7
アルが呼んでくれた護衛の兵士は二人。彼らは私たちの少し前と後ろについてくれた。
「……はああ」
「どうしたの、クロエ」
もう少しで馬車乗り場というところで、それまで一言も話さなかったクロエが大きく息を吐いた。
「……すっごく素敵な人だった」
「……? えーと、誰のことかしら?」
一瞬、クロエが誰について話しているのか分からなかった。尋ね返すと、クロエは頬を染めながら言う。
「ヴィクター様。その……すっごく格好良くてびっくりしちゃった」
「……あ……そう。兄様のことね」
てっきり、ウィルフレッド王子が怖かったとか、そういう話をされるものだとばかり思っていたので拍子抜けした。
どうやらクロエにとっては、ヴィクター兄様との出会いの方が重要だったらしい。
まあ、元気なようだから、それはそれで良いけれど。
私は慎重にクロエに尋ねた。
「……クロエは、兄様のことが好きになったのかしら?」
「な! なななななななな!」
「なが多いわね」
冷静に指摘したが、クロエはそれどころではなかったようで、ギョッとした顔で私を見つめてきた。
「どうして分かったの!?」
「分からない方が不思議だと思うくらい態度に出ていたけど」
「うそぉぉぉぉ!」
クロエはみるみるうちに真っ赤になった。ものすごく分かりやすい。
「も、もしかして、ヴィクター様にも気づかれたかしら!?」
「大丈夫よ。兄様は全く気づいていなかったから。でも、他は全員察していたみたいだから気をつけてね」
「え……全員って……」
「少なくともアルと私は気づいたわ。あと、多分ウィルフレッド殿下もお気づきになったと思う」
「……本当に全員じゃない」
「だからそう言ったでしょう?」
嘘を吐いてどうするのだという顔でクロエを見つめると、彼女は「待って……待って」と頭を抱えながら呻いていた。
「あの場にいたほぼ全員に気づかれてるってどうなの? 恥ずかしい。え、嘘でしょう。私、そんなに分かりやすい?」
「残念ながら」
「やだあ……」
がっくりと項垂れ、クロエは私を見た。
「ね、リリ。……お兄さんに惚れた私のこと、どう思う? やっぱり友達失格?」
「? 何の話かしら」
クロエの言葉に首を傾げる。彼女が何を言っているのか分からなかった。
「どうしてそれで友達失格になるの? あなたが兄様を好きになるのと、私とあなたが友達なのは何も関係ないでしょう? 違う?」
「そう……そう、よね」
合点がいったのか、クロエは何度も頷いた。そんな彼女を見ていると、なんとなくもう一度兄に合わせてあげたいと思ってしまうから不思議なものだ。その思いのまま口を開く。
「……クロエ。近いうち、うちに遊びにきてはどうかしら?」
「いきなり何?」
キョトンとするクロエに私は言った。
「最近、孤児院に行っても会えないことも増えているし、お父様やお母様も友達ができたのなら連れてきてもいいとおっしゃっていたの。私も、友達を家に招くのは初めてだから、できれば来てくれると嬉しいわ」
茶会として、知り合いの令嬢を招くことはあっても、『友人』を招いたことは一度もない。悲しい話だが事実だ。でも、その記念すべき一人目がクロエであってくれればいいなと思っていた。
「えっ……本当に、良いの?」
「ええ。遠慮する必要はないわ。ルークもいるしね。最近碌に話もできてないじゃない? だからこの機会にどうかなと思って。それと、子供たちに読み聞かせをする本を一緒に選んで欲しいと考えているの。そういうのは駄目?」
「駄目じゃない! 嬉しい! 行くわ! 絶対! うわあ、リリの家に遊びに行けるのね!」
目を輝かせて喜んでくれるクロエを見ていると、誘って良かったなと思う。
クロエは「兄に会えるかも」、なんて微塵も考えていない。私の家に遊びに行けることを単純に喜んでくれている。それが分かるからこそ嬉しかった。
とはいえ、多分、上手くすれば兄様とは会えるはずだ。
最近兄様は家にいることが多い。偶然会った、くらいなら兄様にも迷惑ではないだろうし、構わないだろう。
クロエと約束を交わし、彼女を伯爵家所有の馬車まで送り届けたあと、私は護衛の兵士と共に夜会会場に戻った。
「アル、お待たせしました」
会場に戻ると、アルが入り口付近の壁にもたれて、私のことを待っていた。
