエルフへと真っ直ぐ突き進む。そして激突し――アルズにはそう見えた――そのまま胴体をすり抜けた。何事もなかったかのように八咫烏は円を描いてアルズの元に戻り、鞘に消える。
エルフ達は振り返ったが、八咫烏の存在に驚いたのではなく、突然声をあげたアルズを怪訝に思ったようだ。精霊の存在に気付いていれば、もっと大きな反応を表すだろう。
アルズは軽く頭を下げてから顔を背ける。
(いきなり何をするのかと思ったぞ)
『体に魔力を宿していても、我の存在を感知できないのだ。あれは混ざり者ではなく、既にエルフという新しい種族なのだろう。今更、器から解放することは不可能だ』
(絵の具みたいなものか。一度調合した色は、もう元の色に戻らない。……ああ、そうか、精霊武具は皮の袋に詰めた絵の具か。八咫は革袋を破って絵の具を取りだしたいんだな)
『分からない例えだ』
(分かりやすいだろ? 革袋も精霊武具も中身を取りだせる。絵画は顔料と油に戻すことはできない。同じように、エルフは人間と精霊が混ざっているから元に戻せないということだろう)
『認識はあっている』
少し進むとドワーフの男が四人、木製のジョッキを片手に顔を赤くして陽気に歌っていた。ドワーフ達を見ているとアルズは唾液があふれ、喉がごくりと鳴ってしまう。
(麦酒か。フラダは弓の国を自称しているが、他国からは麦の国と呼ばれるほど麦が採れる。だから、麦酒もパンも美味い。美味いパン屋の隣に酒屋ありと言ってな)
『それはどういう意味だ』
(麦酒は麦を発酵させて作るだろ? パン屋は余った酵母を貰って小麦の生地に混ぜるんだ。必然的に、酒屋の近くにパン屋ができるし、酒屋の近くの主婦はパンを焼くのが上手い)
『なるほどな。画家のくせに変なことを知っている』
(それにしてもいい匂いだ。何か混ぜているのか? 果実のように瑞々しくいい匂いだ。いつもより美味しそうに思うのは、この体の好みか?)
屋台の店主が鶏の丸焼きを渡すと、ドワーフ達はナイフで器用に切り分け、手で肉を掴み勢いよく胃袋に収めていく。
(肉汁や油で口や手がベトベトだ。もしかしてジャムかハーブを腹の中に詰めて焼いたのか? さっきのエルフが食べていたクレープと似た匂いがする。困ったことにドワーフの手すら美味そうに見えてきたぞ……)
思わずアルズの腹が鳴る。朝は酸味のあるライ麦パンしか口にしていないので、殊更香ばしい料理に惹かれるのかもしれない。
(買っていくか……。いや、しかし一人で鶏一羽は無理だ)
長期の旅では手荷物を減らし、食事や寝具を旅先で提供してもらうこともある。そういった場合は事前に手紙で立ち寄る旨を伝えたり紹介状を持参したりするのだが、急に出立が決まり、さらに別人の姿になってしまったアルズにはどちらも叶わない。




