第十二話 吸血鬼、窮地から救われる。
――おかしい。あれからどれくらいの時間が経った?
後数秒もしない内に結界は崩壊し、怒涛の攻撃が襲いかかって来るはずだ。
しかし、来ない。
何秒、何十秒待っても来ない。
それどころか、先ほどまで響いていた、あの者達の下劣な声や破壊の音すら聞こえない。
イルエスはあの者達の余興か何かなのかと感じ、――これ以上愚弄するか!――と憤慨しそうになり、目を開こうとしたその瞬間――
「あの……大丈夫ですか? 何やらものすごい攻撃を受けていたようですが……」
声が聞こえてきた。
しかし、聞こえてきたのはあの者達の声ではなく、イルエスの安否を確認する少年らしき声であった。
明らかに先ほど居た五人の声質ではない。
――いったい何者なのか。
それを確認するためにイルエスは目を開く。
すると、そこには信じられない光景が映っていた。
二人の人間。
たった二人しか、居なかった。
一人は青年、一人は少女。
他には誰も居なかった。
繰り返しもう一度言うが、たった二人だけしか居なかったのだ。
――明らかにおかしい。
あの卑劣な男ども五人は、一体どこへ行ったのか。
「な、何が……? どういうことだ……?」
イルエスが理解に及ばず困惑していると、青年がこう語る。
「――あぁ、ご心配なく。貴方を害していた存在は、全て<削除>致しましたので」
その青年は驚くべき言葉をその口から発したのであった。
イルエスはしばらくその青年の言葉が信じられないでいた。
「削……除……? な、なんだそれは!? それを使って、あの一瞬で、あれほどの者たちを屠ったというのか……!?」
吸血鬼の王たる自らでも、全盛期の頃なら相手できただろうかと疑問に思う実力だったというのに、この青年はよもや一人で瞬時に全員屠ってみせたという。
イルエスはとてつもない恐怖を感じ、それと同時に――とてつもない安心感を得る。
「あ、そんなに強い人達だったんですね。大変でしたね」
青年が朗らかにそう言って、カツンカツンとイルエスに歩み寄り、近づいて来たのだ。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
切れ長のその目は黒い瞳をこちらに向け、心配するように見つめてくる。
その青年の顔は、女性とも男性とも言えるような中性的雰囲気を漂わせていた。
ショートカットに切り揃えられた、艶のある黒い髪。
白い服に黒いズボンを纏ったその青年は背がそれほど高くはなく、まだ若いのだろう。
しかし、自信と勇気あるその佇まいは、見るものを魅了するカリスマを持ち合わせていた。
王族たるイルエスでさえ、その高みには到底登りきれないと感じるほどの差がそこにはあった。
イルエスはその青年の瞳を見て、こう思う。
――この方は私を害する気はないようだ――と。
「ありがとう……。もう少しで、私はすぐに命を失うところであった」
イルエスはそう言って、体力をほとんど失った影響により地に膝を付いていた体を起こそうとする。
「あぁ、大丈夫です。楽にしていてください」
青年はイルエスの体を起こすのを止め、肩を抱きかかえる。
「無理しないでください。色々聞きたいことが互いにあると思いますが、今はゆっくり休んでください」
するとそのまま横にゆっくりと押し、優しく床に寝かせてくれる。
(――! なんという……! 神聖……!)
この青年はただの旅人では無いだろう。
神や精霊に気に入られ、その力を行使することが出来る程に徳を積んだ人間――聖人なのだろうか。
だとすると、あの五人を圧倒する程の力を持つことも、納得がいく。
本来なら、虫の息であるイルエスを害することで、この城は娘のイルミナを残し、誰も居なくなる。
崩落寸前とはいえ、資産は少なからずある。
城の主はもはや居ないも同然なのだから、持って行くには好都合だろう。
それなのに、この青年はイルエスを介抱してくれている。
よほどの善人――聖人君主でなければ、このようなことは出来ないだろう。
(私は……私の娘と共に……救われた)
そう切に感じると、イルエスは瞳から涙を一雫流す。
(私はもう長くはないが……イルミナは違う。あの子が生き残れる活路がほんの少し見出せた。なんという幸運か……)
「ありがとう……ございます……」
そう言った後、意識が微かに薄れていくのを感じる。
(……今はこの寛大なお方のお言葉に甘え、少し休ませてもらおう)
イルエスがそう感じた瞬間――
「お父さあああああああん!」
という強烈に大きな声と共に、イルエスの娘――イルミナが走ってきて、両手に持った花瓶で青年を力一杯思いっきりぶん殴る。
ズガンッ!
「ぐはああぁぁ!?」と悲鳴をあげた後、その青年は前のめりにドサリと床に倒れる。
(えぇ……娘よ……それはないんじゃないか……? あぁ……命の恩人に対して、なんてことを……)
イルエスは恩を仇で返してしまった娘を大層悲観しつつも、それを嗜める気力はもう残っておらず、意識を手放してしまうのだった。