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8-1.精霊はアルズに気を遣う

 二階にあがり物置部屋を物色する。


(俺が着ている皇国の服は着替えるか? だが、ここに置いていけば、服が見つかって問題の火種になる可能性があるのか。……いや、俺は既に死人だ。仮にこの服が原因で敵国の間諜だと疑われてもなんの問題もない。目立たない服に着替えていくか)


 ふと、壁に目を向けると、幼い頃にアルズが描いたシヴァとフレデリカの絵が目に入る。木炭で羊皮に描いたものだ。今の力量からすれば稚拙で見るのも恥ずかしいが、師匠である父に「よく見て描いたな」と初めて褒められた。フレデリカが気にいって壁に貼り、そのままだ。


 フレデリカが家を出る際に持っていこうとしたから、アルズは古い習作ではなく別に新しく似顔絵を描いて渡した。


「う……」


 自然と目元が熱く濡れ、アルズは全身から力が抜けてへたりこみ、涙を流す。


 涙が止まるまでの数分間を八咫烏は無言で待った。


「子供の頃に描いた絵が下手すぎて、悲しくなっただけだ……」


 強がりのためにアルズは見え透いた嘘を口にした。


『我には絵の美醜は判断できぬ』


「そうか……」


 アルズは狭い室内を見渡す。物置部屋は元々がフレデリカの部屋だったので思い出の品は多い。


 棚に手を伸ばしかけて、やめる。


(ここには思い出が多すぎる……)


『火を放ち家ごと燃やしたらどうだ』


「よくそんなことを言えるな……。火をつけたら周囲の迷惑になるだろ。街の中は何処も建物が密集しているから、あっという間に火が広がる。壁は石でも床や屋根は木だから燃えるんだ」


『過去と決別する時だ。執着を焼き捨てろ』


「だからといって他人に迷惑をかけるわけにはいかない。安心しろ。俺がフリッカを護ることやシヴァの復讐にだけ気をとられて、八咫との契約を果たさないか心配しているんだろ?」


『……』


「約束は守る。俺はお前以外の精霊武具を破壊するよ。家族の仇討ちは残された者の義務だ。フレデリカを護るためにも、精霊武具使いは倒さなければならない。俺達の目的は一致するはずだ。……そうだ。敵との遭遇は避けて通れないんだから、ルイドの服は使い道があるかもしれないな」


 凱皇騎士隊の服はいずれ役に立つだろうと考え、アルズは着替えないことにした。


 服や髪の色を隠すためにフードつきの外套を羽織る。冬が間近であれば似た格好の者は多いだろうから目立ちはしない。


 荷物は腰に吊した小烏丸の他に、革製の袋が三つ。それぞれ、葡萄酒、硬貨、パスタを入れた。パスタは小麦を少量の水で練り、粒状にして乾燥させたものだ。煮る手間はかかるが、腐らないし腹持ちがよいため旅先で食料を得られるか不明の時に重宝する。


 準備が順調に進んだのでアルズは居室に戻り、ミッケルから貰ったライ麦パンを食べることにした。


「ほらな?」


『……?』


 アルズはパンに刻印された弓の紋様を八咫烏に見せた。


「フラダの象徴である弓を刻印するとパンは腐りにくくなるし、ネズミが寄らない」


『……』


 八咫烏はそれが未開文明の発想だと分かっていても敢えて口にしなかった。アルズは前日のことを意識から追いだしたくて他愛のない話をしている――。そう判断できる程度には、八咫烏は人間を知っていた。


「切ったパンは暖炉で焼くと美味しくなるんだが、薪が勿体なくてな」


『……貴様は父親が宮廷画家と言ったな』


「ああ」


 アルズはパンをナイフで切り分けて食べながら八咫烏の相手をする。


『貴様は国王の依頼で王女の肖像画を描いていた』


「そうだ」


『それにしては随分と貧しい生活をしているように思える。絵は高く売れないのか?』


 精霊にとっては大して興味のない話題だが、親しい者を亡くした直後の人間には、余所事に意識を向けさせた方が良いと八咫烏は三千年前に学んでいた。


「絵の大きさにもよるが、一枚一千万パトルは貰える」


 アルズははっとして、パンを一切れ八咫烏の口先へと向けた。八咫烏は見向きもせずに、食事が不要であることを示した。


「普通に働けば年に二百万パトルくらいだから、絵は破格の金額で買ってもらえる。絵の具の材料費は高いが、大抵パトロンに請求できるし、依頼料に最初から含まれていることが多い」


『それが、暖炉の薪すら節約するのか』


「粉挽き事業に失敗してな……」


『そうか。画家が慣れぬ分野に手を出し、溝壑こうがくつか』


「八咫は聞いたこともないような古い言葉を使うくせに、フラダのことわざは知らないんだな。『粉挽き事業に失敗する』というのは、ありえないことや、よく分からないことが起きたという意味だ。フラダは麦が大量に採れるし国が事業を支援している。だから、粉挽き事業で借金を抱えることなんて普通はありえないんだ」


『つまり、貴様の父親は大金を得ていたのに、使途不明のまま失ったということか』


「そうだ。賭博にはまったわけでもないし、外に愛人を作ったわけでもない。朝から晩まで絵を描いている人だったよ」


 実のところ、アルズの父は教会に多額の寄付をしていた。絵画、特に宗教画は教会堂を飾り立てるために需要が大きくなったものなので、画家と教会の繋がりは大きい。そういった縁もあり、亡父は教会が管理する孤児院の運営資金に充ててもらうために多額の寄付をした。アルズもまた父に倣っている。だが、慈善活動は人に教えるようなことでもないので、アルズは粉挽き事業に失敗したことにして誤魔化したのだ。


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