第三十八話 現人神、吸血鬼の王を看取る。
コンコンコン。
白夜はお盆の上にコーヒーカップ二つを乗せ、イルエスの部屋の前にまで持って行き、扉を三度ノックする。
すると、「どうぞ」と声がかかってきたので、ガチャリと扉を開け、部屋に入る。
「どうも。イルエスさん。最期の夜、如何お過ごしですか?」
白夜は部屋に入り、イルエスに挨拶する。
イルエスは豪華で座り心地の良さそうなソファに腰掛けていた。
「おやおや、一人寂しくあの世へ旅立とうと思っておりましたが……優しいですな。貴方は」
イルエスは穏やかな微笑みを白夜に向けてくる。
「すみませんね。かわいい娘さんじゃなくて。……まぁ、あの娘にお願いされたんですが。最期まで側にいてあげてほしいって」
白夜はイルミナに頼まれたことを早速イルエスにチクる。
「ははは。それはそれは、娘が申し訳ない」
「別にいいですよ。『最期くらい、強いままで居たい』って言ってました。見栄を張りたかったんでしょう」
互いに「ふふっ」と笑う。
「さっきはお茶でしたからね……今度こそ、コーヒーでもいかがですか?」
白夜はイルエスに持って来たコーヒーを勧める。
「いいですな。最期の一杯、頂くとしますかな」
「じゃあどうぞ。あんまり美味しくないかもしれませんが」
この部屋に来る前にイルミナからキッチンの場所を聞き、コーヒーを入れて来ていた。
白夜はイルエスの座っているソファの対面に座り、前にある机にお盆を置き、イルエスの前と自身の前にソーサーをコトリと置き、その上にコーヒーカップをカチャンと置く。
「いただきます」
イルエスはコーヒーカップを手に取り、コーヒーを音も無くすっと一口飲んだ。
「……すごく美味しいですよ。ありがとうございます」
そう言って感謝の言葉を述べてくれる。
(良かった。こっちの世界のはよく分からんからな)
「良かったです。自信付きました」
白夜は冗談めかして笑う。
「結構なお手前ですよ。……そうそう。言い忘れていたことがあったのです」
するとイルエスは急に話を振ってくる。
「なんですか?」
「この城の財産は残り少ないですが、どれでも持って行っていただいて構いません。どうせ賊が入って来て、空っぽになるでしょうから。御一行のお役に立ててもらって結構です」
(城の財産の相続か。まぁそれはイルミナに任せよう)
確かに空っぽになった城など誰でも入れるわけだから、目ぼしい財宝は持って行かれて当然だろう。
ならばこの城の最後の主に任せることにする。
何はともあれ、金銭面の問題が少し減りそうで安心だ。
「ありがとうございます。イルミナに任せますよ」
「えぇ。お願いします。それと、ここはなるべく早く離れたほうが良いかと。以前襲って来た者達がしばらく帰ってこないとなると、流石に誰かが不振に思うはずですからね。最長でも滞在できるのは一週間でしょう」
イルエスはそう提案してくれる。――自分のことよりも他人の心配ばかりだ。
「了解しました。三日程でここを離れますよ」
「はい。あっそれと、仲間の死体は埋葬してありますが、そのまま――」
「はいはい。それも分かってます。まったく……たまには自分の心配でもしてみたらどうですか?」
この人は本当に自分の心配をしない。白夜は呆れつつ、そう問いかける。
「あはは。すみません。貴方様ならお分かりでしょうな。お節介が過ぎました。こればっかりは、死ぬ前でも治らないようで」
イルエスはおかしそうに笑う。
「まぁ……気持ちはわかりますよ。俺も貴方とよく似てますから」
白夜は本心を語る。
「はは。嬉しいですな。神で仰せられるお方と、私程度の者が似ていると言っていただけるのは」
「……本心ですよ」
「……」
その後、しばらく沈黙の空気が流れた。
「……俺はこの世界に来てまだ二日目ですが、貴方みたいな『友達』がこの世界でも欲しかったですよ。冗談の気も合いますし」
