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◇◇◇
「こんにちは、リリ。今日はお誘いありがとう!」
「いらっしゃい、クロエ」
夜会から一週間ほど経って、約束通りクロエが屋敷に遊びに来た。彼女は孤児院で会う時とは違い、盛装に近い格好で馬車を降りた。
公爵家に行くということで、それに応じた格好をしてくれたのだろう。私もそれなりにドレスアップして彼女を出迎えた。
互いに社交界デビューを果たした身。これは最低限のマナーだ。
淡いピンク色のドレスを着たクロエはとても可愛らしい。彼女は顔立ちも優しいから、ふんわりとした雰囲気と相まって、女性である私から見ても、庇護欲をそそられる。
キツい顔立ちをした私とは正反対だ。
私もクロエほどではないが、それなりに可愛らしいドレスを着ていた。だが、クロエと比べると月とすっぽん。
こうしてドレスを着ると、その違いが浮き彫りになり、なかなかに切ない気持ちになった。
「大丈夫ですよ。お嬢様も、ちゃんと似合っていらっしゃいますから」
「……まるで人の心を読んだかのようなタイミングで慰めないでちょうだい。驚くから」
何とも複雑な気持ちになっていると、私に付き従っていたルークが後ろから励ましてきた。
似合っていると言ってくれたのは嬉しいが、自分の悩みや考えまで見透かされているような気がして時折彼には本当に驚かされてしまう。今も、ばっちりのタイミング過ぎて、嬉しいより先に、戸惑いが勝ってしまった。
ついつい胡散臭げな目を向けてしまう。
「ねえ、時折思うんだけど、ルークって読心の魔法が使えるのではなくて?」
「………………まさか」
冗談で言ったのに、妙に間が空いた。それが気になり、顔を引き攣らせてしまう。
「ねえ、どうして今、ちょっと考えたの。そこは即座に否定するところでしょう。正直に言いなさいよ」
「ええ? 何を言ってるんです。私はすぐに答えましたよ。お嬢様の気のせいではありませんか?」
「……」
にこやかに笑うルークをじとっと睨む。
読心の魔法とは、文字通り、対象の心を読む非常に高度な術だ。できる人間もいるらしいが、それはごく限られた一部の人たちだけ。できる方がおかしいという認識で間違っていない。
だけどルークならできても不思議ではないと思ってしまう。何かに付け、無駄に優秀な男なのだ。
私の疑わしげな視線を受け、ルークが苦笑する。
「私が悪かったですから、本気で疑わないで下さい。できませんよ。大体私が得意なのは攻撃魔法だってお嬢様もご存じだと思いますけど?」
「そりゃあそうだけど」
「そこまで多方面に才能はありませんからご安心下さい」
「……ま、そうよね」
そんなことができたら、今頃ルークは城にある魔法専門機関に間違いなく引き抜かれている。
特別な才能を持つものだけが集まる魔法専門機関、通称『あなぐら』には変人しか在籍していないということでも有名だった。
毎年五人くらいの新人があなぐらに行き、そのうち一人でも残れば運が良いと言われるくらいの魔の巣窟。正気であなぐら生活はできないらしい。まともであればあるほど、脱落が早いという噂の恐ろしい場所だ。
これは噂なのだが、所長が一番の変人らしい……将来アルと結婚することになったとしても、積極的会いたいとは思えないナンバーワンの人物。そしてそんな人が所長を務めるようなところに、私のルークを連れて行かれたいとは思わなかった。
せっかく、ルークとの関係性も変わり、良い関係が築けてきた矢先だというのに、大事な執事を壊されてはたまらない。
「あなたは、私のだもの。誰にもあげたりしないわ」
たとえ優秀さが認められての『あなぐら』配属だろうとも、私のものを勝手に連れて行かれては困る。
そんな気持ちを込めて言うと、ルークは嬉しそうに肯定した。
「そうですよ。私はお嬢様のものですから。拾った限りは、最後まで責任を取っていただかなくてはいけませんからね。飽きたからと簡単に余所にやられては困るんです」
「そんなことしないわ」
「ええ、お嬢様のお世話が私以外の者にできるとも思えませんしね。お嬢様は寝起きの機嫌は最悪に悪いし、朝のお茶が気に入らないと不機嫌になるしで、慣れている私でないとお仕えするのは本当に大変ですから」
「……」
朝が弱い自覚はあったので、言い返せない。お茶に関しては、最近は特に文句は言っていないはずだ。……ルークが淹れてくれるお茶がいつも私の気分にドンピシャで気にする必要がないからという理由もあるけど。
「……ルークがいるからいいじゃない」
ボソッと呟くと、ルークからは笑いを含んだ言葉が返ってきた。
「はい。そうですね。それでは今後ともどうぞよろしくお願いいたします」
「当たり前だわ。ルークにはずっと私の側にいてもらわなくちゃ……って、クロエ? どうしたの?」
ふと、クロエが笑顔でこちらを見ていることに気づいた。
何をしているのかと尋ねると、彼女は目を輝かせながら言った。
「ううん。二人、本当に仲が良いんだなって。遠慮のない二人のやり取りが素敵だなと思っていたの。お互いを信頼しているのが伝わってくるもの。専属執事ってやっぱり違うのね」
「……」
ルークと二人揃って黙り込んでしまった。
何の含みもない、純粋な言葉が逆に辛いということもあるのだ。
「……ルーク」
キラキラとした目でこちらを見るクロエに耐えきれず、私はルークに助けを求めた。だが、無情にもルークは首を横に振る。
