01 余命三十日
「あ、あの! 貴方のことが好きです。付き合ってください」
なんてありきたりな告白。
言いたいことは他にもあるのに、喉につかえて声にならない。
私の頬はりんごに負けず劣らずの赤みを帯びているだろう。
恥ずかしくて死にそうだ。
「⋯⋯」
私の目の前に入る青年が口を開いた。
どうか、どうか頷いて。
三十日の恋だから。
────
「タフトル病の初期症状だろうねぇ。少なく見積もって三十日。多くても⋯⋯」
しゃがれた老婆の声を最後まで聞くことはなく、私は部屋を飛び出した。
診療所なのかも疑問だった暗く汚い部屋を抜けて、大通りの方へ走る。
「は、はぁ、はぁ」
路地裏から大通りの賑わいに身体を紛れ込ませて、やっと心臓を落ち着けた。
ふらつく身体を支えた壁は衣料品店のガラスだったらしい。視線を向けるとガラスに映った私と目が合った。
ミア・フォルスター。
生まれつきの珍しいと言われるピンクブラウンの髪。対照的に特徴の無い顔。
美人でもなければ特別不細工でもない。
ただ、今は、いつも念入りに梳かしている髪は乱れ、顔は泣きそうに歪んでいる。
最初に感じたのはちょっとした違和感だった。
思い切り走った時、疲れやすくなったような気がする。
仕事で使うペンが、握り難くなったような気がする。
ただの身体の不調だと考えしばらく放っておいたが、一向に治る気配が無い。
生活に不自由している訳では無いが、もやもやと身体に巣食う不快感は消えず、今日、声をかけられた自称医者に無用心にも付いていったのだ。
「ほら、背中に特徴的な模様が現れているだろう?」
医者の言葉を思い出して、私は背中を抱くように身体を丸めた。
円が何重にもかかっているような特徴的な痣。
普段背中など気にしていなかった私は、医者に言われて初めて気がついた。
タフトル病。
名前にしか聞いたことの無い奇病だ。
否定したいのに、おぞましい背中の模様が、これが現実だと、伝えてくる。
「⋯⋯~~~っ」
私は涙を拭って、王立図書館へ向かって歩き出した。
あのいかにもなヤブ医者が、おかしなことを言っているだけ。
病気だったとしても治療法はあるはず。
そんなことを考えていないと、自分がどうにかなってしまいそうだった。
「何で無いの⋯⋯!!」
思わず口にした声は思っていたよりも大きくなってしまった。図書館の司書のおばあさんが、びくり、と私を振り返る。驚いた拍子に椅子から落ちそうになっていた。
いけない。図書館では静かにすることは絶対のルールだ。
私は申し訳なく思いながらも、ふつふつとお腹の底から沸き上がってくる怒りのままに、図書のカウンターに抱えきれない程の本を置いた。
「貸し出しお願いします」
それ、全部持っていくの? とおばあさんに心配されたが、大丈夫だと心遣いを断って、私は家──寮の一室に帰った。
やっとの思いで部屋に入り、抱えていた本を放り出す。
──治療法が無い。
認めたくなくて、私は片っ端から本を開いた。
これは、過去のタフトル病の患者の手記らしい。
『私は存外鈍かったようだ。娘が「何度も肩を叩いたのに、どうして気づいてくれないの」と膨れっ面をして、ようやくどこかおかしい、と気付き始めた。
タフトル病。それは感覚が失くなっていく病だ。目で見ればコップを持っているのに、握っている感覚が無い。食べ物の食感が感じにくい。医者に言わせれば、中期の症状だと思われるが、珍しい病気ではっきりとしたことは言えない、と。
私は家族を巻き込み、治療をするため片っ端から診療所のドアを叩いた。生きるため努力をしたことは無駄ではなかったと思いたい。腰に浮き出た模様さえ無ければ、良かったのだろうか。皮膚を抉りたい気持ちにもなる。
──ついに妻と娘の声が聞こえなくなった。この文字を書く手も震えている。最後は坂道を落ちるように悪くなるのだな⋯⋯そろそろ終わりが近いのかもしれない』
次の本。次の本へ。
病と闘った患者の声。
治せなかった医者の嘆き。
最後まで見守った家族の思い。
様々な視点から見た文に目を通し続け、私は絶望した。
タフトル病。
身体の一部に浮かび上がる、円が重なった模様が特徴である。
原因、不明。
治療法、不明。
症状、徐々に感覚を失くしていき、いずれ死亡。
余命、発症から三十日ほど。
本は開いたまま、布団に潜り込み、泣いた。
なぜ、私なのだろう。まだ二十歳、死ぬには早すぎる。
一人きりの部屋に嗚咽だけが響く。
泣いて、泣いて、泣いて。
次の日も布団から出られなかった私は、ある時、急に思考が透明になった気がした。
あと三十日しか無いのに、何て勿体ないことをしているのだろう。
泣いても三十日。笑っても三十日だ。
「よし、告白しよう⋯⋯!」
ずっと片想いをしてきたあの人へ。
思えばこの時の私は全く正常ではなかったのだろう。
二年も拗らせていた片想いに、何の準備もせずに勝負を仕掛けたのだった。
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