第七十三話 神祖、告白する。
「……そうだな。お前はイルエスと俺の話を聞いていたんだったな。確かにイルエスとの約束だからという点もある。……だけどな」
白夜はイルミナの両肩に手を置き、グイッとイルミナを引き離し、顔を見ながら――
「それを抜きにしても、俺はお前のことが大切だ。お前が居ないと寂しいし、頼りにしてる。出来るならずっと一緒に世界を回って欲しいとさえ思ってる」
真剣な表情でイルミナにそう言った。
「……だけどな」
白夜は数歩後ろに下がってイルミナから離れ――
「お前が俺と一緒に居たくなくなったのなら、俺はお前を止めない。何処へでもお前の好きな場所に行くと良い。その時は今言った言葉は忘れてしまえ。……なに、出会いがあれば別れもある。気にすることないさ」
少し寂しそうに笑いながら、そう言ってのけた。
「そ、そんなの……悲しすぎるじゃない」
「……大丈夫だ。俺のことは気にする必要はない。お前の好きなように生きていけば良い」
そう言ってくるりと振り返り、白夜はスタスタと家の方角へと歩いて行ってしまう。
嫌だ。離れたくない。行かないで。独りにしないで。一緒に連れて行って。
イルミナは言葉が出てこない。
心も体もそう叫んでいるのに、それを伝えるための――肝心の音が出て来ない。
イルミナは弱い自分を打ち破った強い自分に、音を発する器官――喉を奪われていた。
――強くあれ。でないと認めてもらえないぞ。
――強くあれ。でないと褒めてもらえないぞ。
――強くあれ。でないと傍に置いてもらえないぞ。
強い自分は弱い自分に対して、そう警告してくる。
弱い自分では強い自分に対抗出来るわけがない。
イルミナはそう諦めて強い自分に屈し、顔を伏せ、ただ黙って涙を流す他無かった。
すると――頭に何やらふわりとした感触が頭にやってくる。
「全く……泣き虫な奴だ。今までずっと強がってたんだな。イルミナ」
それは優しく頭を撫でてくれる感触だった。
その手の主――白夜はイルミナの近くにまで戻り、イルミナを宥めていたのだった。
「……だって……強くなくちゃ……いけないんだもん」
イルミナはぐずりながら、まるで子供が言い訳をするように答える。
「なんだそりゃ? 忘れたのか? お前の両親の言葉を」
――強くなくてもいい。
「強く振る舞うお前も、弱く怯えるお前も、どっちもイルミナ。お前自身だろ」
――自分は自分。
(……そうか。強くある必要はないんだ。……そっか。弱いあたしも、強いあたしも、全部引っくるめて【イルミナ】なんだ)
「お前の両親――イリエルとイルエスは、本当はそう伝えたかったんじゃないか?」
白夜はイルミナに対してそう言い切る。
確かにそうとも考えられる。――やはりこの人は只者じゃない。
かつてのイルミナは『強くなくてもいい』という言葉を誤解し、自分の中に居た強い自分を殻に押し込んで隠してしまっていた。
今はその逆だ。
『強くなりたい』と願い、強い自分が表に立ち、弱い自分を殻に押し込み、隠してしまっている。――それでは前と何も変わらない。
強い自分も弱い自分も自分自身。
それ以外の何者でもない。
ならば――
「……じゃあさ、弱いあたしが溜めに溜め込んだ弱音も……全部、全部、外に出しても良いの?」
イルミナは白夜にゆっくり、ゆっくりと問いかける。
溜めに溜めた弱々しい言葉だって、思ってはいけないなんてことはない。
そう思ってしまう者もまた自分自身だ。
「当たり前だろ。無理に強くある必要なんてない。無理しなくてもそのうち強くなれるもんだろ。焦らなくったっていいのさ」
白夜はひらひらと手を振りながら答える。
「……本当に良いの? 嫌ったりしない? だめな奴だなって見捨てたりしない?」
イルミナはそれでも心底不安になりながら白夜に問いかける。
「大丈夫だ。何を言われたって気にしない。さぁ言ってみろ。お前の中に溜め込んだ弱音、全部俺が聞いてやる」
白夜がそう言うと――
「――っ! 嫌だ! 離れたくない! 傍に居たい! 寂しいから一人にしないで! ずっと一緒に居て! コウハクよりあたしのことを見て!」
イルミナはついに溜まりに溜まった言葉が決壊し溢れ出てしまう。
今まで散々溜めに溜めてきてしまった言葉全てを。――しかし、止めることはもう出来そうになかった。
「さっきの狼達の時だって……怖かった! 不安だった! あたしに襲いかからないかとか! スキルが通用しないんじゃないかとか! 怖かった! 怖くてたまらなかった! ハクヤさんがコウハクを守った時、羨ましかった! あたしも、あんな風に守って欲しかった!」
弱音は数々と湧き出て、しばらくの間ずっと吐き出し続ける。
やがて弱音を出し尽くし、息を「はぁはぁ」と切らし、もう出すべきものは心の中から綺麗サッパリ無くなった時、息が整ったイルミナは――
「……あたしの幸せは、ハクヤさんの隣にあるんだよ? その場所は誰にも譲りたくない。あたしは絶対そこに居たい。コウハクにだってそこに居て欲しくない。そこはあたしの場所なの。例え誰かに奪われたって、どんな手を使ってでも奪い返してやる。
だから、あたしからは絶対離れてなんかあげないんだから。かと言って、もしハクヤさんがあたしのことを嫌いになって、突き放したとしても一生付き纏うから。ハクヤさんが嫌でも絶対、絶対、離れてあげないんだから。覚悟しててね?」
全て出し終えた開放感からか、つい心の奥深くに止めて置いた秘めたる感情をつらつらと吐露してしまい――数秒ほど経ってからイルミナはハッとなる。
(はっ!? あたし、何を言って……だめっ! こんな告白重すぎるじゃんっ! このままじゃハクヤさんに嫌われちゃう――)
「そうか。なら仕方ないな。俺もお前から離れようとか、お前を突き放そうとか、思ったりすることは絶対無い。強いお前も、弱いお前も大切にする。だから……これからもよろしくなイルミナ。頼りにしてるよ」
白夜はイルミナのその告白に対して、満面の笑みを浮かべながらそう返事をしてくれた。
――その時、イルミナの背後にぱあっと満開の花が咲き、イルミナは嬉しさのあまり、白夜に力一杯抱きついてしまっていた。
「――っ! ハクヤさんっ!」
「ぐふぉっ!? ちょ、おま、力つよ――」
(う、嬉しい! こんなあたしを認めてくれた! あんな重い告白を受け入れてくれた! やったやった!)
