第二十五話 吸血鬼親子、決別する。
イルミナとイルエスは白夜とコウハクの元を離れ、玉座の間に来ていた。
イルエスがイルミナに対して何か話があるそうなのだ。
何やら神妙な顔付きで、こう語り出す。
「……突然だがイルミナよ。お前は私の元を離れ、あのお方たちに付いて行きなさい」
(……えっ?)
イルミナは自分の耳を疑う。
「お、お父さん……?」
「イルミナよ。先ほども言った通り、私はもう長くない。長くないのだ。いつ事切れてもおかしくない。あの人間どもの魔法は、私を完全に蝕みつつある」
(嫌だ……)
「そ、そんな……! お父さんが死ぬなんて……」
「……恐らく明日には死ぬだろうな」
(――嫌だ)
「な、なんで……そんなこと……!」
(聞きたくない!)
イルミナは再三自分の耳を疑う。
あの強くて優しい父があろうことか明日にはもう物言わぬ屍になると言い出したのだ。
――遠からずそうなるであろうことは分かってはいたが、早い。
あまりにも早すぎた。
「……吸血鬼狩りの連中がやってきたせいで、呪いに抵抗する力も無くなってしまった。だから明日にはもう、私はその命を終えるであろう」
イルエスは重々しく語る。
「大丈夫だ。もうあの方達には強く頼み込んである。快く了承もいただいている。私なんかよりもよっぽど強く、優しいお方達だ。だから、最後に一つだけ言わせておくれ。……イルミナ。幸せにな」
そう言って、イルエスは微笑む。
イルミナは父のこのような表情は見たことがないかもしれない。
そこにはもう今まで苦悩してきた吸血鬼の王『イルエス・ブラッド』の姿は無く、ただのイルミナの父、『イルエス』の姿がそこにあった。
「――っ! うぅっ!」
イルミナは耐えきれずに涙を流す。
そして、自らの父に何も言うことができずに、イルミナはパタパタと自分の部屋へと走り去って行くのだった。
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「……お互い大変ですね。イルエスさん」
階段を下りる途中にすれ違った少女――イルミナのことを思いつつ、白夜はイルエスに話しかける。
「……そのようですな。紅様」
白夜の背中で眠るコウハクを見て微笑み、イルエスはそう呟く。
「お邪魔してすみませんが、寝床を貸してもらえますか? コウハクが少し熱を出してしまいまして……休ませてあげたいんです」
白夜はイルエスにそう説明する。すると――
「なんとっ! それはいけません、すぐにご案内しましょう」
と言って、すぐに案内してくれた。
(良い奴だな。娘ともう少し喋りたいだろうに……ありがとう)
イルエスに連れられて階段を登る。
最上階より三つ下にある階に、先ほどの書斎のように巨大な貴賓室があり、部屋の内装は正しく城の豪華な様を表していた。
高級そうな家具が所々に立ち並んでおり、三人程が余裕で寝られそうなくらいにとても大きなベッドが二つ置いてあった。
白夜は片方のベッドにコウハクをそっとおろし、体を抱き、頭を枕に静かに乗せ、布団を体にかけてあげようとしたその時――
「……んぅ……? 主人……さま……?」
コウハクがうっすらと目を覚ましてしまった。
「……起こしてしまったか。ちょっと待ってろ。氷嚢みたいなの持ってくるから」
そう言って布団から手を離し、腰を上げ、立ち去ろうとした時――
「――っ! い、行かないでください! 主人さま……」
と言われ、服を背中側からギュッと掴まれた。
――どうやら弱って不安になっているらしい。
白夜がどうするか困った顔をしていると、イルエスが――
「私がお持ちしましょう。お二人はどうぞ、休んでいてください」
と言って、有無を言わさず、すぐに立ち去って行った。
(……ありがとう、イルエス。お前は本当にいい奴だよ)
白夜は心の中で礼を言い、イルエスの行く方向に軽く頭を下げた。
「……はは。分かった分かった。どこにも行かないから。布団かけるぞ。んで……ほら、手握っててやるよ」
白夜はクルリと振り返り、コウハクに布団をかけ、小さな柔らかい手をギュッと握り、どこにも行かないことをアピールする。
「ありがとう……ございます……主人さま……」
コウハクは安堵の表情を浮かべる。
「気にすんな。ゆっくり休め」
白夜も柔らかい表情を浮かべ、コウハクを安心させる。
「はい……えへへ……主人さまの手……暖かい……。安心……しま……す――」
そう言って静かになり、やがてすーすーと寝息を立て始めた。
どうやら上手く寝かしつけられたようだ。
ホッとしていると、丁度そのタイミングでイルエスが桶を持って静かに戻ってきた。
「濡れ布巾、持ってきましたよ」
と、小声で言う。
「ありがとうございます。イルエスさん」
白夜も小声で礼を言う。
「ただ……俺はこの通り、しばらく片手が離せませんので、起こさないように、そっと額に乗せてもらってもいいですか?」
白夜は「やれやれ」と困った顔をしながら言う。
すると、イルエスは「ふふっ」と小さく笑う。
「承りました。では、失礼します」
そう言って、額にかかった髪をすっとかきあげ、濡れ布巾をそっとコウハクの額に乗せてくれた。
(さすがは父親。慣れてるな)
コウハクは眠ったままである。完璧な仕事だ。
「懐かしいものです。私の娘も、よくこんな風に寝かしつけてました」
(――ん? やっぱり吸血鬼でも体調崩すとかあるのか。まずい血でも吸ってしまったとか?)
「あの時は確か……。妻が亡くなった時でしょうか」
「……」
白夜は何も言えないでいた。
「……ふふっ。すみません。湿っぽくなってしまいましたな。何、大丈夫ですよ私は。最後に貴方に、救われましたから」
イルエスは嬉しそうに微笑む。
「……明日、死んでしまうのにですか?」
白夜はイルエスに問いかける。
「おや……聞かれてましたか」
イルエスは困ったように笑う。
「……コウハクに調べてもらいましたから。聞かずとも知ってました」
書斎で本を調べる前、コウハクにイルエスの容体を調べてもらっていた。
イルエスには毒のような特殊な魔法<|十なる英雄の禊(イクスチェイン)>が、体は愚か魂にまで雁字搦めにかかっており、一日ではどうしようもないことが判明していた。
故に、白夜達ではイルエスを助けることが出来ない。
――不可能なのだ。
白夜は困ったように笑いかける。
「これはこれは……本当に、お二方には敵いませんな」
イルエスは楽しそうに笑顔になる。
――本当に楽しそうに。
「……娘さんとは、もう話さなくても良いので?」
白夜は気がかりなことを問う。
「えぇ、大丈夫です。伝えたいことは全て伝えました。……あの子は、妻とは逆のような存在ですが……きっと大丈夫でしょう」
イルエスはイルミナとの別れを既に済ませたようだ。
その笑みには後悔の念を感じない。
「……貴方は明日、本当に死ぬ。それでもなぜ、そんな風に笑えるんですか」
白夜はその死の宣告を唱えてしまう。
「……いや、何、そんなの決まっています」
そう言って、両目の内、左目だけを一瞬瞑り――
「私の娘には、それはそれは素晴らしい、神様お二人の加護が付いていますから。安心して、妻に会いに行けるってもんです」
少しぎこちないウインクをして見せた。
(……ふっ。おっさんがやっても、全くかわいく無いな。一体誰の物真似なんだか……)
白夜は鼻で笑った後――
「……ウインクは、こうするんですよ」
両目の内、右目だけを瞑り、ウインクを返すのであった。




