第一章 ルーク
「お帰りなさいませ、お嬢様」
実に疲れる見合いを終えて公爵家に帰ると、玄関扉の前に私の執事が立っていた。
ルーク・フローレス。
本人の申告通りなら十四歳。
私より少しだけ背の高い、銀色の髪、緑の瞳の少年だ。髪は長く、邪魔なのか後ろで一つに括っている。
彼はいつも公爵家から支給される黒い執事服を着ているのだが、十四歳という年にもかかわらず、年嵩の執事たちに負けないほどに制服が似合っていた。
もう、五年も着ているのだからおそらくは見慣れたのだろう。
両親を流行病で亡くし、身よりもいなかった彼は五年前、住んでいた家すら追い出された。
寒い冬の朝、屋敷の前で行き倒れになっているのを私が偶然見つけてから、彼は私専属の執事として、ここで働いている。
「お茶が飲みたいわ。ジャスミンの白茶を淹れてくれる?」
「……かしこまりました」
視線を合わせることなく命令をすると、ルークは綺麗に頭を下げた。
銀色の髪が揺れる。顔を上げたルークは、五年前に初めて見た時より成長しているものの、相変わらずとても可愛らしい顔をしていた。
私が彼を拾ってもいいと思ったのは、彼が幼いながらに整った顔をしていたから。ただ、それだけだ。もし彼が不細工なら、そのまま放っておいただろう。
その頃私は父に『そろそろ専属の執事を選べ』と打診されていた。だが、屋敷にいる執事は皆、年がいっているし、顔も好みではない。
専属の執事をつけるのなら、好み顔の者がいい。そう思っていたところに偶然見つけたのが彼だった。
「私の執事になって、一生私に仕えるって誓えるかしら? 私のいかなる命令にも逆らうことは許さない。それを誓えるのなら、今、あなたのいるどん底から拾ってあげる」
にこりと笑いながら地面に倒れている彼に声を掛ける。彼は分厚いコートを着込み、自分を見下ろす私を見て、顔を歪め、唇を震わせながらも言葉を紡いだ。
「誓います。ですから……助けて下さい」
「良いわ。なら、今日からあなたは私のものよ」
そうしてルークは私の執事になった。
彼は私の執事で私のもの。私が死ねと言えば死ぬ存在。
彼の生殺与奪を握っているのは私。
それを私は当然だと思っているし、ルークもそれを受け入れている。
だって、私がいなければ彼は間違いなくのたれ死んでいたのだ。その命を拾ったのだから、あとは私の好きにして良いだろう。
私にとってルークとはそんな存在。
側にあって当然。いないなんて許されない。
私の欲しいものを先回りして用意し、常に私を満足させる存在でいなければならない。
それが拾われた者の使命だろう。
それなのに――。
ルークは私という存在が怖いのか、いつもビクビクと私の顔色を窺っていた。
優秀は優秀なのだが、その態度が腹立たしい。
まるで私が怖いものであるかのように振る舞う彼が許せず、私はなにかあるごとに彼に当たっていた。
そして今日も。
ただ、お茶が飲みたいと言っただけなのに身体を震わせている彼が苛立たしく、私はいつものように彼を叱ってやろうと口を開き掛けた。
「あなたねえ――」
「ひっ!」
ビクリと身体を竦めるルーク。彼は私から顔を背け「すみません、すみません」と何度も謝罪の言葉を繰り返していた。
「え?」
その姿を見て、初めて私はおかしいことに気がついた。
私は彼に手を挙げたことなどない。なのにどうしてこんな態度を取られなければならないのだろう。これではまるで、常日頃から彼が暴力でも振るわれているかのような態度だ。
あり得ない。だって私は彼の命の恩人で、しかも仕事まで与えた優しい主人だというのに。
懐かれ、敬愛されこそすれ、こんな態度を取られていいはずがない。
だけど思い返してみれば、いつもルークはそうだった気がする。
必要以上に私に怯え、竦んでいた。
――どういう、こと?
今まで一度も気に留めたことすらなかった事実に気づき、私は愕然とした。
そうして思い出したのは、先ほど聞いたばかりの第二王子、ウィルフレッドの言葉。
『自分が一番でないと気が済まない、傲慢な、最低女』
「っ!」
思わず唇を噛んだ。強く噛みすぎてしまったのか、血が滲む。
「リ、リズ様?」
いつもなら、ガンガンと激しく言葉をぶつけてくる私が急に黙り込んだのが気になったのだろう。ルークが怖ず怖ずと話しかけてきた。
「えと……どうなさいましたか? ご気分が優れない、とか?」
「……」
気分が悪く無ければ私は黙ったりしないのだろうか。
一瞬、そんな風に言い返しそうになったが、それも我慢する。
今は、ルークの相手をしている場合ではないのだ。
私は気を取り直すように首を振り、ルークに言いつけた。
「……何でも無いわ。とにかくお茶を持ってきてちょうだい。それだけよ。あ、そうだ。お父様とお母様は? 帰宅の挨拶がしたいのだけれど」
「……旦那様は、本日は奥様とご一緒に領地の見回りをなさっています。あと数時間もすればお戻りになるかと」
「そう、ならそのまま部屋に戻っても良いわね」
「はい。お戻りになれば、お知らせ致します」
「お願いね」
あからさまに『どうしたのだろう』という顔をしてくるルーク。そんなに私はいつも怒っているとでも言いたいのだろうか。
気分が悪いと思いながらもそれ以上は何も言わず、自分の部屋に戻り、メイドを呼んで着替えを済ませた。
人払いを済ませ、ルークに用意させたお茶を飲みながら、ぼんやりと考える。
ルークは、明らかに私に対して怯えていた。
それを今まで私は、ただ顔色を窺って鬱陶しいとしか認識していなかったが、もしかして彼の態度があんな風なのも、私が、最低な女だから、だったりするのだろうか。
「だとしたら……これも改めなくちゃ」
ウィルフレッド王子に見返すために、完璧な令嬢になるのだと決めたのだ。関係ありそうなものは全部変えていかねばならない。それが、たとえどれほど大変なことであったとしても。
私は、あの男に侮られたまま終わるつもりはないのだから。
「だけど、どうすれば良いのかしら……」
今までの自分とは変えてやると意気込んでは見たものの、具体的な方策があるわけではない。
ルークへの態度も、どう変えるのが正解なのか分からないし、結局身動きは取れないままだ。
「……明日、アルに相談してみよう」
自分の何が悪かったのか、素直に尋ねてみよう。
彼は私が変なことを言っても気にしないと言ってくれた。それどころかおかしいなら指摘してくれるとまで言ってくれたのだ。
彼を、アルを信じてみよう。
「そうね。気持ちは焦るけど、行動するのならちゃんと聞いてからの方が良いわ」
本音を言えば、今すぐルークに「今までの私とは違うのよ!」と高らかに言ってやりたい。
だが、それが間違っていることは分かるから、全部纏めて明日、アルに聞いてみようと思った。