腕を組み、目を閉じていた彼はすっと瞳を開け、私を見つめる。
「ああ、お帰り。カーライル嬢は無事、馬車に乗れた?」
「はい、おかげさまで。その……先ほどは驚きました」
「ああ、あの猫かぶりでしょう? ウィルは昔からああいう腹芸の類いが得意なんだよね」
「そうなんですね」
「意外だった?」
「……はい」
素直に返事をすると、アルは意味ありげに笑った。
「あいつも、ローズブレイド王国の王子だってことだよ。うちの家系には腹黒い性格の者が多くてね」
「腹黒い、ですか?」
「そう。ちなみに腹黒さで言えば、ウィルよりは僕の方が上だと思うよ」
「アルが? まさか……」
いつだって私に対して誠実なアルが腹黒いなど――と考えたところで、わりとポイントポイントで、怖い人かもしれないと感じたことを思い出した。
「……」
黙っていると、アルは意地悪い顔をした。
「あ、思い当たる節があるって顔だね。でも、今更後悔しても遅いよ? 僕は、もう離してあげないって言ったし、それに君は「はい」って頷いたんだからね」
「わ、分かってます」
離されたら困るのはこちらの方なのだ。慌てて頷くと、アルは私の頬をするりと撫でた。その動きにゾクリと背筋が震える。
「うん。分かってくれているのなら良いんだ。僕の大事なリリ。今からは、ようやく二人きりの時間だよ。ヴィクターにも遠慮してもらったから、あとは二人でゆっくり過ごそうか?」
「え、あ、兄様……?」
そういえば、さっきまで一緒に居たはずの兄の姿がいつの間にか消えていた。
周りを見ても、兄らしき姿はない。
「ヴィクターは今から城の図書室に行くそうだよ。調べ物があるんだって。こんな時まで本当に熱心な男だよね」
「それが、兄様ですから」
むしろ夜会に出席している方が兄らしくない。そう思っていると、アルは私に手を差し伸べながら言った。
「そういうわけで、正真正銘、僕たち二人きりの時間を楽しめるよ。まず始めに――そうだね、リリ、僕の愛しい婚約者。僕と踊っていただけますか?」
ふわりと笑顔を浮かべるアル。その姿にどうしようもなく胸がときめく。
「……はい」
アルの手に、己の手を乗せる。
アルのエスコートでダンスホールへ進んでいく。
音楽に合わせて身体を動かす。ゆったりとした曲調なので、小声で会話しながらでも十分に踊ることができた。
「ね、今日のドレス。ずっと思っていたんだけど、とてもよく似合っているよ」
踊りながらアルが、ドレスに視線を向けてくる。今日、着ていたドレスは、前から持っていたものではあったが、一度しか袖を通さなかった品だった。それに手を入れてみたのだが、どうやらアルは気に入ってくれたみたいだ。
「ありがとうございます。その……メイドが優秀でして。最近は、そのメイドにばかり任せています」
「ああ、そういえば、以前聞いた時もそんなことを言っていたね」
「覚えていて下さったんですか?」
アルにメイドの話をしたのは、彼から婚約のブローチをもらった時だ。そんな時のことまでまさか覚えてもらえているとは思わず驚くと、アルは「当たり前だよ」と笑った。
「僕が君とした会話を忘れるはずないでしょう。君のことならなんでも知りたいって思ってるのに」
それはこちらの台詞だ。
アルのことをもっと知りたい。常にそう思っている。
「君が好きなドレスっていうのは、初めて会った時に着ていたようなものだよね? 確か、そう言ってたと思うけど」
「……はい」
可愛いのは可愛いけれど、ド派手な赤いドレスは、今ではなかなか手が出せない。似合う自信はあるが、酷く悪目立ちするのだ。昔の私なら、それを当然と認識していたけれども、今の私は、恥ずかしくて勘弁して欲しいと思ってしまう。
「どうにも派手なデザインに目が行きがちでして。私の趣味で選ぶと、大抵碌なことになりません。
ですから、メイドに選んでもらいながら、少しずつ修正しているんです」
「修正?」
「はい。アルも、今着ているようなドレスに変えた方がよいとおっしゃって下さったでしょう? 悪役令嬢のイメージから離れたいのならって」
アルの動きに合わせ、くるりと一回転する。
柔らかな素材でできたドレスの裾がヒラヒラと舞った。
