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6-3.アルズはフレデリカに声をかけることができない

 微かな空気の揺れや踏みだした音から、アルズは振り返りもせずにフレデリカの奇襲を完全に見切った。横に一歩体をずらして避ける。


「やめろ! フリッ――」


 名を呼ぼうとした瞬間、八咫烏がアルズの眼前で翼を広げる。


『口を閉ざせ!』


「……ッ!」


『冷静さを欠いているようだから忠告してやる。言葉を発するな』


「何故だ!」


『いちいち言葉にするな。思考するだけで、貴様の意思は我に伝わる。貴様のために重ねて忠告する。その人間に一切の情報を与えるな』


 フレデリカはアルズへの攻撃を中断し、傍らを走り抜けてシヴァの方へと階段を駆け下りる。


 一時的な余裕を得たアルズは、腕にとまった烏に心の中で話しかける。


(何故名乗ったらいけないんだ。事情を説明すれば片付く)


『貴様よりも遥かに長い時を生きる我の助言だ。素直に従えば、いずれ説明してやる。先ずはこの場を去れ』


(それで納得できるとでも?)


『貴様もあの人間も冷静さを欠いている。会話を望むなら時を改めろ』


(くっ……。確かに今のフリッカが俺の言葉に耳を傾けるとは……)


 肉体が変わり混乱の只中にあるアルズの目から見ても、フレデリカが冷静な判断力を失っているのは明白だった。すぐ近くに異能の武器を纏った敵が居るのにも拘わらず、背を向けてシヴァに駆け寄っている。


(シヴァを助けたい。フレデリカにしたのと、同じことをもう一回やってくれ!)


『貴様が執着する人間は、死の運命から解放された。我は貴様との契約を既に果たしている』


(頼む。シヴァもフリッカと同じくらい大切な人なんだ)


『……』


(お願いだ! シヴァを助けてくれ! 血は繋がっていない。身分も違う。でも、一緒に育った兄弟なんだ)


『不可能だ』


(頼む! 無理を承知で言っている!)


『あの人間の命は尽きている』


「……え?」


 絶句する視線の先で、フレデリカがシヴァの顔を覗きこみ声を大きくする。


「お兄ちゃん! しっかりして!」


 フレデリカはシヴァの傷口を押さえて止血を試みる。


(冗談だろ……。早く、シヴァを治してくれ)


『五感が強化された貴様にも分かっているだろう。あれは既に魂の器だった物の残骸に過ぎない』


(嘘、だ……。まだ微かに動いている。さっき血を吐いた)


『死亡直後の生物的反応だ。外傷がある場合、死後も出血を続ける』


(でまかせを言うな……)


『繰り返そう。五感が強化された貴様には、あの人間が既に生きていないことが分かるはずだ』


(……嘘だ)


 精霊の言葉を否定できずに、アルズの瞳から涙がこぼれた。二人の元に駆け寄りたいという衝動が背筋を走る。フレデリカを手伝いシヴァを止血して、すぐに外科医に診せたい。


 無意識の内に足が一歩、前に出た。


 しかし、二歩目を踏みだせない。フレデリカが立ち上がり、短剣を構えたからだ。


「お兄ちゃん、待ってて。すぐにあいつを追い払って人を呼んでくるから!」


 フレデリカの視線が段上の、アルズの足下に倒れている亡骸を見る。


「アルズ……」


 一瞬だけフレデリカの眦に涙が浮かぶ。直後に、目元を引き締め涙を払う。


 短剣の切っ先が弱々しく揺れている。しかし、鬼気迫る表情でアルズを見据える。


(フリッカ、なんで俺に刃を向けるんだ……)


 アルズは笑えるくらい膝が震えだした。俯くと、自分のものになったばかりの肉体が視界に入る。


(この体はフリッカの家族を皆殺しにした……! でも、俺は、ここに居る! ここに居るんだ!)


 アルズは困惑の渦中にあったが、それでも何か言葉を伝えようと口を開く。


 だが、唇や頬が強ばって、もう一言も声を出せそうにない。


「あっ……。あ……」


 まるで子供の頃に戻ってしまい、泣きじゃくって上手く喋れなくなってしまったかのようだ。


『貴様は冷静な判断力を失っている。何度でも言おう。この場は去れ』


(くっ……)


 アルズは歯を食いしばり、拳を強く握りしめる。感情のやり場をなくしたアルズは、自らの握力で骨が砕けてしまいそうな程、力を込める。


 そして、死体の血でできた池へ足を踏み入れるべく、段を下りる。

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