ヴィクター
「これは……参考にはならないか……」
城にある図書室。分厚い専門書を閉じた。眼鏡を外し、こめかみを指でそっと押さえた私は、疲れを逃がすよう、小さく息を吐いた。
◇◇◇
――ヴィクター・ベルトラン。
ベルトラン公爵家の長男。これが私の立ち位置だ。
幼い頃から厳しい教育を受けた私は、何不自由なく成長し、大人になった。
次期公爵という肩書きに負けることなく己を鍛え上げてきた私。そんな私ではあったが、実は、誰にも言いたくない悩みがあった。
それが、家族だ。
私には、家族がいる。
父と母。そして、弟と妹。長男の私を含めて五人家族。
見目の良い両親から生まれた私たち兄妹は皆、驚くほど整った顔立ちをしていた。
高い爵位に生まれ持った美貌。それが良くなかったのだろうか。
幼い頃は何とも思わなかった私の家族。だが、成長するにつれ、彼らはどんどんおかしくなっていった。
まずは、弟のユーゴ。
幼い頃は、「兄上」「兄上」と私の後をついてきた弟は、気づけば極度の『美しいもの好き』になっていた。
美しいものをこよなく愛し、自分の認めた美しいものを侍らせる。
公爵家の金を浴びるように使い、気に入りの茶器を買い、絵画を買う。両親に報告さえせず外国から高価なピアノを買ったと聞いた時には眩暈がした。
そんな弟は、外の世界に興味を持たず、自分で作り上げた箱庭の中でいつも幸せそうに笑っている。
自分を持ち上げてくれる見目の良い者たちに囲まれ、毎日茶会を開き、貴族の務めすら果たさず屋敷に籠もり、厭世的な生活を送っている。
私も何度も弟に注意をしたが、彼が聞き入れることはなく、目を背けたくなるような生活が続いていた。
もう、お手上げだと思った。
次に妹だ。
妹も弟と同様、綺麗なものが好きだった。その程度は、弟よりはマシで、それだけなら目を瞑ることもできたのかもしれない。
だが、妹は別の意味で弟より酷かった。
可愛い一人娘だと両親が甘やかして育ったせいもあるのだろう。
妹は、酷く傲慢で高慢。自分が一番でなくては気が済まない最低な人間へと成長した。
自分の周りに取り巻きを侍らせ、己が一番だと主張するようなお茶会を開く。
弟も大概だったが、妹を見たあとでは可愛いものだとしか思えなくなった。
弟は自分の内側で基本的に完結しているのだが、妹の場合は逆。外に己を主張するタイプなのだ。
正気を疑うような甲高い笑い声。まだ成人もしていないというのに、目を疑いたくなる派手なドレスに高価な宝石。
弟と、それ以上に湯水のごとく家の金を使う妹は、全くそれを悪いと思ってはいないようだった。
「だって、私は美しいのだもの。これでも遠慮しているくらいだわ」
取り巻きの令嬢たちにそう言っているのを偶然聞いた時には耳を疑った。
このまま社交界デビューをすれば、一体妹はどうなるのか。
今はまだ、取り巻きを侍らせるだけだが、そのうち他の令嬢たちに攻撃をし始めたりはしないだろうか。自分がただ気に入らないからと、取り巻きを使い、排除するような真似をしないだろうか。
妹を見ていると、しないとは、とてもではないが思えない。
そんな妹だというのに、両親は殊の外妹を可愛がっていた。
金を無駄に使っても怒るどころか、もっと使っても構わないのだと甘やかす始末。それについては弟も同じで、両親が子供を愛しているのは理解できるが、正直に言えば我が親ながら常識を疑った。
ここは公爵家の子供とも思えない行動を取る二人を諫めるところではないのか。
それとも泳がせておいて、あとできつい仕置きでもするつもりなのか。
いや、うちの両親に限ってそれはない。見合いではあるが、仲の良い二人は、私を含め己の子供にひどく甘い。
悪い親ではないし、特に何か悪事を働くようなこともないのだが、ひたすら己の子供に甘いのだ。
それが駄目なことだと分かっていても「あなたがそうしたいのだったら」で済ませてしまうし、もし、何か起こったとしても全力で子供を庇うのだろう。
――たとえ、自分の子供が全面的に悪かったのだとしても。
我が親ながら反吐が出る。
そういう家族だから、私は徐々に彼らと距離を取るようになっていった。甘いだけの親に、引き籠もりの弟。甘ったれの高慢な妹。私はもはや彼らを家族だと思いたくなかったのだ。
成人してからは、城に務めるようになったが、家族の顔を見たくなくてできるだけ城に残るようにした。同僚に、家族の話題を出された時には、二度とその話題を振ってくれるなと、少々きつめに話させてもらった。
そのうちに、私に家族の話を振るのはタブーだと、私が家族を忌み嫌っているのだという噂が広まり始めた。
別に、嘘ではなく真実なのだからどうでもいい。特に訂正もせず、私は相変わらず家族と距離を置き、仕事に励んだ。
あと数年もすれば、私も結婚し、爵位を継ぐことになるだろう。そうしたら両親には引退してもらって、所領にでも行ってもらい、愚かな弟と妹は屋敷から追い出してしまおう。それまでの我慢だと自分に言い聞かせていた。
早くその日が来ると良い。その日のために頑張ろう。
その為には、まずは結婚しなければならなかったが、ここで私は重大な問題に行き当たってしまった。
――女が、駄目なのだ。
普段の生活に支障はない。夜会で女性のエスコートもできる。だが、女性と付き合う、結婚すると想像すると、何故か吐き気が込み上げてきたのだ。
これには自分でも驚いた。
元々、家族のことがあり、私はわりと人嫌いなところがある。それは自覚していたから、今までそこまで親しい友人は作らなかったし、女性と付き合うこともしなかった。
だから気づかなかったのだ。
私が、女性に苦手意識を持っているということに。
想像しただけで吐き気がするのだ。本当に付き合ったり結婚することになったりすればどうなるか。それは火を見るより明らかだった。
――まずい。
これでは結婚などできるわけがない。
問題に気づいた私は、父の持ってくる見合い話を、何かと理由を付けて断った。
女性が苦手だとは言わなかった。言えば、下手をすれば嫡子の権利を失ってしまう。
爵位を継ぐ限りは、必ず子孫を残すことを求められる。それができないと知られれば、次男に爵位を譲ることを検討しかねない。そんなことになれば、私の計画は台無しだ。
――なんとか、女性に慣れないと。
これは死活問題だ。あと数年は、のらりくらりと躱し続け、結婚を回避することも可能だろう。だが、それ以上は待ってはもらえない。
それまでになんとか結婚生活を送れる程度に女性になれる必要がある。
決意を固め、私はそれから、できる限りの努力を行った。
やれることは何でもした。
――だけど、どれも上手くはいかなかった。
何を試そうとしても、『女性と付き合う』『女性に性的に触れる』と思うだけで、鳥肌が立ち、吐き気が込み上げてくるのだ。これでは試す前から失敗しているのも同然。
「どうすればいいんだ……」
行き詰まっていた。このままでは本当に、あの愚かな弟に嫡男の権利を奪われてしまう。
毎日が苛々していた。城では平静を保てていたが、屋敷に戻れば我慢ができない。
弟を見れば苛つくし、おそらく私の女嫌いの理由となった妹など視界の端にさえ入れたくなかった。
そんな地獄のような日々の中、突然、妹が妙な行動を取り始めた。




