序
あたかも、社会科の先生は見てきたかのように授業で学生に歴史を教え、テストを作り、成績を付けてきた。
しかし、先生が学んできた歴史に誤りがあったとしたら、どうだろうか?
学生たちは、ウソの歴史を教えられていたということになる。
そう、先生たちは、歴史の証人ではない。なので、本当にその答えがあっているのかどうか、実はわからないことだってあるのである。
近年の研究や、発掘調査の結果などから、訂正されてきた歴史も数多くある。
我々が知る歴史、あるいは歴史上の人物は、どこかで歪められた情報なのかもしれない。
それが、ただ名前だけは知ってる歴史上の人物であるなら、尚更である。
そんな人物の一人。日本人の誰もがその名を知り、その人物像を刷り込まれた男がいる、
でも、あなたは、その男についてどこまで知っていますか?
そもそも、学校の授業でもほぼスルーされているし、何ならどこかのアニメのキャラとして知っている程度なのかもしれません。
我々の知る歴史が、情報が正しいと言い切れる理由などない。
ならば、この男、何者なのか?
歴史の闇や謎と共に、追いかけてみたいと思い、筆を執った。
はじめに
一方的、断片的な情報で物事を判断するのは早急に過ぎない。
しかし、古く遠い歴史については、そんな資料の中から情報を読み取るほかにない。
ただし、そこには幾重にもバイアスがかかっているという前提で、様々なフィルターを通した上で検証しなければ、我々は誤った知識で歴史を覚えてしまうことになる。
今回取り上げる歴史上の人物の評もまた。我々が教科書や昔話、伝承や巷に溢れた都市伝説により粉飾されたデータをもとに作り出されたもので覚えてしまった感がある。
それも、人為的に作られた虚構である可能性すらある。
彼らが歴史に名を遺した理由を探ると、その人物の本当の姿が浮かび上がるのではないかと思い、この書を記そうと思う。
殷周易姓革命を扱った「封神演義」。
神々が様々な必殺技(いわゆる「宝貝」)を駆使して太公望と共に戦う物語なのだが、そこに描かれる仇役の紂王の姿は、まさに暴君そのものである。
しかし、この出来事は紀元前11世紀の話。伝承や歴史書をすべて鵜呑みにしていては危険なレベルの時代であることを念頭に置かねばならない。
そして、歴史とは常に勝者が作るものである。そのため、敗者である紂王は倒すべき「暴君」でなくてはならなかったという、周側の大義名分が色濃く反映されていることは、想像に難くないわけである。
そういう意味では、隋の煬帝、ローマのネロなども同じような描かれ方をしている。
淫蕩に耽り、残酷な刑で罪なき人を殺し、重い税や苦役を課し民衆から反感を買う。それはもはや、「滅ぼされても仕方ないよね…」という結論に導くことが容易となるロジックなのである。
では、暴君ではなくてそれが英雄・賢者・義賊などの類であった場合はどうなのだろうか?
謎のベールに包まれた4人の歴史的人物について見ていき、そのうちの一人の生涯を描きたいと思う。