第一章 精霊契約
デビュタントが終わり、ひと月ほどが過ぎた。
「いよいよだな。お前のことだから失敗はないだろうが、上手くやるように」
「はい」
屋敷の地下、父の激励に硬い顔で頷く。
今日は、私が精霊契約をする日なのだ。
魔法という概念が当たり前にある私たちの国にとって、精霊や神霊、妖精などは身近な存在だ。特に精霊は、魔法を使う時の魔力の底上げや、術士のサポートもしてくれることもあって、適正があるものは、契約を推奨されている。
そして、私は幼い頃から適正が認められていた。
精霊契約は、適正があればすぐにできるというものではない。
一歩間違えれば、契約するどころか逆に彼らに囚われ、その世界に連れて行かれてしまう繊細なものなのだ。
そのため、最低でも十六歳にならなくては、いくら適正があっても精霊契約はしてはならないと国の法で定められていた。これは、十五才以下の子供を特に精霊が好むからという理由からなのだが、同時に精霊に対し、高すぎる適正を持つ者も精霊契約を禁じられている。それこそ年齢性別関係なく、精霊の世界に連れ去られてしまうからだ。
ヴィクター兄様がまさにそれなのだが、彼は高すぎる適性のため、精霊とは現在も契約をしていない。
適正値は低すぎず高すぎず。
そういう者だけが、契約を推奨されるのだ。
適性の有無は、もって生まれた魔力量とは全く関係がない。たとえば、魔力がたとえゼロだとしても精霊契約ができるということも十分にあり得る。
魔力があり、なおかつ精霊契約もしている。そういう人材は希少で、重用されるのが普通だし、それが貴族なら言うまでもない。男性なら間違いなく将来的に高い地位に就くことができるし、女性なら嫁ぎ先に困ることがない。そしてそれは私にも当てはまる。
アルと婚約していなければ、それこそ社交界デビューとほぼ同時に婚約申し込みが殺到、なんてことも普通にあり得たのだ。
とにかくだ。無事十六の誕生日を迎え、私もいよいよ精霊契約をする日がやってきた。
――絶対に上手く契約してみせるわ。
少し気合いが入りすぎではないかと思うほど気合いを入れた私は、屋敷の地下に足を踏み入れた。
高位貴族の屋敷の地下には、どこも大抵精霊を呼び出すための魔法陣があり、契約をするときは、そこを使う。
初めて入った召喚用の部屋は広く、十人以上が余裕で寛げるだけのスペースがあった。地下ということもあってか、壁と床は石でできている。一応壁には朱色のタペストリーが飾られていたが、それでも簡素な印象は覆せない。地下というだけあり、当然窓などもなく、燭台の光だけが部屋を灯していた。
いつもとは全く違う雰囲気に、自然と全身に緊張が走る。
「リリ、力を抜いて。いつも通りすれば大丈夫だよ」
「は、はい……」
足が震える私を応援してくれているのは、アルだ。彼は私が今日、精霊契約に挑むことを父から聞いて、屋敷までわざわざ足を運んでくれたのだ。
地下に降りたらアルがいて、驚いたのなんの。だけど、笑顔で手を振ってくれるアルを見て、気持ちが楽になったのも事実だった。
この部屋にいるのは、私に父、アル、ルーク、そして勝手に着いてきたノエルだけ。
ノエルは、最初は追い出そうとしたのだが、ひどく嫌がったので諦めた。仕方ないのでルークに抱いててもらっている。暴れたらルークごと外に出てもらおうと決めているが、今のところ大丈夫そうだ。機嫌よさげに尻尾が揺れている。
「――行きます」
部屋の中央。魔法陣の目の前に立つ。
床に直接刻み込まれた魔法陣は、素人目に見ても使い込まれているものだと分かる。代々、ベルトラン公爵家の精霊契約に使われてきたものだから当然なのだが、歴史を感じ、一瞬、怯みそうになった。
これではいけないと首を左右に振る。気を取り直し、魔法陣の前で膝をつき、両手を組み、目を閉じて、祈りを捧げた。
召喚に、特別な呪文はいらない。ただ、祈るだけで精霊は召喚されるのだ。
真摯に祈れば、自分と契約してもいいと思ってくれる精霊がやってくる。それが最初の精霊契約。
