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「どうぞ。気持ちが落ち着きますよ」
「……ありがとう」
ショックを受ける私を見て、このままではまずいと判断したアルは、父に断り、ひとまず休憩することを提案した。
呆然としながらも、自分の部屋に戻る。足下がふわふわとして覚束ない。何処を歩いているのかもよく分かっていなかった。そんな私を見て心配したアルも、当然のように着いてくる。
ルークも私の様子がおかしいのが気になったのか、アルが同行することに懸念は示さなかった。
私室にあるいつものソファに座り、ルークの淹れてくれたハーブティーを飲む。オレンジブロッサムのお茶には独特の甘みがあり、混乱した気持ちを少しではあるが落ち着かせてくれた。
「まさか……失敗してしまうなんて……」
ポツリと呟く。言葉にした瞬間、今あったことが現実なのだとやけに実感してしまった。
「どうしよう……」
失敗するなんて考えもしなかった。
だって、精霊契約は簡単なのだ。
適正があれば、そして精霊を呼び出すところまでこぎ着ければ、誰も失敗なんてしない。
召喚に応じた時点で、すでに精霊は契約する気なのだ。失敗するはずがないだろう。
それなのに、私は失敗した。しかも、呼び出したあとに断られるという前代未聞の話。ショックを受けても当然だった。
「何が……悪かったの?」
いくら考えても全然分からない。
私は、正しい手順で精霊を呼び出したはずだ。何の問題もなかったと胸を張って言える。
なのに、結果は呼び出した精霊に拒絶されるというもの。
普段、失敗なんて経験しないせいか、動揺は大きかった。
「リリ、落ち着いて」
私の隣に座ったアルが距離を詰め、慰めるように背中を撫でてくれる。その優しい仕草に気が緩み、涙がにじんできた。
「アル……私」
「心配ないよ。今日はちょっと調子が悪かっただけ。お前もそう思うだろう?」
「――ええ。きっと。私もそう思いますよ。お嬢様」
アルに視線を向けられたルークも同意する。
失敗した私が気に病まないように気を遣ってくれているのだ。それくらいは分かる。
だけど、そう簡単には頷けなかった。
だって――。
「このままだと、アルと結婚できなくなる……」
そういうことなのだ。
これは有名な話なのだが、ローズブレイド王家には、王子に嫁ぐ条件として『王侯貴族であること、魔力持ちであること、そして精霊契約をしていること』の三つがある。
王侯貴族であることは、貴族たちから反発を買わないためだし、魔力持ちというのは、魔力は遺伝するから、である。
王族には、魔力がないとできない様々な国事や義務が存在する。
うっかり魔力なしと結婚して、その子供が魔力を持たなかったら?
その子は、下手をすれば王族と認められない可能性だって出てくるのだ。
それを防ぐため、結婚相手は魔力を持つ者とされている。
そして最後。精霊契約をしていること。
これに関しては、詳しい理由までは知らないのだが、国の防衛に直結することだと家庭教師からは習っている。なんでも王家の秘密とかで、詳細は王族しか知らないのだとか。
とにかく、これらは王家からすれば、決して譲れない条件。
私がアルの婚約者になれたのも全ての条件が揃っていたから。
もし、このまま精霊契約ができなければ、婚約を破棄されることは間違いない。
「嫌、そんなの……」
せっかくアルと恋人になれたのに。
名実共に婚約者として過ごすことができるようになった矢先にまさかこんなことになろうとは誰が想像できただろう。ショックのあまり、視界が涙で滲んでいく。
唇をギュッと引き結ぶ。俯き、必死にこぼれ落ちそうになる涙を堪えた。
アルと引き離されることになったらと考えるだけで身も心も凍りそうな気持ちになる。
「リリ、落ち着いて」
「でも!」
「大丈夫だから。ね?」
ばっと顔を上げると、すぐ近くにアルの顔があった。彼は真剣な表情で私を見つめてくる。
「精霊契約は一度きりじゃない。最終的に契約できれば何度失敗したって良いんだ。だから落ち着いて」
「アル……」
「僕だって君と結婚できなくなるなんて嫌だ。せっかく恋人になれたんだからね。大丈夫。もっと気楽に考えよう? 結婚まではまだ二年近くある。それまでに契約できれば良いんだ。ね? 君が精霊と契約できるよう、僕も協力する。君の力になるよ。だから一緒に頑張ろう?」
アルの言葉を聞き、どうしようもなく混乱していた気持ちが少しずつ収まってくる。
そうだ、アルの言う通り、時間はまだある。焦らなくても、落ち着いて、もう一度挑戦すればいいのだ。精霊契約は、一度失敗すれば終わりというものではないのだから。
縋るようにアルを見つめる。彼は私を落ち着かせるように微笑みを浮かべた。
「精霊を呼ぶことはできたんだ。だから精霊に対する適正は間違いなくあるんだと思う。それなら、調子を万全にしてもう一度試してみれば良い。それまでに僕の方でも原因を調べてみるから。しばらく時間を置こう? そしてもう一度試してみる。それでどうだろう?」
「はい……そうします」
私のことを考えてくれているのが分かる真摯な声を聞き、感謝の念が湧き上がる。
アルはいつだって私を助けてくれる。私がどうしようもなくて動けなくなった時、いつだってもう一度立ち上がれるよう手を差し伸べてくれるのは彼なのだ。
「アル……ありがとうございます。私……諦めません。何度だって頑張ります」
決意を込めてアルを見つめると、膝の上に乗せていた手を握られた。
アルが男の人だと思うのはこんな時だ。彼の手は大きく、私の手を簡単に包み込んでしまう。
じわりと自分のものではない熱が伝わってきてどうにも恥ずかしかった。
「アル、あの……」
「大好きだよ、リリ」
「え……」
突然告げられた言葉を聞き、目を瞬かせる。アルは優しい笑みで私をじっと見つめていた。その瞳には溢れんばかりの愛情が込められ、それを向けられた私はどうにも恥ずかしく、また俯いてしまう。
彼はそんな私を許さず、手を握っていない方の手で顎を持ち上げ、強引に視線を会わせてきた。
「あ……」
「好きだって言ったくらいで逃げないでよ。僕たちは恋人同士でしょう? それとも違う? 僕の勘違いかな?」
「そ、そんな……勘違いなんて……」
恋人ではない、なんて言うはずがない。ようやく彼と想いを交わすことができて、本当に嬉しく思っているのに。
今だって、彼と別れなければならないかもと思って苦しんでいたのだから。
顎を掴まれたまま、首を横に振ると、彼は「それなら良かった」と口元を綻ばせた。
そうして私を見つめたまま、口を開く。
「あのね、どうやら僕は君の頑張る姿を見るのが好きみたいなんだ。努力を厭わず、前を向き続ける君を見ていると、たまらなく心が震える。可愛いな、愛しいな、力になりたいなって思うんだよ。今だってそう」
「アル……」
「今回のことは、君にとっても僕にとっても不幸な出来事だった。だけど、僕たちは諦めない。これで終わりなんかじゃない。きっと最善の解を探して、求める未来へ辿り着いてみせる。そうだよね?」
「は、はい……」
求める未来。それが彼との結婚であることに気づき、頬が熱くなった。
アルも私を望んでくれている。それが分かり、すごく嬉しかったのだ。
――大丈夫。頑張れる。
アルが側にいてくれるのなら。
彼との婚約を破棄されたくない。結婚できなくなる未来なんて、絶対に嫌だ。
それを避けるためなら、何度失敗したって私は立ち上がることができる。




