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「アル」
「父上、僕はリリと婚約することに決めました」
にこにこと微笑みながら報告した息子を見て、国王は目を見張った。
「本当に、良いのか? こちらが打診したものとはいえ、強制させるつもりはないのだ。急がなくて良い。もっとゆっくり考えても――」
「僕なりに考えた上での結論です。父上、父上はこの婚約に反対ですか?」
「いや、先ほども言っただろう。これは、元々私がベルトラン公爵家に働きかけた話だ。反対などするはずがない。お前さえ良いのなら正式に婚約話を進めることにしよう。……本当に良いのだな?」
「ええ。できるだけ早くお願いします」
「そうか、わかった。――リズ嬢、だったか」
「……はい」
目線が初めてこちらを向いた。色気のある視線は、ウィルフレッド王子よりもアラン王子によく似ている。
「あなたは、息子と婚約ということで構わないのか? 王子との婚約はいいことばかりではない。もちろん公爵令嬢であるあなたなら知っているとは思うが、勢いだけなら考え直すべきだ」
その言葉に、思わず「それでは考え直します」と言いそうになったが、堪えた。
だって、隣にいたアルがジロリとこちらを見ていたのだ。その目は明らかに「君が悪役令嬢に、そんなになりたいとは知らなかったよ」と語っていた。
……うん。ものすごく怖い。とてもではないが、「いいえ」を告げることなどできそうにない。それに、悪役令嬢のなんたるかを知らない今の私に、アルの協力は必要不可欠なのだ。
ここは涙を呑んで大人しく頷いておくしかなかった。
「は、はい。……その、私もアラン様と婚約できることを嬉しいと思っています」
「ほら、リリもこう言っていますし」
にこやかに告げるアルを睨み付けたい気持ちになりつつ、私も上品に微笑む。国王は私とアルの顔を見て頷いた。
「二人の意志が固いのなら、私から言うことはないな。アル、これはお前が望んだ婚約だ。リズ嬢を大切にするのだぞ」
「もちろんです」
「分かっているのならいい。私は仕事が残っている。下がれ」
「はい。失礼します。……リリ、行こう?」
「はい」
中断していた仕事を再開するのだろう。私とアルは国王に言われるままに部屋を後にした。
廊下に出ると、無意識のうちに緊張していたのか、ほうっと息が零れる。
それをアルは聞き逃さなかった。
「疲れた? 良かったら、僕の部屋でお茶でもしていく?」
「いえ……その、用事が済みましたので、今日はもう帰宅したいと思います」
アルの部屋。興味がないとは言わないが、それよりも疲れと混乱が勝っていた。
悪役令嬢のこともそうだし、とにかく一人になって落ち着きたいのだ。全部それから。
断りを入れると、アルは残念そうな顔をした。
「そう……分かった。今日は疲れたし仕方ないのかな。僕としては君のことをもっと知りたかったのだけど。馬車まで送っていくよ」
「え? 大丈夫です。一人で帰れますから」
「婚約者を一人にするわけにはいかないよ。ほら、行こう?」
手を差し出される。私は対して迷うこともなく彼の手を取った。
私も大概疲れていたのだ。色々と面倒になっていた。
「……ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「うん。あ、そうだ。明日だけど、午後、君の屋敷を訪ねても良いかな? ほら、今後のことについて色々と相談したいし……」
「あっ、はい。大丈夫です」
今後のことというのは、間違いなく『悪役令嬢』の話だろう。
詳しい話は私も知りたいし、できるだけ早いほうが有り難いから、アルの申し出にはすぐに頷いた。
「お父様にもアルのことを伝えておきます」
「いいよ。僕の方から公爵には手紙を送るから。婚約のこともあるしね」
「分かりました」
アルがそれで良いというのなら従おう。
