3
◇◇◇
それから数日後、私はクロエに会うために、孤児院へ向かった。
クロエはいつも通り子供たちを相手にしていたが、私を見ると、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「リリ!」
「クロエ。その……少し話がしたいのだけど、良い?」
「……もちろんよ」
私の曇った表情を見て、何の話題か察したのだろう。クロエは少しガッカリしたような顔をしたが、すぐに気を取り直したように笑顔を見せた。
二人で孤児院の外に出る。扉の前にある五段ほどの階段に腰を下ろした。
少し離れた場所では、ケイトさんが箒を持って、掃き掃除をしている。それをなんとなく見つめながら私は口を開いた。
「アルに、ウィルフレッド殿下のこと話したわ」
「ほ、ほんと!?」
驚き身を乗り出すクロエに私は頷いた。
「ええ。アルは私の目の前で、ウィルフレッド殿下におっしゃって下さったわ。あなたに無理強いはしていないかって。その、出過ぎた真似だと思ったけど、私も言った。でも、ウィルフレッド殿下は本気にはとって下さらなくて……」
「そう……」
私の話を聞き、クロエが小さく息を吐く。それがまるで全部を諦めてしまったような音に聞こえ、無力な自分が情けないと思った。
「ごめんなさい。もっと、力になれれば良かったのだけれど」
項垂れながらも謝罪の言葉を紡ぐと、クロエが驚いたように私を見た。
「どうしてリリが謝るの? リリは私のために頑張ってくれたのに、謝る必要なんてないわ」
「でも、結果を出せなかったわ」
それでは何の意味もない。だが、クロエは力強い言葉で否定した。
「そんなことない。だって最初から無理かもって話は聞いていたし、私も覚悟していたもの。それにウィルフレッド殿下、話は聞いて下さったのでしょう? それなら何もないよりよほどましよ」
「そう……かしら」
「ありがとう、リリ。私の為に頑張ってくれて。アラン殿下にもお礼が言えれば良いんだけど……」
「アルには私から話しておくわ」
そう言うと、クロエは頷いた。
「そうね。お願いするわ」
「……遠乗り、大丈夫?」
力になれなかった私が尋ねるのもどうかと思ったが、気になるものは気になるのだ。
窺うように聞くと、クロエは力なく笑った。
「……ええ。リリたちが頑張ってくれたのだもの。私も頑張らなくちゃ」
「……本当にごめんなさい」
「だから、謝らないで。どのみち、行かないなんていう選択は私にはなかったんだから。一日、たった一日我慢すれば済むだけの話よ」
クロエの言葉は、まるで自分に言い聞かせているように聞こえた。
クロエがもう一度溜息を吐く。そうしてぱんっと自分の頬を叩いた。
「ああもう、この話は終わりにしましょう! ええとね、リリ。私もあなたに報告があるの。この間言った通り、もう一度ソラを呼び出してあなたのことを聞いてみたんだけど……」
「えっ……」
まさかもう聞いてくれているとは思わなかった。驚いてクロエを見ると、彼女は大きく頷いた。
「あなたのためにできることだもの。やるに決まってるわ。……最初は、ソラ、いくら呼んでも出てこなかったんだけど、日を置いたら応じてくれるようになったの。それで、どうして逃げたのかってはっきり聞いてみたんだけど」
「ええ」
ゴクリと唾を呑み込んだ。
一体何を言われるのか。この答えにより、今後の自分の進退が決まるような気持ちにさえなった。
「嫌いなものが側にあったら、出て行きたくても行けないって、ソラはそう言ったわ。あなたと一緒にソラを呼んだ時、どうやらソラが嫌いなものがあったらしいんだけど……」
「嫌いなもの? それって何なの?」
一番聞きたいところだ。答えを求めてクロエを見ると、彼女は首を横に振った。
「ごめんなさい。そこはどうしても教えてくれなかった。話題にもしたくないってそんな感じで。取り付く島もないっていうのはああいうのを言うのね」
「そう……」
精霊が嫌いなもの。そう考え、もしかしてそれは私ではないかと思い当たった。
「……私が、嫌われてる? ううん、でも……」
一瞬、マイナス思考に陥りかけたが、思い出した。
だって、アルの呼んでくれた精霊は私を見て「契約できる」と言ってくれたのだ。それを信じるのなら、私が彼らの『嫌いなもの』に当てはまるとは思えない。
「……なんなんだろう」
精霊の嫌いなもの。
全く見当もつかなかった。
「どの精霊も嫌いって思っているのかしら」
クロエの精霊は嫌がった。でも、アルの精霊は普通に出てきてくれたことを思い出せば、精霊には個人個人好みがあると考えた方が良いのかもしれない。
それとも、アルの時には嫌いなものはなかったのだろうか。
分からないと思いつつ首を傾げていると、クロエが言った。
「ごめんなさい。聞いておく、なんて偉そうなことを言ったわりに、碌な情報を得られなかったわ。もっとリリの力になれると良かったのに」
その言葉に私は笑った。
それでは先ほどの私と同じではないかと思ったのだ。
「そんなことないわ。クロエが聞いてくれてとても助かった。だって、嫌いなものがあったから、出てこられなかったってクロエの精霊は教えてくれたのだもの。それが私の契約に関わっているのかは分からないけれど、なんのヒントもないよりよほどマシよ」
嫌いなものが何かをまずは調べれば良い。そしてそれが私の契約時にあったのかどうかを確認するのだ。もしあれば、それが私の契約できない原因だと分かるから、取り除けば良いだけだし、なければ違う要因だったということになる。残念だが、一つ可能性を潰せるのだから、確実に一歩前に前進している。
私はクロエに向かい、はっきりと言った。
「ありがとう、クロエ。今の私には十分すぎる成果よ」
「本当に?」
「嘘を吐いてどうするの。私より、よっぽど役に立っているわ」
「……そういう言い方は止めて。リリも頑張ってくれたわ」
「ええ。そうね」
自分が役に立てたとは思わないが、そう言ってくれるクロエの心が嬉しくて頷く。
ああ、やっぱりクロエと友達になれて良かった。
そして同時に、大事な友達であるクロエが不本意な遠乗りに連れて行かれるのを黙って見ているわけにもいかないとも思った。
――だって私は、次は絶対にクロエを見捨てないと決めたのだから。
「……私、絶対にクロエを助けるから」
小さく呟いた決意は、幸いにもクロエには聞かれていなかった。




