6-4.アルズは絶望に打ちひしがれながら城を去る
出入り口まで僅か数十歩の距離。しかしアルズは、まるで亡者達の怨嗟が見えない手となり全身に纏わり付いてくるかの如く全身を重く感じた。
進路上で短剣を構えるフレデリカを視野に収めつつも意識から追いだす。死体を踏まずに進むためには直進するしかない。
アルズは己の全身を引き裂いて体の中心から泣き叫びたかった。
しかし、拳と膝に力を入れ、感情を抑えてフレデリカの傍らを通り過ぎる。
(聞こえない。シヴァの鼓動が聞こえない……! この体は、震えるフリッカが鳴らす奥歯の音すら聞き取るのに……。シヴァ……!)
ひっ、と息を吸い込みフレデリカが膝から崩れ落ちた。気丈に振る舞っていても、殺戮の化身を間近に見れば恐怖は抑えきれないのだろう。
「……! ッ! 逃げるのか……ッ! 許さない! 私の愛する人を殺したお前を絶対に許さない!」
フレデリカの剥きだしになった感情が、アルズの背に刺さる。
アルズは振り返らない。振り返れない。
「シエドアルマのルイド! その名前、絶対に忘れない!」
(やめてくれ、フリッカ……。お前が殺意を向けているのは俺なんだ……)
アルズの瞳から涙が滔滔と流れる。先程まで冷酷な魂を宿らせていた肉体のいったい何処に蓄えられていたのか、滂沱の涙は止まらない。
濡れた視界の中を彷徨い、広間の外へと向かい一歩、進む。
二歩、三歩。背後から追いすがる気配はない。
未練が杭となり、アルズの足をその場に縫い留めようとする。
しかし、右腕に浮かぶ烏がアルズの意思を遮る。
『立ち止まるな。この場は去れ。貴様の存在はあの人間を不幸にする』
「うっ……」
アルズはフレデリカの名前を叫びたい。自分が生きていることを伝えたかった。
しかし、その結果が何を導くのか想像できない。
『今はこの場を去れ。留まれば後悔するぞ』
「ぐっ……」
呻き、進む。フレデリカが向けてきた殺意と精霊の言葉がアルズの思考を千々にかき乱す。到底、冷静な判断など無理だった。
(俺はフリッカを救いたかっただけだ! それなのに、最後に見る顔が俺への殺意に染まっているなんて、こんな酷い話があってたまるか……!)
広間を出るとフレデリカの目がなくなったため、アルズはその場にへたりこみそうになる。しかし、兵士の死体が倒れており、思いとどまる。立ち止まることは許されない。
広間の中から、抑えきれなくなったのであろう泣き声が聞こえてきた。
アルズは身を小さくし足早に廊下を進む。脚部甲冑の底が赤い足跡を通路に点々と残す。
「くそ、どうして、こんなことに……!」
『悩むよりも先に、精霊武具の装着状態を解除して魔力を温存しろ。両手足の甲冑が消えた己自身を想像しろ』
「シヴァの命を奪った、こんな忌ま忌ましい物!」
アルズが念じると両手足の甲冑は光の粒子となり消え、右手の刀だけが残る。
『小烏丸を左腰に吊り下げてある鞘に入れておけ』
「小烏丸?」
『右手の刀のことだ』
「分かった……」
精霊武具を解除したため、アルズの五感が通常時に戻った。一瞬だけ世界が色あせて狭くなったような錯覚がした後、鼻にこびり付いていた異臭が消える。嗅覚が衰えたことにより城内の血の匂いを感じられなくなったのだ。同時に、微かに聞こえていたフレデリカの泣き声も耳に届かなくなる。
「俺は……。俺はどうすればいい」
『この場を離れろ。貴様が使っている体は、王族を殺したものだ。長居すれば面倒ごとを招く』
「あ、ああ。そうだ。ルイドは国王様達を殺害した……。城に長居はできない」
アルズは静まり返った城内を足早に進む。時折、死体が転がっている。敵の存在に気付かぬ内に遠距離から斬撃や銃撃で殺されているため、兵士の剣は鞘に収まったままだ。
暫く進むと遠くから女の悲鳴が聞こえた。奥で作業をしていた侍女が、今になって城内の惨状に気付いたのだ。精霊武具使い達があまりにも迅速に行動したため、まだ何も知らない者が多い。
二階から一階に下りる階段の途中で見慣れた侍女の亡骸を見つけた。シヴァの部屋を訪れた際に、紅茶を淹れてくれる人だ。
シヴァは無糖で紅茶を飲むが、甘い物を好むアルズのために侍女はいつも砂糖を用意した。砂糖の入った銀の器から蓋を外す所作が美しい人だった。
額に小さく穴が空き、後頭部が大きく抉れている。見開かれた眼球は黄色く濁っていた。明らかに即死だ。
瞼を閉じさせようとし、アルズは既に冷たく弾力を失った感触に驚き、手を引きそうになる。だが、思いとどまり侍女の瞼を降ろした。しかし、硬直が始まっていた瞼は、手を放すと勝手に開きだす。半開きになった瞳は、無言で恨みを訴えているように見えた。
アルズはその場に蹲り、胃の奥から迫りだしてきたものを吐いた。