――私に力を貸してくれる精霊。どうか、来て下さい。
ただ、必死に祈る。
――お願い。
祈りを終え、目を開ける。魔法陣が金色に光り、強く反応していた。
精霊が来てくれる。それを確信し、ホッとする。来てさえくれればあとは、精霊と契約するだけ。
正直に言えば、この時点でかなり気を抜いていた。それが悪かったのだろうか。
金色に光った魔法陣。その光が消え、小さな4枚の羽根を持つ肌の黒い精霊が姿を見せた。
現れたのは闇の精霊だ。
精霊は、光、闇、炎、風、土、水の六系統に分かれている。私はその中でも珍しいと言われる、闇の精霊に高い適性が認められていた。だから来てくれるなら闇の精霊だろうと思っていたのだが、想像通りだった。
――闇属性なんて、それこそ『悪役令嬢』っぽくって嫌だけど。
自分が何と相性がいいのか。珍しい闇属性と初めて聞いた時は、素直に喜んでいたが、今となれば少々複雑だ。
だって、闇。
いかにもな属性に、『悪役令嬢』にいつ戻るかと心配している私が手放しで喜べるはずがない。
だけど、どの精霊と相性が良いかなんて、自分では決められない。
精霊契約できるということ自体が希有なのだ。だから、国の方針的にも文句を言っている場合ではないということくらいは理解していた。
改めて、目の前にいる精霊を注視する。
まるでエルフのように耳が長い。見た目は女性体だ。黒の長い髪、そして金色の目をして、真っ黒なワンピースを着ている。大きさは、私の掌サイズくらい。小さくてとても可愛い。
――これが、精霊。
初めて実物を見た。ドキドキしていると、召喚者に気づいたのか精霊が私を見つめてくる。
『私を呼び出したのはあなた?』
透き通るような綺麗な声だ。精霊は声で人を拐かすと言われるが、それも納得の美声だった。
「は、はい。是非、私と契約を……」
声が震えそうになりながらも伝える。父やルークそして何よりアルが見ているのだ。失敗は許されない。
精霊はジロジロと私を見て、最後に納得したように笑った。
『ふうん……。魔力持ちかぁ。ま、私を使うのなら……ギリギリ……合格点、かなあ』
「ほ、本当ですか?」
良かった。問題なく契約できそうだ。ホットしつつ自分が呼び出した精霊を期待を込めて見つめると、精霊は機嫌良さそうに言った。
『そうね。妥協にはなるけど、あなたで――いやあああああああ!!』
「えっ……?」
『誰が契約なんて誰がするものですか! 金輪際、一切私のことは呼ばないでよねっ! 呼んだら承知しないから!!』
「あ、あの……ちょっと」
『さよなら!!』
引き留める間もなかった。
直前まで、私と契約してくれそうな雰囲気を醸し出していた精霊は、何を思ったのか突然金色の目を見開き、契約できないと告げた。そしてまるで逃げるかのように魔法陣の中に消えてしまったのだ。
あとに残されたのは、何が起こったのか全く分からず、その場で立ち尽くす私だけ。
「え……ええええ?」
どういうことだろう。
もしかしなくても、私は精霊契約に失敗したのだろうか。
通常、精霊を呼び出すところまで行けば、精霊はよほどのことがない限り、契約に応じてくれる。だからこそこの展開が信じられなかった。
「嘘……でしょ……」
今まで、何をやるにも優等生で通ってきた。
もちろん歌など、苦手分野はあるが、それでもそれなりにこなしてきたのだ。
皆に優秀だともてはやされるのが当たり前。できないことなど何もない。
それが私、のはずなのに。
へなへなとその場に頽れる。
初めての挫折に、気分が悪くなってくる。
だって緊張はしていても、まさか失敗するとは思わなかったのだ。
無事、精霊契約をして、そして、皆に褒め称えられる未来しか想像していなかったのに。
どうして――。
「リリ!」
アルの焦った声が背後から聞こえる。
直後、彼が後ろから私を抱き締め、「大丈夫!?」と聞いてきたが、私はあまりのショックで答えることができなかった。




