7-1.アルズは肉体が変わった事実を受け止める
(やめろ……やめてくれフリッカ。俺をそんな目で見ないでくれ……)
城の惨事で精神を疲弊したアルズは、殆ど無意識の内に自宅へ帰り、二階にある寝室のベッドに倒れ伏した。ベッドは長方形の木枠に藁を敷き詰めてシーツを被せただけの、けして寝心地の良い物ではない。しかし、他の何処よりも心は安らぐ。そこは幼少期にシヴァやフレデリカと共に過ごした、思い出の残る部屋だから。
(シヴァ……すまない。ルイドに立ち向かおうとしたお前を止めるべきだった……。俺はどうしてお前を一人で行かせた……。シヴァ……)
フラダ王国の首都ヴァニカラードは三百年にわたり拡張工事を繰り返してきたため、街は三層構造になっており城を中心にして三重の壁に包まれている。最も内側の内城壁内には城や厩舎や衛兵の屯所など戦争用の城塞都市として造られた最小限の建物と、王族の居館がある。その外側にアルズの住む区画があり、それを外城壁が包んでいる。
外城壁内にはアッシュ家のように古くから住む、比較的裕福な者が多い。外城壁の外側には市街があり、これが最も建造物が多く、河川沿いの船着き場や、粉挽き用の風車、聖堂なども存在する。
アルズの帰宅時に人通りはあったが、誰も城内での事件を知らないから、アルズの外見に騒ぐ者はなかった。
ヴァニカラードは交通の要衝であり、また収穫祭を催している最中なので、常より異国人は多い。幸運にもルイドの外見や服装が殊更目立つことはなかった。もしかしたらシエドアルマの尖兵達は、収穫祭の期間に紛れて襲撃してきたのかもしれない。
アルズの目が醒めたのは夜中だ。幼い頃にシヴァとフレデリカと三人で外城壁を何処まで登れるか競いあい、落下して頭にでかい瘤を作って泣いた時の夢を見た。
ベッドから身を起こしながら、アルズは目元を拭う。
「寝てたのか……」
『そうだ。貴様は我の呼びかけにも目を醒まさずに眠り続けた。まさか城から目と鼻の先に留まるとは。豪胆なのか、状況を分かっていないのか。理解に苦しむ』
老人とも童子ともつかない声が左腰からしたため、アルズの意識が急速に覚醒する。
両手を見れば顔料の染みついた画家の手ではなく、分厚く固い戦士の手だ。
それでも認めたくなくて、ベッドを降りると飛びつくようにして鏡を覗きこむ。鏡は亡父が国王から爵位を授かった際に下賜された物だ。高価なため庶民が気軽に買える物ではない。
鏡にはルイド・ゴーエンが情けない顔で映っている。アルズが見たルイドは、睨まれれば足が竦む鋭い目つきをしていた。炎のように猛々しい瞳は、記憶の中にあってなおアルズの肝を冷えさせる。しかし鏡の中に居る男は驍猛を失い、眉は力なく下がり目は充血し、親に叱られた子供のように悄気ている。
アルズはよろめき、尻から落ちるようにしてベッドに座った。
「世界が墨色に染まっている……。ああ。そうか、これは夢か」
『既に陽は沈んだ。貴様は我の影響で夜目が利くようになっている。世界が墨色に見えるのはそのためだ』
現実を否定したくてアルズはかぶりを振り、両手で膝を打つ。鈍い刺激が、異国の軍装に身を包んだ体こそが自分自身に相違ないと告げる。
「夢じゃないんだな……」
『器が変わっただけだ。何を動揺する必要がある』
武器から声が聞こえることに慣れないアルズは、どうにも返事をしづらい。
「……突然、見知らぬ人間の体になったんだ。落ちつく方が無理があるだろ」
『分からない理屈だ。やはり貴様は、器の魂と融合していたようだな』
「意味不明なことを言わないでくれ。……なあ」
烏、と呼びかけようとして言いよどむ。
「俺の名前はアルズ・アッシュ。画家だ。宮廷画家だった父の縁で、王族や貴族から依頼を受けて肖像画を描いている。お前の名前は八咫烏と言うんだよな。聞き慣れない音だ」
『既に滅びた国の言葉だ。耳に慣れぬのも当然だろう』
「八咫烏……。呼びにくいな?」
『ならば八咫と呼べ』
「分かった。そうさせてもらう」
アルズの腰で、鞘に重なるようにして半透明の烏が現れる。
八咫烏は羽ばたく動作はないものの、翼を広げてテーブルの上へ移動した。その軌跡を視線で追ってから、アルズはぎこちなく笑む。
「……思っていたよりも意思の疎通がとれる相手で助かる。目を見て話せないのはどうにも調子が狂うから、これからもそうやって姿を現してくれ」
『よかろう。気が向いたら、意に応えよう』
アルズは喉の渇きを覚えた一階に降り水を飲もうとするが、汲み置き用の瓶も葡萄酒の瓶も空だった。この数日、寝食を忘れて絵に没頭していたため給水していなかった。仕方なく桶を手にして家を出る。




