8-3.アルズは収穫祭の街を歩く
家を出たアルズは、外城門を目指して南に向かって歩く。
路地は閑散とし、冷たい風がつむじになって落ち葉を拾い上げて宙に放る。
(人の声がしない。収穫祭が続いているから大通りに出掛けているんだろうな。城での一件が伝わって家に閉じこもっているのなら、逆に人の気配がするはずだ)
普段ならアルズの家に近い区画の路地裏では、自宅兼用の工房や商店で働く職人や徒弟の声が響き、訪れる客の足音が加わる。
(……ここを抜ければ大通りだ。美味しそうな匂いが漂ってきている)
左右に屋台が並び馬車がすれ違う幅もなく狭まった大通りは、人で溢れかえっていた。
大通りはヴァニカラードを何度も湾曲しながら南北に縦断している。戦争時に一気呵成に攻め込まれないよう、意図的に長い直線を廃している。北端には城があり、南端は外城壁門に続く。
(収穫祭は中止にならないんだな。民衆の混乱を抑えるために、昨日のことは伏せられているのかもしれない)
『不自然にならない程度に周囲を警戒しろ。ルイドは城で目撃者を殺していたが、生き残りが貴様を捜索している可能性は否定できない』
(八咫は敵が近づけば分かるんじゃないのか?)
『手を広げれば誰かとぶつかるような場所で、敵意を持って接近する者など判別できるはずもない』
(そうか)
目の前を子供が三人、人混みを縫って駆けていったので、アルズは歩調を乱された。
(祭りの最終日だからな。これでも初日よりは人が減ったんだぞ? 俺もシヴァやフリッカと三人でこうして収穫祭を見て回った……。城門前も人が多いはずだ。怪しまれずに外に行ける)
『正面から出るのか。精霊武具使い達は壁を越えてきたぞ』
(外城壁門を越えれば市街があって、その外側に市壁がある。目立つわけにはいかない。こうやって祭りの出店を楽しみながら歩いていれば、兵士と遭遇してもそうそう怪しまれない。俺自身は十七年もこの街で暮らしているんだ。普通にしていれば景色の一部に溶けこむさ)
見渡せばどの屋台の周囲にも人が列を成して笑みをこぼしている。慣れ親しんだ光景だ。
十歩離れた屋台で鍋を吊してスープを煮ている。店主が鍋をかき混ぜると、アルズにはまるで野菜やハーブを鼻先に突きつけられたかのようにすら感じられた。
(遠くの匂いが嗅ぎとれるようになったし、違いも分かる。あれは野菜のスープ。隣は豆を煮ている。その隣は獣肉だな。臭みを消しきれていない。ああ、鼻が利く弊害があるな。あの肉は獣臭がきつくて食えなさそうだ)
『肉体が変わった直後で五感が一時的に過敏になっているのだろう。馴染めば、不要な情報は意識外に追いだされる』
(そうか……)
獣肉を売る店から顔を背け、通りの反対側にある店を眺める。
(あそこは雑貨を扱っているけど美味しそうな匂いがする。珍しい果物でもあるのか? ヴァニカラードは交通の要衝だから、異国から様々な物が集まるんだ。あちこちから嗅いだことのない、いい匂いがする。なんだろうな、この美味そうな匂い。ランソワから珍しい果物でも輸入したのか?)
嗅覚だけでなく聴覚も強化されているため、アルズには人々の喧騒も大きく聞こえる。
二十歩先で値引きさせようとする客の声はもちろん、集中すれば三十歩先の屋台で豚の丸焼きから肉を削ぎ落とすナイフの音も聞き分けられる。
(音と匂いの刺激が強いな。腹が減ってしょうがない)
『……早めに都市を離れろ』
(ああ……)
アルズは鼻をひくつかせる。その気になれば屋台に並ぶ果物の中から、外見では分からないような、中身が傷んでいる物をより分けることも可能かもしれない。
(城では血の匂いが酷かったし、夜中は静まり返っていたから気付かなかったが、ルイドの体はこんなにも音や匂いを認識できるのか……)
『精霊武具使いならば誰でも五感は強化されるが、この体は特別だ。部隊の長を任されるだけあって、他の者達とは段違いの性能を持っている』
正面からエルフの少女が二人歩いてきたから、アルズは邪魔にならないように進路を譲る。
エルフは耳の一部、耳輪と呼ばれる箇所の上端が尖っている。体格は人間とさほど変わらないが色白だ。歩いてきた二人の少女は耳の大きさからエルフの血が薄いことが分かる。血が濃いエルフの耳は、帆のように張りだす。
二人が手にしたクレープはジャムか具材が特別なのか、すれ違う時に甘い匂いがアルズの鼻をくすぐり、口腔内に唾液があふれた。




