6-2.アルズは死に、ルイドの肉体に転生する
「なんだ?! どうなっている。俺は何もしていないぞ?!」
困惑するルイドの眼前で、フレデリカの全身が淡く輝き始める。
魔力光だ。朝を迎えた湖畔のように穏やかな輝きは次第に強くなり、暖かな色に染まっていく。
「死にかけの女に俺の魔力が奪われたのか?!」
ルイドの困惑を余所に、息も切れ切れで喉から濁った音を漏らしていたフレデリカの呼吸が正常を取り戻していく。
精霊武具は固有の異能を有するが、八咫烏のそれは治癒能力ではない。ルイドは、フレデリカが不可解な現象を起こしたのではないかと疑い、刃を向ける。
魔力を込める。しかし、騎士達を切り裂いた不可視の斬撃は射出されない。
右腕の甲冑が命を帯びたかのように振動する。同時にルイドの心臓も乱雑に高鳴る。
「がっ!」
全身の血管が一斉に破裂したかのような痛みが走り、ルイドは顔をしかめて頭を抱える。
右腕にとまるようにして、三本脚の烏が出現した。
それは数千年前、東の大国によって刀に封印された精霊八咫烏。シエドアルマ皇国が遺跡から発掘した精霊武具の、力の源。
その姿を視認できる者は、誰も居ない。
意識朦朧とするフレデリカも精霊武具の装着者であるルイドも、目で見ることはできない。
既に脈動が停止したアルズの、濁り始めた瞳に薄らと小さな影が映るのみ。
『その器はもう駄目だ。命が尽きている。ならば、放れることも容易いだろう』
アルズの体に光る人影が重なる。生まれつきアルズと融合していた精霊が、肉体という器から出ていこうとしているのだ。アルズ・アッシュは数千年前に精霊を捕食した人類の末裔であった。
肉体が生命活動を終了した今、八咫烏の手引きにより、アルズの魂が肉体から離れていく。
『こちらの器を使え』
(おい、何が起きている! フリッカ! フリッカ! 生きていたら返事をしてくれ!)
『我は契約を果たした。そこに倒れている人間は、死んではいない』
(本当か! フリッカは無事なんだな!)
まるで眠っているかのように、フレデリカの胸が吐息にあわせて上下する。
ルイドはフレデリカの様子を見て、安堵の息を漏らす。
「良かった。……ん?」
ルイドは、いや、ルイドの肉体に魂を移したアルズは、自身の口から発した声が普段と違うことに驚愕する。
「えっ?」
アルズは両手を見る。左腕を除く四肢ではドラゴンを思わせる分厚く無骨な甲冑が烏羽色の鈍い輝きを揺蕩えている。右手には血にまみれた見慣れぬ形状の剣。身体を見下ろせば、ルイドと同じダークブルーの軍服。
振り返れば、鏡で見慣れた男が澱んだ目を見開いたまま事切れている。
「これは、俺だ……。どう見ても死んでいる……。なら、俺は、誰だ?」
『何を呆けている。貴様が使っていた肉体の生命は尽きた。これからは、近くにあったこの強力な肉体を使用する』
右手から蜜をなめた幼児とも歯の欠けた老人とも聞こえる不思議な声がした。見れば、右の前腕甲に乗るようにして漆黒の烏が居る。アルズが暗闇で見た姿そのままだ。
「お前は……ッ! この体を使うとはどういうことだ?!」
『そこで倒れている人間には魔力を分け与えた。自然治癒能力の強化により、腹部の損傷は癒えた。さあ次は貴様が契約を果たす番だ。全ての精霊武具を破壊し精霊を解放せよ。先程までここに居た連中はまだ遠くへ行っていない。すぐに追いかけろ』
己の身に起きた事態に動転するアルズは、精霊の言葉を殆ど聞き流す。少しずつ状況を把握し、ますます困惑を大きくしていく。
「白昼夢の類いじゃないのか? 俺は、ルイドとかいう皇国の兵士になったのか?!」
アルズの叫び声で意識を取り戻したのか、視界の片隅でフレデリカが身じろぐ。
「フリッ――」
名を呼ぼうとするが、アルズは声が詰まる。フレデリカの顔は涙で流しきれない程の血に染まり、瞳は復讐の炎で燃えさかっていた。
ゆっくりと立ち上がるフレデリカは何処かに隠し持っていたらしき短剣を手にしている。
「よくもアルズを! 絶対に許さない!」
「うっ」
アルズは初めて触れるフレデリカの激情に思わずたじろぐ。過去に喧嘩をした時にも見たことのない表情だ。フレデリカは眉を吊り上げ、浅く短い息を何度も繰り返す。
「待て。……?」
事情を説明しようとした矢先、背後から微かな物音が聞こえた。アルズはルイドの肉体になり、厳密には精霊武具を装着していることにより五感が大幅に強化されている。
広間の中央から確かに物音がする。鋭敏な聴覚と増幅された空間認識能力により、音の発生源が精確に分かった。アルズの記憶が正しければ、その位置にはシヴァが倒れているはずだ。
アルズは一縷の望みを抱き背後に顔を向け、シヴァが小さく血を吐くのを見た。
「……まだ生きている!」
「っ!」
不幸な誤解があった。アルズはシヴァの生存を確かめようとしたが、その言動は、フレデリカにはトドメを刺そうと目論むものとして映った。
敵が背を向けたため、好機とみたフレデリカが短剣を構えて突進する。




