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 ――と思っていたのだが、そう上手くはいかないのが人生だ。

 それを僕は痛いくらいに実感していた。


「兄上! 兄上!」

「何? 見ての通り、僕は忙しいのだけど」

「ちょっと話を聞いてくれよ」

「……はあ」


 羽根ペンを置いた。

 執務中にもかかわらず、執務室に遠慮なく入ってきたウィルは、僕の側に来ると、満面の笑みを浮かべ、両手を大きく広げた。


「クロエの精霊契約イベントに参加できることになった」


 期待に満ちた目を見て、これは聞いて欲しいのだなと思った僕は、うんざりしつつも口を開いた。


「へえ」


 思った以上に、興味のない乾いた声が出た。さすがの弟も口の端を引き攣らせる。


「兄上! ポーズだけでも良いから、せめてもう少し興味のあるふりをしてくれよ!」

「……実際、興味がないのだから仕方ないじゃないか。僕は執務とリリのこと以外を考えたくないんだよ」

「やっべ。兄上が思っていた以上に恋愛脳だった。ウケる」

「……ウィル。僕は忙しいんだ。このままUターンして、部屋に戻ってくれても僕は全然構わないんだよ?」

「申し訳ありませんでした、兄上。是非、話を聞いて下さい」


 ジロリと睨むと、ウィルは慌てて居住まいを正した。


「……」


 本当なら関わりたくない。だが、ウィルの狙いの令嬢『クロエ・カーライル』はリリの友人だ。リリのためにも弟が何をしているのかくらいは把握しておいた方が良いかと思い、僕は重い口を開いた。


「で? 今度はどんな強引な手を使ったのかな? カーライル嬢を泣かせたりはしなかっただろうね? 頼むから、これ以上王家の印象を下げないでくれよ。人のイメージというのは下げるのは簡単でも、上げるのは難しいんだ」

「兄上はオレを何だと思っているんだよ」

「? そろそろ医者に相談するべきかなと、真面目に考え始めているけど?」


 半ば本気で告げると、ウィルは「勘弁してくれよ」と嘆いた。


「オレは正気だって! それに兄上と約束しただろ。ちゃんと、手順は守った。伯爵にだって連絡を入れたさ。娘さんと婚約を前提に付き合いたいって!」

「……まあ、それなら」


 正規の手段である。カーライル嬢がどう思っているかはおいておくが、方法としては後ろ指を指されることはないだろう。そのことにホッとした。


「で? お前の話からして、その彼女は精霊に適正があったということかな?」

「そう! しかも珍しい光の精霊属性だぜ! その契約する場に、オレも呼んでもらうことができたんだ! さっすがオレ。着々とイベントをこなしてる。クロエがオレにメロメロになる日も近いってものさ!」

「……そうか……カーライル嬢は精霊に適正があるのか」


 はしゃいでいる弟には悪いが、僕はリリが落ち込んでいないかが気になっていた。

 リリは前回、理由は不明だが、精霊契約に失敗してしまった。そのことに深く傷つき、僕と結婚できなかったらどうしようと涙ぐんでさえいたのだ。

 そんな彼女が、友人の精霊契約の話を聞けばどう思うだろう。

 表面上は「おめでとう」と「応援する」と笑顔で言うだろうが、内心では落ち込んでいるに決まっている。

 彼女は弟とは違い、繊細な女性なのだ。

 友人の適正の有無をリリが聞いたのかは分からないが、それでも今すぐリリに連絡を取って、慰めてやりたい気持ちに駆られた。

 気にする必要はない。人それぞれ、自分のペースがある。僕たちはゆっくり確実に歩んでいけば良い。僕は、君以外と結婚する気はないのだから、どんと構えておけば良いと、抱き締めて、そう言い聞かせてやりたい。