話していると、あっという間に公爵家の馬車が待っている場所まで着いてしまった。
「じゃあ、明日ね」
「はい。お待ちしています」
馬車の中に乗り込み、アルに別れを告げる。
扉が閉まる。馬車は静かに動き出し、公爵邸へと向かった。
ようやく一人になり、気が抜ける。
「はあ……疲れたわ」
本当に、疲れた。
今日は楽しい一日になるはずだと思っていたのに、蓋を開けてみれば、ある意味これまでの人生の中で一番疲れたと言って良い日になった。
ウィルフレッド王子に自分の性格を全否定されたこともそうだし、アルと婚約者になったこともそうだ。
私はすっかり彼と結婚する気を無くしていたというのに、気がつけば彼と婚約することに決まっていた。
「どうしてこうなったのかしら」
最低な私となど、アルは婚約したくないだろうと思っていたのに。
はっきり言って意味が分からない。
協力するのに婚約者になった方が都合が良いからというのは、確かにその通りかもしれないが、別に婚約者でなければ連絡できないというわけでもない。普通に協力するというだけでは駄目だったのだろうか。
「そりゃ……アルはとても素敵な方だと思うけど……」
今の自分のことだけで手一杯の私に、彼との婚約など荷が重すぎる。
でも……とそこで私は気がついた。
「婚約者になった方が都合が良いってだけなら、むしろ私はアルを友人として扱うくらいの方がいいのではないかしら」
そうだ。私に協力するために、仕方なく婚約者という関係になっただけなら、婚約者面などすればきっとアルは迷惑に思うはず。それに気づき、私は大きく息を吐いた。
「危ない……。また間違えるところだったわ」
馬鹿正直に、婚約者らしく振る舞ってしまうところだった。
そうだ。アルは私が、『悪役令嬢』とやらにならないために協力してくれているだけの存在。
いわば協力者だ。それを決して忘れてはいけない。
アルは、私とは違う女性と幸せになる。
そう最初から思っておけば、不用意に傷つくこともないだろう。
「ええ、ええ、そうね。そう思っておきましょう」
彼には『悪役令嬢』の件で協力してもらうだけ。
呪文のように何度も唱え、私はよし、と頷いた。
「アルのことはこれでいいわ。……問題はウィルフレッド王子よね」
ようやく冷静になれた私は、今になってウィルフレッド王子に対し、沸々とした怒りが込み上げてきていた。
ああ、思い出しても腹が立つ。
「散々好き放題言ってくれて。た、確かに王子の言うことは当たっているかもしれないけれど、それでもあんなにはっきり言うことないじゃない。いくら王子でも許せることと許せないことがあるのよ。感じ悪い」
言われた悪口が頭の中をグルグルと回る。
どうにかして、ウィルフレッド王子を見返したくて仕方なかった。
直接悪口を言われたわけではないけれど、あんなに言いたい放題言われて、「はいそうですか」と引き下がれるほど私のプライドは低くない。
絶対にいつか「私のどこが『悪役令嬢』だと言うのかしら?」と高らかに言って笑ってやるのだ。
そうだ、そうすれば、このバキバキにへし折られた私の矜持もきっと元に戻るはず。
その為には、明日からアルの話をよく聞かなければ。
「ふふふ……。今は好きに私のことを言えば良いわ。でもいつか、私を馬鹿にしたことを後悔させてやるんだから!」
馬車の中、高らかに宣言する。
今に見ていろ、ウィルフレッド王子。
アルに協力してもらって、努力を重ね、ぐうの音も出ないほど完璧な令嬢になってやる。
せいぜい驚くが良い。そしてその時こそ、私の復讐は果たされるのだ。
誰が泣き寝入りなんてするものか。
これからの自分の方針を決め、馬車の座席に座り直す。
うん、明日からが楽しみだ。
クスクスと一人、馬車の中でほくそ笑む。
――落ち込むと思った? ぐずぐず泣くとでも思った? おあいにく様。
私はそんなに弱くない。
屋敷に着く頃には、私は完全に立ち直っていた。
これでプロローグは終わりです。