「ああ、僕が言ったから気にしてくれているんだね。でも、それならもう良いんじゃないかな? だって、君はもう悪役令嬢ではないんでしょう? イメージを気にする必要はなくなったと思うんだけど。君は何を着ても可愛いんだし、無理に自分を変えるくらいなら、前の君の格好でも構わないと思うよ」
「そう、ですか?」
そんな風に考えたことなかった。
だけど――。
「今の格好の方が、アルはお好きですよね?」
「え?」
身体が密着した体勢になったタイミングで尋ねると、アルは目を瞬かせた。
「え、いや、それは……」
「私、アルに喜んでもらいたいんです。アルに可愛いって、好きだって言っていただけるのが何より嬉しい。だから無理なんてしていません。私は、私の為に自分を変えたいと思っているのですから」
他人から見れば、それは自分がないと思うような行動なのかもしれない。だけど私は真剣だった。
どうせドレスを着るのなら、アルが可愛いと思ってくれるものを選びたい。彼が私を見て、眩しげに目を眇めてくれる瞬間、私はこれを着て良かったと思うのだから。
私の言葉を聞いたアルが、私を見つめ、蕩けるような顔をした。
「――ああもう、可愛いな、リリ。大好きだよ」
「っ! アル」
ダンスの動き。彼に引き寄せられたタイミングでそう囁かれ、顔が赤くなった。皆、それぞれのダンスに夢中で、私たちの小声での会話など誰も聞いてはいないだろうし、私の顔が赤くなっていることにも気づかれないだろうが、それでも恥ずかしく感じてしまう。
私が赤くなったのを見て、アルが幸せそうな笑みを浮かべる。
「……参ったな。まさかそんなことを言ってくれるとは思わなかったから吃驚した。でも、すごく嬉しいと思うよ」
「アル……」
「あ、そうだ。それなら僕も君が好きな格好をしてみようかな? リリ、何かリクエストはある?」
「え……」
突然の提案に、思わずステップを踏み間違えそうになってしまった。
――アルが? 私の好みの格好をしてくれる?
なんとか体勢を整え直しながらアルを見つめる。彼は甘く私を見つめ返してきた。
「君と同じ努力を僕もしてみようかと思うんだよ。僕も、君に好かれたいし、格好良いって思ってもらいたいからね」
「えっ? で、でも……アルはずっと素敵だし……その、好みと言われても」
困ってしまう。
好みと言うのなら、アルそのものが私の好みなのだ。その彼に、どんな格好をして欲しいと聞かれても何でも構わないとしか答えられない。
だって、本当にどんなアルも素敵だと思うから。
そういうことをたどたどしくではあるが説明すると、彼は「残念」と呟いた。
「なんだ。せっかくもっとリリに僕のことを好きになってもらおうと思ったのに」
「も、もう十分好きです……!」
これ以上、なんて、色々な意味で耐えきれなくて私が死んでしまう。
ようやくダンスが終わる。
アルとの話に夢中で、最後の辺りは殆ど無意識で踊っていたような気がする。
何カ所かミスしそうになったし、アルにはかなり動揺させられた。それが見学者たちに妙な風に見えていなければよいなと思いながら、私は自分が着ているドレスを見下ろした。
美しいドレス。私のメイドのロッテが選んでくれた、アルの好みにあったドレスだ。
今までは、ロッテに丸投げしてきた。彼女の審美眼は確かなものだし、実際、一度もドレス選びを間違えたことがなかったからだ。
それで満足してきたけれど。
――そろそろ、自分でドレスを選んでみようかしら。
ふと、思った。
大分、私の好みも変わってきたはずだ。それなら、そろそろ自分の力でドレスだって選べるようになっていても良いはず。自分が選んだドレス。そのドレスを着た私をアルに褒めてもらいたい。
そんな風に思ったのだ。
――そうしたら、きっともっと嬉しいから。
今度ロッテに相談してみよう。
自分で選んでみると言ってみよう。
最初は失敗するかもしれないけれど、その時は、メイドに修正してもらえばいいのだから、試すくらいは初めてもいいはずだ。
――良いかもしれない。
「リリ、バルコニーの方へ行こうか」
ダンスフロアから下がり、近くの従者からワイングラスを受け取っていたアルが、私の名前を呼んだ。
それに私は返事をし、彼と一緒にバルコニーで少し話をした後、遅くなる前に屋敷へと帰った。