「……」

「なあ、兄上、聞いてる?」

「ああ」


 心ここにあらずではあったが一応返事をする。だがウィルはそれでも満足したらしく、ベラベラと話し続けた。


「このイベントを終わらせたら、いよいよデートイベントかあ。それまでに小さなイベントもあるし、頑張らないとな。ヴィクターに邪魔されるわけにはいかないし……」


 ヴィクターという言葉を聞き、パチパチと目を瞬かせる。

 弟は、この間から随分とヴィクターを気にしていたが、余計なことをしていないか本当に心配だ。

 ヴィクターは優秀な男で王家としても失えないし、僕も彼を気に入っている。そして何よりリリの実の兄なのだ。

 弟が何かしでかさないか、本気で不安だった。


「……ウィル。ヴィクターは何も関係ないんだ。あまり敵視しないように」


 真面目に忠告したのだが、ウィルは眉を寄せ、不愉快そうな顔をした。


「はあ? オレのルート入りの邪魔をしているのはヴィクターだろ? 敵視するっつーか、ライバルだと思って当然じゃないか」

「……ヴィクターはお前とは違って、恋愛には興味がないよ。彼の興味は今、家族にしかないからね。恋愛にまで頭が行くとは思えない」


 半年ほど前まで、ヴィクターは家族を毛嫌いしていた節があった。そのせいか、殆ど城にいて、仕事三昧だったし、家族の話題が出れば、冷徹な視線で黙らされた者も多かった。

 だが、リリの頑張りがあり、彼は少しずつではあるが、家族へ興味を持つようになっていったのだ。

 屋敷に戻る時間が早くなった。休みの日には休むことを覚えた。

 リリの話によれば、最近は、二日に一回は兄妹でお茶を楽しむようにもなったらしい。

 信じられない変化だ。

 普段の彼の様子も、見る者が見れば変わったと分かる。以前よりも柔らかな雰囲気を纏うようになったヴィクターは、自然に笑うことが増えた。

 神経質そうな、優秀だけど、どこかいつも苛々しているように見えた冷たい印象は最近では鳴りを潜め、とっつきやすくなったと皆からは好評だ。

 僕と話す時も、以前は「妹に迷惑を掛けられているのではないか」ということばかりを聞いてきたのに、最近では「アレも最近は変わってきたので、何かあっても長い目で見て欲しい」と、妹を擁護するような発言に変わった。

 これは駄目だと見捨てかけていた家族が少しずつ良い方向へ変わっていくのをヴィクターは、最初は疑いつつ、これは本物だと思った今では嬉しく思いながら見守っているらしい。

 今の彼の一番は家族だ。手放すしかないと決意しかけていたものが戻ってきたのだから、当たり前かもしれないが、家族をとても大事にしている。

 弟のユーゴ、妹のリリ。そしてこの二人と過ごすようになったことで、両親も以前より深く彼らに関わってくるようになった。

 ヴィクターが諦め掛けていた『家族』が戻ってきた。それは彼にとっては歓迎すべきことで、今はそれに夢中なのだ。恋愛など、どこにも入る隙はなかった。


「だからお前も、見当違いの敵視など止めて――」

「は? ヴィクターの興味が家族? 何言ってんだ、兄上」

「え?」


 僕の言葉を句切り、弟が怪訝な顔をする。


「ヴィクターのルートは、ヒロインが彼が見捨てざるを得なかった家族の代わりになるってやつだぜ? 妹と弟のあまりのひどさ。その二人を好きなようにさせる両親への不審。そういうのから家族に嫌悪感を募らせたヴィクターをヒロインが救う話だろう? ヴィクターが家族を大事に、なんて絶対にあり得ねえって」

「……何を言っているのか分からないが、ヴィクターは家族と仲が良いよ。リリはもちろんのこと、弟のユーゴともよくお茶をしていると聞いている」

「嘘だろ? あの人間不信が? え? マジで?」

「……」


 黙って頷くと、ウィルは愕然としながら言った。


「ええ? 悪役令嬢だけじゃねえの? そこでも話変わってんのかよ……止めてくれよ。こっちは忠実に再現してんのに……変えられるとこっちも色々大変なんだよ……」


 はあ、と溜息を吐いた弟は、そのあと何故か閃いた! という顔をした。


「そうか! そういうことか!」

「ウィル?」

「そっか! ヴィクターが家族を嫌ってないってことは、そもそもヴィクタールート自体が存在しなくなるってことだよな! だってメインの家族話が出ないってことなんだから。つーことは、ヴィクタールートは消滅? そっか、それならアイツのこと気にしなくても良いのか!」


 うんうん、と一人分かったように頷き、弟はウキウキと言った。


「兄上! 良い情報を教えてくれてありがとな! おかげでヴィクタールートがなくなったって確信できたよ。……ライバルにならないなら、気にする必要ないもんな。うん、ヴィクターも良かったんじゃないかな。あいつはヒロインとくっついた後も、どこか家族に対し、未練を抱いていたようだし。今の方があいつにとってはハッピーエンドだよな! で、オレがヒロインをもらう、と! やっべ、これが俗に言う、WIN WINてやつ? 悲しむやつがいない最高の結末じゃねえ!?」

「……」

「ようし! 俄然やる気出てきた! 待ってろ、クロエ! オレがちゃんとお前をオレのルートに入れてやるからなー! 幸せにするぞー!」


 やる気に充ちた弟の表情に、何故だろう。嫌な予感しかしない。


「ウィル、お前――」


 一応、もう一度注意しておこう。そう思ったが、ウィルが先に口を開いた。


「オレ、今からルートの確認しなきゃいけないから、部屋に戻るわ! 兄上、仕事頑張ってくれよな!」


 嵐のような勢いでやってきたと思ったら、同じく嵐のような勢いで去って行った。


「……ふう」


 僕一人になった執務室。大きく息を吐く。弟がいた時間は、そう長くないが、酷く疲れた心地だった。


「……リリに会いたいな」


 こういう時、可愛い恋人の顔を見たいと強く思う。

 リリと会えば、きっとこの気分の悪さもすっきりするに違いないから。


「前に約束したし、城に誘ってみようかな」


 僕が会いに行くのも楽しいが、恋人と城内を歩くのも悪くない。

 そう考え、僕は仕事は一旦置いておくことにし、机の引き出しから彼女とのやりとりに使っている便箋を取り出した。


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