イルミナは白夜に抱きつきながら、ただただ先ほど白夜が発した言葉を繰り返し、繰り返し、頭の中で再生する。
(えへへ……「俺も離れたくない。お前を一生大切にする」……だって! あぁ……幸せ……えへへへへ!)
少し言葉が違う気がするが、ニュアンス的には合っていたはずだ。
イルミナは細かいことを全く気にしなかった。
「あたしも頼りにしてる! ハクヤさん! ずっと……ずっと! 一緒に居てね!」
「お、おう? 別にいいけど……すごい変わりようだな? お前……」
白夜は力なく「ハハハ」と笑う。
(――あれ? 照れてるのかな? かわいい!)
イルミナは構うことなく白夜に対して体をグイグイ押し付け、目一杯甘えるのだった。
すると――
ヒュンッ!
風の弾がイルミナの顳顬めがけて飛んできた。
もし気づくことが出来ず、とっさに避けていなかったらイルミナは顳顬を撃たれ、意識を失っていただろう。――その弾を撃ち込んできた張本人が口を開く。
「……道理で帰ってくるのが遅いと思いました。貴女、死ぬ覚悟は出来ていますよね?」
その少女――コウハクは荒ぶる風を纏い、ゆらゆらと歩いてこちらに近づいてくる。
「……残念だけど、あたしが死ぬ時はハクヤさんと一緒の時って決めてあるから。今は全く覚悟出来てないよ?」
イルミナはコウハクに対して少しも物怖じせず、一歩も退かず、答えてみせる。
「……ほう。言うじゃありませんか。以前とは比べようもないほど、意思の強さを感じます」
そう言った後、コウハクはドンッと大地を蹴り飛ばし、瞬時にこちらへと詰め寄ってくる。
「ならばっ! 今この瞬間に覚悟を決めてもらう他ありませんねっ! 主人さまは貴女に絶対渡しません! そこを退きなさい!」
「誰が退くもんですか! あんたの場所さえ取れれば、あたしはもう何も望まない! 覚悟するのは……あんたよ!」
二人の距離が目前にまで達する直前――
「やめんかっ! お前らっ!」
その怒号と共に白夜がイルミナとコウハクの間に体を置き、コウハクの頭を片手で受け止め、もう片方の手で上からチョップする。――ついでにイルミナの頭もチョップする。
「ひうっ!?」
「あたっ!?」
二人は拍子抜けするような悲鳴をあげ、衝突は免れた。
しかし――
「――っ! どうして、邪魔をするのですかっ! 主人さま!」
「ハクヤさんっ! これはあたしとコウハクの問題なの! 手を出さないで!」
イルミナとコウハクは納得がいかず、白夜を問い詰める。
すると――
「やかましいっ! 大切な体に傷がついたらどうする! たとえそれがお前達自身であっても、その体に傷を付ける行為をする奴は俺が絶対に許さん! 良いなっ! 分かったならもう身の安全を脅かすような喧嘩はやめろ!」
白夜はイルミナ達が初めて見る表情――怒りを顕にした。
「「っ! で、でも! これは――」」
「でも――だと? お前達、まだ続けるつもりか? ……よし分かった。もしこれ以上無駄な争いを続けるようであれば、俺はお前達と一生一緒に寝ない。俺は別の部屋でずっと一人で寝る。勝手にベッドに入ってくることも、勝手に寝室に入ってくることも許可しない。入ってきたら即座に外に蹴っ飛ばす。良いな?」
白夜は背中にゴゴゴとドス黒いオーラを纏ったかの如く、とてつもない――圧倒的迫力を持ってして、イルミナ達にそう宣言する。
イルミナは確信する。
――この人、本気だ!――と。
(そ、それはまずいっ! 一生ハクヤさんのベッドに入れないなんて……そんなの死ぬこととおんなじじゃん! 無理無理! もうコウハクとのことなんてどうでもいいよ!)
そう思ったのはコウハクも同じことだったのだろう。二人は瞬時に身を地面にかがめ――
「「す、すみませんでしたああああ!!」」
二人の本気の土下座と同時に放たれた謝罪の言葉が、夜更けの村に響くのであった。
後にこの光景を目の当たりにした狼男達により、強大な白き魔女と黒き魔女を相手に、素手と言葉のみを使用して制した勇者として、白夜が密かに語られることとなるのを、この頃の一行は知る由もないのであった。