「何をおっしゃっているんですか。クロエはお嬢様の友人でしょう? お嬢様が対応して下さい」
「それはこっちの台詞よ。クロエは元々あなたの友人でしょう? 許すから、あなたがなんとかしなさいよ」
元々私にクロエを紹介してくれたのはルークだ。
だが、ルークは頷いてはくれなかった。
「嫌ですよ。お嬢様と違って、クロエは純真ですから、なんというか逆に恥ずかしくなるんです」
「だから私も嫌だって言ってるのよ……ん? 私と違ってってどういう意味よ!」
「そのままですけど。何かおかしかったですか?」
心底分からないという顔をするルークが憎たらしい。
「おかしいところしかないじゃない! ああもう、良いからさっさとクロエと話してきて」
「お嬢様のお客様なのですから、お嬢様がどうぞ」
「……なんなの、この執事。全然主人の言うことを聞いてくれないんだけど」
「私ほど一途な執事もいないと思いますよ」
「何、さらっと嘘吐いてるの。一途って言葉、一度辞書で引いてみなさいよ」
真顔で答えると、ずっと近くで話を聞いていたクロエが今度は声に出して笑った。
その笑い声で不毛なやり取りだったということに気づき、私もルークも黙り込む。
気を取り直すように、意味もなく咳払いをした。
「……ま、いいわ。脱線したわね。クロエ。屋敷を案内するから、どうぞ、中に入ってちょうだい」
いつまでも玄関前で話していても仕方ない。入るよう促すと、クロエはワクワクとした顔で中に入り、ロビーの中央で立ち止まった。感嘆の声を上げる。
「すごい……広いわ……。天井も高いし……目がくらみそう」
「そうね。うちは古い家だから。今とは建築様式が違うでしょう?」
玄関ロビーで大袈裟に驚くクロエに、自分のものではないが、少し自慢したい気持ちになった。
築二百年を超えるうちの屋敷は、ここ数十年で建てられた屋敷とは造りが随分と違う。特徴的なのは天井の高さだ。今、流行の様式よりもかなり高い。天窓から光が差し込む様は幻想的だし、初めて来た者は、大概驚くのだ。
驚かなかったのはアルくらいなものだが、城に住んでいる彼が公爵家の屋敷程度で吃驚するはずがないので、それは当たり前の反応だと言えよう。
予め私の友人が来ることは伝えていたので、ロビーには使用人たちが一列に並んでいた。
その様子にもクロエは驚いたようだ。
「わ、すごい。やっぱり公爵家ともなると、使用人の人数からして違うのね……」
「そうなの? これくらい手がないと家が回らないと思うのだけど」
物心ついた時から、たくさんの使用人に傅かれる生活をしていたので、何が普通なのか分からない。
今なら、かなりの贅沢をしているのだろうということくらいは分かるが、実際うちは、これくらい手がないと困るのだ。屋敷も広ければ庭も広い。所領には別宅もあるし、そちらの手入れもしなければならない。
時には夜会も開くし、訪ねてくるお客様は高位貴族が殆ど。正直言って、今でも手が足りないくらいだ。
クロエが考え込みながら口を開く。
「うちは四人、かな。執事とメイドが二人。あと料理長がいるの」
「えっ……」
慌てて両手で自分の口を押さえる。
屋敷の規模によって、雇っている人数が違うのは分かっていたが、そんなに少なくて家が回るのかと思ってしまったのだ。もちろん、失礼な発言になるというのは私も理解しているので口に出したりはしない。
とはいえ、昔の私ならここは「まあ、そんな人数で屋敷が回せるなんて、よほど狭い場所に住んでいるのね。それとも使用人が雇えないのかしら」くらいは言っていたと思う。高慢なことこの上ない。
今は、それぞれの家にはそれぞれの事情があるということを理解しているから言わないが、気づいていなければ、一瞬にしてクロエとの友情は破綻していただろう。過去の話とはいえ、最低過ぎる自分にゾッとする。
薄い氷の上を歩いている気分で、自分の発言が本当に怖い。いつうっかり口にしてしまわないか、ヒヤヒヤものだ。
驚いてしまったのは仕方ないが、なんとかそれ以上は言わないようにして、自分の部屋へと無事、クロエを案内した。
今日は父と母は所領に用事があるとかで、留守にしているのだ。友人が来ると言った時は、二人とも残念そうにしていた。是非、クロエに会ってみたかったらしい。
次回は必ずと約束して、今朝早く馬車に乗り、出掛けていった。
「さ、ここが私の部屋よ。どうぞ」
部屋に案内し、扉を開ける。クロエは見るからに緊張した面持ちで部屋の中へと入った。
「お邪魔します」
「にゃあ!」
クロエの声を聞きつけたのだろう。奥の方から分かりやすい鳴き声とドドドドと勢いよく走ってくる音がした。それを聞き、萎縮気味だったクロエが目を輝かせる。
「ノエル!」
「にゃにゃ!」
奥から顔を出したノエルを見て、クロエは嬉しそうに側に駆け寄り、その身体を抱き上げた。びよーんと身体が伸びる。
保護した時は、子猫か成猫か微妙な大きさだったノエルも、あれから半年以上が経ち、今や立派な成猫へと成長した。
ユーゴ兄様や使用人の皆が、わりと見境なく餌を与えるせいで、ノエルは少し太り気味だ。足が短いから、お腹が地面に着いてしまわないか、最近は本気で心配している。
「ノエル、わあ、相変わらずお腹フワフワ~」
クロエが嬉しそうにノエルの腹に顔を埋め、すうすうとその匂いを吸っている。
ノエルも特に抵抗しない。いつものことだとばかりに悟りきった表情をしていた。
その表情が妙におかしくて、笑ってしまう。ルークに視線を送ると、彼は頷き、ローテーブルの上に手際よく紅茶とお茶菓子を用意し始めた。