白夜は口を開き、少し悲しそうな表情をしてしまう。
「……おや、今からでも『友達』にはなってくれないので?」
イルエスはいたずらに笑い、問いかける。
「何言ってんですか。バカを言わないでください。そんなことになったら、悲しくて泣いちゃうじゃないですか。……異世界に来て初めて出来た『友達』がその日の内に死んで、またゼロからやり直しとか寂しい奴じゃないですか」
「あはは! それもそうですな!」
白夜もいたずらに笑いながらそう言ってのけ、イルエスもつられて笑う。
そして――
「……だけど、まぁ、なってやらないでもないです」
白夜は顔を俯かせ、そう答える。
「……ふふ。ありがとうございます。もっと早くから、貴方とお会いして『友達』になりたかったものですな」
「……えぇ。俺も本当に、そう思いますよ」
(――本当に、心の底からそう思うよ)
「……一つ、お願いがあるのですが」
「一つと言わず、いくらでも」
イルエスが白夜に何か頼みたいことがあるらしい。
白夜は遠慮なく、そう返す。
「ふふっありがとうございます。キッチンの上の戸棚の右側に、『S』の印が入った調味料の小瓶があるんです。これが本当にコーヒーによく合うんです。最期に私も飲んでみたくなりましてね。申し訳ないですが、頼まれてはくれませんか?」
イルエスがそう頼み込む。
「もちろん。すぐに取って来ますよ」
白夜はそう言って、席を立つ。
「ありがとうございます。ハクヤさんも、是非その味を楽しんでくださいな」
白夜は片手をあげ、了承のサインを送り、部屋を後にする。
廊下をカツカツと歩き、やがて広めのキッチンへと辿り着く。
キッチンは王の居住空間であるこの階にも存在し、数々の食器や調理器具があり、調味料も多数存在していた。
「……上の戸棚って、これか?」
洗い場の上に扉がついた棚がある。
扉を開くと、食器と共に確かに調味料と思しき物が数々と置いてあった。
「S……S……どれだ? ……って、しまった! 文字読めないんだった……」
イルエスは『S』と言っていたが、白夜はこの世界における『S』がどういう文字なのかが分からない。
(ミスった……)
「……はぁ。威厳とか面子とか言ってる場合じゃないな」
白夜は諦めてキッチンを後にし、廊下をカツカツと歩いて行き、王室へと戻る。――イルエスに文字が読めないことを伝え、『S』がどういう文字なのか聞きに行くことにしたのだ。
ガチャリ。
「お〜い。イルエスさん。すみません。今だからカミングアウトするんですが、実は俺、文字読めなくて――」
白夜の言葉はそこでかき消えた。――イルエスがソファの上で横たわっていた。
白夜は急いで、イルエスの近くに向かう。
「――っ! イルエスさん!」
イルエスの体を揺さぶる。だが、返事は帰ってこない。
「おいっ! あんたっ! 冗談が過ぎるぞ……! 流石に、このブラックジョークは、笑えねえって……!」
更に強くイルエスの体を揺さぶる。だが、返事は帰ってこない。
「――っ! うまいコーヒー、飲みたかったんだろ! おいっ! 起きろよ……! イルエス……」
力なくイルエスの体を揺さぶる。だが――返事は帰ってこない。
「……ふざけた奴だ……」
白夜はイルエスをそっとソファに寝かせる。
「……コーヒー飲んでる途中で疲れて寝ちまったんだろ……? カフェイン効果ですぐ起きるだろ……」
そう言って自分のコーヒーを一すすり飲み――
「……このコーヒー、しょっぺぇ。やっぱり淹れんの、下手くそだな……俺……」
霞む視界の中、イルエスが起き上がるのをただ待つのだった。
そして、その後イルエスが起き上がることは二度と無かった。
吸血鬼の王『イルエス・ヴラッド』は、穏やかな顔でその生を終え、息を引き取った。




