第六十二話 救世主、改心する。
男の正体はクロヌスという名前の『狼男』だった。
魔物の国『ビルド』から派遣されたスパイのような存在で、この近隣の村を手中に収め、抗争の新たな拠点とする計画を担っていたようだ。
となると――
「お前以外にも、何者かがこの近くに居るんだな?」
白夜はクロヌスに問いかける。
拠点にするにしたって、この男一人でなんとかなるとは到底思えない。
誰か他にもメンバーが居るはずだ。
「はい。この村の近くの森に、狼形態の狼男達を潜ませています。今よりこの村を阿鼻叫喚の図に叩き落とし、周りの村に恐怖心を植え付け、私に縋り付くよう手向け、拠点づくりの最終段階へと進む手筈でした」
クロヌスはそう語った。
この村を落とし、周りの村の救世主に対する依存度を最高値にまで高める手筈だったのだろう。
もはやそうなってしまうと、救世主――クロヌスを疑う者は誰もいなくなる。
あとはクロヌスが魔物から自衛するためだとか言ってどこか一点の場所に村人を集め、入口を封じ、火でも放てば一網打尽にできる。
準備期間が途方もなく長いが、向こうの損失としてはその時間だけだ。
(しかし、こんな奇策を用意する国があるとは……侮れんな。魔物の国『ビルド』……)
白夜はこれから脅威になり得る国のことについて、情報を得ておく必要があると深く頭に刻んでおくのだった。
「さて、計画の大体は分かった。……ならば早速この村の危機を払拭するとしよう。手としては――」
きゃああぁぁっ!?
すると、部屋の端の方から悲鳴が聞こえた。――コウハクの声だ。
白夜は慌ててそちらの方にブンッと顔を向ける。
すると――
「グルルルルル……ガウッガウッ!」
そこには黒いボサボサとした毛に覆われた、体長二メートル程の狼が居た。
それはコウハクの両手を前足で掴んで床に押し倒し、大口を開けて今まさにコウハクに食らいつこうとしている。
コウハクは何とか逃れようと必死に踠いているが、体格差もあるのだろう。
両腕を完全に取り押さえられた状態ではとても逃れられそうにはなかった。
「い、いや! 離して! やめ――」
「ガウウウウウッ!」
ガブリッ!
すると、その狼はその大口で食らいついたのであった。
――白夜の左肘に。
白夜は咄嗟に走り出し、なんとか狼の口内に自分の左腕を押し込むことに成功していた。
「――! あ、主人さま!」
「つっ! おらああぁぁ!」
ズキリと鈍痛が左腕に走るが、白夜は腕を引くことなく逆に口内に肘を力強くグイグイと押し込む。
すると狼は急に物を押し込まれたことに対してえづき、白夜は左腕に食らいつかれた状態からパッと逃れることに成功する。
「エウッ! グルル――」
「コウハクから、離れやがれっ!」
ドゴオッ!
突然のことでまだフラフラとしている狼の空きっ腹をそのまま窓の方面に思いっきり蹴飛ばし、窓ごと叩き割って外に出そうと試みる。
「キャインッ!?」
すると狼はダメージを受けたのかそう呻き、狙い通り窓をバリンッと破り、外へと吹っ飛んで行った。
「――ふぅ。コウハク! 無事か!?」
白夜は荒れた息を整えながら、コウハクの安否を確認する。
「は、はい。主人さま。で、ですが! 主人さまが――」
「気にすんな。こんなもんツバつけときゃ治る」
コートを着ていなければ腕の損傷はもっと大きかっただろう。
おかげで腕の肉に歯が食い込むことはなく、打撲やかすり傷程度で済んだ。
それに現に白夜の体は回復しつつある。――種族特性<自動回復(中)>が働いているのだろう。
まだ痛みは残っているが時間が経てば完全に回復することだろう。
白夜の体は問題無さそうだった。
「イルミナ! 周囲を警戒しろ! また奴らが襲ってくるかもしれん!」
「――っ! 分かったよハクヤさん!」
しかし、だからといって危機が去ったわけではない。
白夜はイルミナに指示を飛ばし、警戒態勢を整える。
(ふぅ……落ち着け……しかし、奴らに指示を飛ばす役はもうここに捕らえたはず……なぜ奴らは襲ってきた……? 待ちきれなかったにしても、あれからまだ時間はあまり経っていないはず……)
白夜は唐突の混乱を防ぐために落ち着き、考える。――だが、しばらく待っていても、あの狼を蹴飛ばした後、更に襲いかかってくるものはいなかった。
(……襲ってこない。まさか奴らではない……? だとすると――!)
白夜はその人物を探す。
ここの家の主であり、優しい心を持った少年であり、自分達を助けてくれた――ギンという狼少年を。
しかし、居ない。
どこを見ても、どこを探しても居ない。
先ほどまで一緒に居た筈なのに。
「ギン! おい! どこだ!? どこにいる!」
白夜はギンの名前を叫び、反応を待つ。
しかし、反応は帰ってこない。
そして、やがて反応が帰ってきたのはギンではなく――
「主人さま……あの狼……あれがギンです。間違いありません」
態勢を取り戻したコウハクからの、残酷な真実が帰ってきたのだった。




