第六十話 救世主、暗躍する。
男の名は『クロヌス』。
茶色い髪をオールバックに上げ、黒い毛皮のコートとズボンを着たこの大男は、近隣の人間の村にて『救世主』と呼ばれている存在だ。
この村を一通り見たところ、一つのことが分かる。――もはや何も脅威はないと。
今まで手中に収めてきた村。
その村々では、楽に芝居が打てた。
しかし、この村を落とすのはある”理由”により、少々困難だと考えていたが――
(……もはや、こそこそと隠れてやる必要もあるまい)
クロヌスはニヤリと不敵な笑みを一瞬浮かべたが、慌てて通常通りの優しい救世主の顔に戻る。――この村に、もう自分達を少しでも脅かすほどの戦力はない。
この村だけではない。
近隣の村だって、もう自分の手中にあるのだ。
最早待つことは億劫でしか無かった。――そもそも最初から力で落とそうと思えばできたのだが。
(この村を落とし、他の村も瞬時に落とす……するとどうだ。人間の国は気づかぬままに、周囲を敵で包囲され、固められてしまうのだ。フハハハハ! 愉快なものだ!)
クロヌスは計画が上手く進んでいることに歓喜する。
(ここまで長かった……だが! もう待ちきれん! 今日この夜に! この村を完全に占拠する! 『ヒュマノ』を落とすため……この村を『ビルド』の拠点とするのだ!)
そう思っているうちにクロヌスは村長の家へとたどり着き、コンコンコンと扉をノックする。
ガチャリ。
「……これはこれは、救世主さま。お疲れでしょう。ささ、早くお上りください」
クロヌスは村長の家に入る。
すると居間に居た娘が、男のことを見つけるや否や走り寄ってきた。
「あっ! 救世主さま! お帰りなさいませ! 本日の見回りはどうでしたか?」
「……あぁ。何も問題は無かったよ。俺が居る限り、何事も心配いらないさ」
「はぁっ……! さすがは救世主さまです! いつまでもここに居てもらって構いませんからね!」
娘はクロヌスに対して言い寄る。この男も若い娘に言い寄られて悪い気分はしない。だが――
「すまない。今日は疲れているから早めに休むよ。もう部屋に戻ってもいいかい?」
今日の夜は忙しい。
娘の相手をしている暇はない。
娘は心底残念そうに顔を曇らせるが、構うことなく借りた二階の部屋へと上がる。
ドアを開き、ベッドにドスンと腰掛け、石を取り出し、魔法を発動する。
魔力を流すと発光するその石は、同じ石を持つ相手に対して同じ光り方のパターンを送ることができるマジックアイテムだ。
長く光らせたり、短く光らせたりを繰り返し、同じ石を持つ者――仲間に合図を送る。
――今日、決行する――と。
クロヌスはついに満面の――邪悪な笑みを浮かべる。
「……フッ! フハハハ! あぁ……楽しみだ……長年待った甲斐があるというものだ……! これで俺の地位も盤石なものとなるだろう……本当に、楽しみだ……!」
クロヌスはそう言った後、あることを思い出す。
「……そういや、この村にも”駒”が居たんだったな……まぁいい。村を襲わせるのはあいつらに任せて、俺自らが直々に拾いに行くとするか」
クロヌスはベッドに横たわり、目を瞑り、夜が更けるのを待つのであった。
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クロヌスはパチリと目を覚まし、時間を確認する。
もう日付が変わって二時間ほど経っているようだ。
ちょうどこれから事を起こす、計画通りの時間だろう。
石を取り出し、仲間に指示を送る。「村の外の森で待て」と。
(めんどくさいが……行くしかないか)
まずは“駒”の回収に向かわねばならない。
放って置くよりもさっさと取り込んでしまった方が都合が良いのだ。
クロヌスは村長の家を出て”駒”の居る家に向かい、歩を進める。
クロヌスはその間、しばし思う。
(また……何もかも終わった後は、村長の娘を抱いてやるとするか。その時は、最初は優しくしてやって……最後は使わなくなった玩具を処分するみたいに……血を啜り! 肉を食らいながら! グチャグチャにしてやるとするか!)
クロヌスは湧き上る欲望を何とか抑えながら歩を進ませ、目的地に辿り着く。
(さぁ……めんどくさいが、失敗作の回収だ。俺に従うならそのまま使い捨ての兵にして、従わないならもういらんから殺すか)
玄関の扉をゆっくりと物音が立たないように開ける。
そのまままっすぐ進むと周りには何も居らず、ベッドに掛けられた布団のみに膨らみが見られた。
(そこか……! さぁ! とっとと起きやがれ!)
クロヌスは布団に手をかけ勢いよく引き上げ、バサッと放り飛ばす。
するとそこには――
絶世の美女が眠っていた。
金色の艶髪は夜にも関わらず、それ自体がキラキラと輝いているようにも見え、肌は透き通るかのように白く、唇はまだ何も知らない無垢な者のように、ピンク色に水々しく艶めいていた。
衣服は黒と紫の仕立ての良い就寝用のワンピース――ネグリジェを着ており、出る所ははっきりと出て、引き締まる所はしっかりと引き締まったその美しい肢体がはっきり見分けることが出来るものであった。
そしてその寝顔は――正に美の結晶。
(う、美しい……!)
クロヌスはゴクリと唾を飲み込む。――これほどの上玉は見たことがない。
魔物の国にはゲテモノが多く、綺麗所を探すとなると、軍の上層部であったり、それは有り得ないほどの高い金を払って各綺麗所の種族の奴隷を購入するしかない。
故に、美人というのは一層目立つ存在でもある。
クロヌスはそれらをほとんど遠目で見たことしかなかったが、それでも大層美しく、今まで抱いてきたどの女よりも遥かに勝る。
だが――
(美しい……美しすぎる!)
それらを上回るほどの美しさ。
これほどの綺麗所は今まで回ってきた村、国、どこを探しても見つかるのだろうか。――いや、見つからないだろう。
(……汚したい)
クロヌスの先ほどまで抑え込んでいたドス黒い欲望がふつふつと沸いてくる。
(触れたい触りたい犯したいぐちゃぐちゃにしたい自分だけのものにしたい)
それは思いの枠を超え、すでにクロヌスは行動に出ていた。――その美を汚さんとする行動へと。
はち切れんばかりの醜い欲望を抱いたまま、クロヌスはその美の結晶に触れようとする。
しかし、その瞬間、美女がパチリと目を開き――
「あなた、あたしに手を出すつもりね? あたしに”魅了”されたのね? スキル<神祖>発動。あなたをあたしの眷属とします」
「……へ?」
そう言った後、クロヌスは自我を失ったのであった。




