11 舞踏会
幸せな時間の流れは速く。
二十九日目。
起きてすぐ、私は毎日の日課となった、身体の確認をした。
目、見える。
耳、少しは聞こえる。
手、鈍いが動く。
足、ほとんど力が入らない。
ぺち、ぺちと手で足を叩いても音が聞こえるだけで、何も感じなかった。
「はぁ」
二十九日目になって、息ができて、言葉が話せるだけましだろうか。
それまでじわじわと悪くなっていたタフトル病の症状は、昨日の昼過ぎから、ぐん、と悪くなり、仕事は休みをもらってしまった。
「リアムさんにも心配かけてるだろうなぁ」
今日は舞踏会当日。
リアムが私を迎えに来てくれて、ドレスを買った店まで行き、着付けてくれることになっている。
せめて、少しの身支度と、身体に何か食べ物を入れなければ。
私は布団から手の力で這い出て、洗面所の方へ向かう。テーブルを伝い、何とか立ち上がって見れば、生まれたての小鹿のように、足がプルプルと震えていた。
これは駄目だ。舞踏会で踊るどころか、立っていることも難しいかもしれない。
何やらいろいろと崩れる音を遠くに聞きながら、私は何とか身支度をし、味の無いパンだけ胃に押し込んだ。
「ミア? 俺だ。一応迎えに来たが⋯⋯」
リアムだ。扉の向こうにいるらしい。
いつの間にか、時間は約束の昼過ぎだ。
「リアムさん、扉、今開けっ放しなんで入ってきてもらって良いですか?」
「無用心だな⋯⋯」
眉をしかめて入ってきたリアムは、家の中の惨状にぴたりと動きを止める。
「ミア?」
「ごめんなさい、リアムさん。昨日からちょっと調子が悪くて」
「大丈夫か?」
床の上で壁に寄りかかる私に気づいたリアムは、すぐに駆け寄ってくれた。
「どこが悪い?」
「えと、身体が怠くて」
リアムの手が額と首に触れる。
「⋯⋯熱は無いな」
「大丈夫です。歩くのはふらついて上手くいかないんですけど」
「歩けないくらい、俺がずっと抱えていれば良い。だが⋯⋯」
リアムの瞳は私を舞踏会に連れて行っても良いのか、心配で揺れていた。
「無理しなくても良い。舞踏会に出ないくらい⋯⋯」
「いえ、大丈夫ですよ! 踊るのは難しそうなのでリアムさんがそれでも良ければ、ですが⋯⋯」
親にパートナーを紹介するのは、期間限定の恋人のリアムの条件でもある。パートナーがいきなりいないとなれば、リアムも困るだろう。
しかし、パートナーと踊らないことは、舞踏会の暗黙の了解に反する。私の言葉は申し訳なさから、最後は小さく呟くのみとなってしまった。
「そんなこと、ミアの身体の方が大事だ。すまない。俺の都合で連れ出してしまう。代わりに俺が抱えているから」
そのまま私を腕に抱えて、私の額に一つキスを落とした。
「どうしても、両親に紹介したいんだ。⋯⋯だが、体調が悪化したら言ってくれ。途中で帰るくらい何ともない」
「⋯⋯はい」
じわり、罪悪感が疼く。
リアムにはまだこの病のことは話してない。
話そうか、とも何度も思った。
期間限定の恋人で三十日で綺麗に別れるなら問題無かった。三十日を過ぎ、私がどうなろうとも、彼には関係無いのだから。
しかし、今、リアムの中に二人の関係の期限は無いだろう。これからも二人の将来が続くと思っている。
言わなければ、と思いつつ、私は今日まで言うことができなかった。
これは彼に対する裏切りだろうか?
私は彼の表情が悲しげに歪む想像をして、口を開くことができないでいる。
病のことを話して、彼が私に何を言うのか、怖くて仕方がなかったのだ。
馬車で移動する間も、リアムはずっと私を抱えていてくれた。身体が怠いのなら寝てて良い、と肩まで貸してくれて。
私はそれに甘えて目を閉じた。
罪悪感が口の端まで出かかって、会話をすることができなかったため、目を閉じる他なかった。
「綺麗⋯⋯」
椅子に座り、ドレスを身に着けた私は、鏡に映る自分を見て、そう呟いた。
平凡な自分の姿が今日だけは輝いて見える。
澄んだ空の青の中に、金糸の刺繍が散りばめられていた。
首まで覆うドレスは清純な印象があるが、胸元と腕の青のレース生地が肌を透かして大人っぽい色香も感じさせている。
引きずるような長さの裾は今年の流行を取り入れたものらしい。何層にも重なった布の内側は白色で、動けば白波が立ったように美しかった。
扉を叩く音が聞こえて、リアムが部屋に入ってくる。
「⋯⋯!」
お互いに姿を認めて、息を呑んだ。
リアムの衣装は式典用の軍服だ。
何回か見たことがあっても、リアムの鍛え上げられた体躯と、精悍な顔立ちも相俟って、呼吸を忘れるほど格好良い。
さらに、今日はいつも下ろしている深い茶色の前髪を後ろに流していた。
大人っぽい印象が強くなり、私の心臓がドキドキを超えてバクバクと壊れそうな音を立て始める。
「綺麗だ。⋯⋯他の者の目に触れさせたくないくらい」
近づいてきたリアムが、椅子に座った私と目を合わせた。
「⋯⋯」
はくはくと唇を震わせて、声にならない私を、着付けてくれた店員の女性が、和やかな目で見つめる。若いって良いですね、などと言いそうな目だ。
「⋯⋯行こうか」
私は恥ずかしくて、差し出された手を素早く取った。
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