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彼女こそが、弟に『悪役令嬢』と断言された人物。
弟に最低だと断じられているところを聞いてしまったのだろう。相当にショックだったのか、今も僕には気づかず一人悲しげに嘆いている。
その姿は実に痛々しく、本当に彼女が弟の言うところの『悪役令嬢』なのかと思ってしまった。
――こんなに可愛くて綺麗な人が、『悪役令嬢』であるはずがないだろう。
弟の言う『悪役令嬢』は本当に最低な人物なのだから。
大体、本当に『そう』なら、こんなに可愛らしく嘆いていたりするはずがない。
完全に彼女に一目惚れしていた僕は、彼女が――リズ・ベルトランが最低な人物であるなどと思いたくなかったのだ。
だから、声を掛けた。
そして、『悪役令嬢』のなんたるかも知らない彼女に、そうならないように協力しようと申し出た。
半分は善意だったが、もう半分は打算だった。
だって、僕は彼女が『悪役令嬢』になるところなんて見たくない。
こんなに可愛いのだ。可愛いままで、将来的には僕に嫁いで来て欲しい。
身勝手な願いだが、彼女も『悪役令嬢』は嫌だと言っているのだ。どちらにも利のある話なのだから構わないだろうと思った。
彼女の同意を取り付け、これから一緒にいるのに都合が良いからと言いくるめて、婚約者となることを了承させた。
気が進まない様子の彼女を見て、これは外から固めてしまった方が早いと考えた僕は、そのままの勢いで彼女を父の元へと連れて行った。
さっさと正式な婚約者になってしまえば、彼女も逃げられない。そう考えたのだ。
――ま、逃げようとしたって、逃がすつもりはないんだけど。
彼女と交流を深め、いずれは僕の妻となってもらおう。
「兄上?」
彼女――リリとの楽しい未来を想像して笑みを浮かべていると、後ろから声が掛けられた。
聞き慣れた声に、僕は笑顔で振り返る。
「やあ、ウィル」
思った通り、僕に声を掛けてきたのは弟のウィルだった。双子ではあるが、僕と弟はそこまで似ていない。僕の方が少し背が高く、だけど弟はその分体つきがしっかりしている。弟はキョロキョロと周りを見回し、不思議そうな顔をする。
「こんなところでどうしたんだ? あれ? リズ・ベルトランは? 見合い中じゃないのか?」
「ああ、リリなら今さっき、馬車に乗って屋敷に帰ったよ。僕は見送りをしていたんだ」
「帰った? そうか。で? どうだった?」
興味津々という顔をして僕を見てくる弟。僕は苦笑しつつも弟に言った。
「ここでは話さないよ。聞きたければ、僕の部屋に来ると良い」
誰がどこで聞いているのかも分からない。僕の言葉を聞き、頷いた弟は素直に部屋まで着いてきた。
部屋に入り、ソファに腰掛けると、早速とばかりに腰を浮かせて聞いてくる。
「で? リズ・ベルトランの話! な、すごかっただろ? なかなかに性格の悪い女だと思わなかったか? あそこまで酷いと、呆れを通り越してあっぱれって感じがするんだけど! 兄上には悪いけど、あの突き抜けた悪役令嬢ぶり、オレ、嫌いじゃないんだよなあ」
目が楽しげに輝いている。
これで弟に悪気がないのだから、リリが可哀想だなと思ってしまった。
そう、弟に悪気はないのだ。彼も言っていた通り、リリに対し悪い感情を抱いているわけでもない。ただ、彼にとっての事実を述べているだけ。ある意味、性質が悪いとも言える。
僕は軽く首を横に振り、弟に言った。
「お前の意見には賛同しかねるかな。リリは可愛らしい女性だったよ。お前の言う『悪役令嬢』にはとてもではないが見えなかった」
「は? それ、本当にリズ・ベルトランか? っていうか、リリって……兄上、あの女のことを愛称で呼んでいるのか? 今日は顔合わせだけのはずだろう?」
「ああ、正式に婚約することに決めたからね。互いに愛称で呼び合うくらいは普通だと思うけど」
「はあ?」
弟があんぐりと口を開け、僕を凝視してくる。その目が信じられないと言っていた。
「もう婚約? いや、確かに最終的に婚約者になるのは流れだけど……にしても早すぎないか?」
「……お前の話では、どうせ僕とリリは婚約者に納まるのだろう? それなら多少早かろうが問題ないと思うけど」
「それはそうだけどさあ……ええ? 意外とアランとリズは仲が良かったのか? 幼い頃の話なんて大抵はゲームの中でチラッと語られるだけだからなあ。うー、わからん」
腕を組み、弟は難しい顔をして唸った。その弟に、声を掛ける。
「別にどうでも良いだろう。とにかくだ。僕はリリと婚約した。それでだ、ウィル、お前に聞きたいことがある」
「オレに?」
「ああ」
なんだろうとこちらを見つめてくる弟に僕は言った。
「お前の話。特にリリについてもっと詳しく知りたいんだ。大事な婚約者のことだし、何か知っているのなら教えて欲しい」
「オレの話を真面目に聞いてくれる気になったのか!?」
「真面目に、というか、僕が知りたいのはリリのことだけなんだけど」
弟の与太話を真面目に聞いていたら日が暮れてしまうし、自分の感覚がおかしくなってしまいそうな気さえする。
知りたい情報だけをくれればいいと思ったのだが、案の定弟は暴走した。
「兄上のためなら、いくらでも! やった! 兄上がその気になってくれたのなら、ヒロインルートは間違いなく兄上のものだな! よっし! アラン×ヒロイン!! オレの最推し!! くぅぅぅぅ!! この目で見られるのか! 最高!!」
「……ウィル、頼むから理解できる言語を話してくれ」
とてもではないが、同じ国の言葉を話しているとは思えない。
だが、すっかり上機嫌になった弟は、彼の知っているリリについての色々なことを語ってくれた。
必要の無い話もされたがそこは自分の中でカットしておくことにする。
中にはあり得ないと眉を顰めたくなるような話もあったが、真偽はともかく情報を得ることに成功した僕は、弟に向かってにっこりと笑いかけた。
「ありがとう。これで、僕の望みを叶えられそうだよ。また、聞いても構わないかい?」
弟の言ったことが真実になるとは思っていない。
だが、弟の話を利用すれば、リリと交流を深めることができるだろう。それが僕には何より大事だった。
「もちろん! いつでも、なんでも聞いてくれよな。兄上とヒロインがくっつくところを見るためなら協力は惜しまないぜ!」
「頼もしいね」
僕が結婚したいのは、名前も知らない未来を約束された『ヒロイン』ではなく、『悪役令嬢』なんて嫌だと、意味も知らずに泣いていたリリなのだけれど。
勘違いしてくれているのは情報を引き出すのに都合が良いので、そのままにしておくことにする。
――分かっている。僕は大概、性格が悪い。
変なことは口走るが、基本素直な弟や、感情が読み取りやすいリリとは違い、腹の中での企み事が得意な自分に嘆息しつつも、欲しいものがあるのだから利用できるものは利用しようと、心の中で決意した。