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すいません。パソコンぶっ壊れ、更に風邪を引いてました……。
「もう疲れた。……リリ、こっちに来て。もっと皆から見えないところへ行こう」
アルが私の手を握り、バルコニーの方へと引っ張っていく。
分厚いカーテンの先にあるバルコニーは二、三人なら余裕で並べる広さだ。
「良い夜だね」
「はい」
アルと一緒に、バルコニーから外の景色を眺める。本来なら中庭が見えるのだが、残念ながら暗くて殆ど見えない。大広間からの光が漏れて、うっすらと木々の形が分かるくらいだ。
風がそよぐ。気候もほどよく、月明かりが綺麗で過ごしやすい夜だった。大広間から人々の喧噪が遠く聞こえる。
「ねえ、気づいていた?」
ぼうっと外の景色を眺めていると、アルが静かな声で話しかけてきた。彼の方に顔を向けると、アルは穏やかな顔で私を見つめている。
「ウィルは言っていたよね。――君はもう、『悪役令嬢』じゃないって」
「あ……そういえば」
そんなことも言っていた。
あまりにもウィルフレッド王子の印象が強烈すぎて、何を言われたのか、頭から飛んでいたのだ。
「そう、いえば……おっしゃられていましたね……。えと、じゃあ、私は……」
「最低な『悪役令嬢』ではないってことだね。おめでとう。君は目標通り、『悪役令嬢』から脱却し、弟に『そうではない』と言わせたんだよ」
「……そう、です……ね」
そういえば、そうだった。
私はウィルフレッド王子にひと泡吹かせたいと、いつか彼に「ざまあみろ」と言ってやるのだと、奮起してここまできたのだった。
それを思い出しつつ、私は言った。
「……私、『悪役令嬢』でなくなったら、ざまあみろって思いっきり高笑いしてやるってずっと思ってたんですけど」
「そんなこと考えてたの?」
「はい……」
頷きつつ、項垂れる。なかなかに自分が情けなかった。
「結構本気で考えてたのに……ウィルフレッド王子の衝撃の方が強くて、今の今までそのことをすっかり忘れてました」
その一念で今まで頑張ってきたのに、最後の最後で忘れてしまうなど、あまりにもひどい。
「まあ……良いんじゃないかな。弟のあの様子だと、この先、違う状況でその言葉を言ってやる機会もくるかもしれないし」
「そう……ですか?」
それはどんな状況だろう。あまり考えたくないなと思っていると、アルは笑った。
「あの弟だからね。きっと来るよ。それより……ね」
「はい」
アルの声音がひどく真剣なものに変わる。同時に表情も引き締まったものになった。
「君は、君の努力の結果、『悪役令嬢』ではなくなった。それどころか、僕と出会った時よりもずっと綺麗になっている。今なら、どんな男でも簡単に君に振り向くだろう。ねえ、正直に聞かせて。もう、僕は君に必要ない?」
「アル……」
声音は優しかったが、彼が本気で聞いていることは分かった。そして、デビュタントの夜会の時に、告白の返事を聞かせて欲しいと言われていたことも、ここに来てようやく思い出した。
なかなか答えない私に、アルが言葉を重ねていく。
「僕は、前にも言った通り、今も変わらず君が好きだよ。君と結婚したいと思っている。でもね、僕はそれを無理強いをするつもりはないんだ。そんなことまでして君と結婚しても、心が伴わないのなら虚しいだけだからね。だから、君の意志を聞きたい。君は、僕と婚約を解消したい? 君がそう言うのなら、今回だけは特別に頷いてあげる。君を僕から解放してあげるよ」
告げられた言葉は優しいのに、どこかゾッとするような闇を含んでいた。そしてその闇を心地よいと感じてしまう自分にも気づいてしまう。
動けない私の頬にアルの手が伸びてくる。
「だけど、君がここで僕の手を取ると言うのなら、僕は二度と君を放してなんてあげない。君が何と言おうと、死ぬまで僕の側に縛り付けてあげるよ。そのブレスレットに込めた気持ちの通りにね。――チャンスは一度しかあげない。だからよく考えて返事をして」
アルが、誕生日にもらったブレスレットに視線を向ける。
『君を僕に縛り付けたい』
確かに、添えられたメッセージカードにはそう書かれてあった。あれは本気だったのかと驚くも、嫌な気持ちは全く湧き起こらなかった。
私はアルを見つめ、そうして自分の心に問いかけた。
――覚悟はあるの? と。
そしてあまりにもすぐに返ってきた答えに、私は笑った。
そうだ。初めて見た時から、私は彼が好きだったではないか。
この人の側にいたいと思っていた。この人を知ってからは、もっと好きになったし、できれば私を選んで欲しいのだと思っていた。
――今までだって、ずっとアルだけを愛してきた。
彼を愛し続ける覚悟なんて、とうの昔にできている。
大体私は、すでに告白の返事を決めていたではないか。それが決まっているのに、今更悩む必要なんてどこにもないのだ。
だから私は、アルに向かい、笑みを浮かべたまま言った。
「……アルがいらっしゃらなければ、きっと今の私はいませんでした」
「うん」
凪いだ瞳でアルが頷く。それを確認し、私は更に言葉を紡いだ。
「あなたがいて下さったから、私は頑張れたし、これからもより良くなろうと思えるのです」
「うん」
「……婚約、解消するなんて言わないで下さい。私は、あなたがいないと駄目なのです」
自分の気持ちを告げると、アルは小さく微笑んだ。
「そんなこと言っていいの? 後悔しない?」
「しません。するわけがありません」
そう告げると、アルは「じゃあ」と言い、私を見る。その目には熱が籠もっていた。
「それをちゃんと言葉にして。僕に分かるように、きちんと」
「はい」
何を言われているのか、彼が何を求めているのか理解し、私は頷いた。
恐ろしいくらい緊張していた。こんなにドキドキするのは生まれて初めてかもしれない。
だけど同時に、同じくらい幸せだと思っていた。
私はアルと目を合わせ、ゆっくりと言った。
「ずっと、ずっと好きでした。私が、『悪役令嬢』でなくなっても、あなたに側にいて欲しいと、それだけを願っていました」
「うん」
その目が、続けろと告げている。過去の話は良い。今はどうなのだと私に訴えかけていた。
だから私は、更に言葉を紡ぐ。
「もちろん今もです。私はあなたを愛しています」
「――僕も、君を愛しているよ。リリ」
「あっ……」
アルの手が伸び、私の身体を抱き寄せる。バランスを崩した私を彼が心得たように抱き込んだ。
「捕まえた」
彼の手が、優しげに私の頭を撫でていく。
突然の動きに目を見張ったが、そのあまりの心地よさに泣きそうになった。
「じゃあ、もう、二度と放してあげないけど、いいよね?」
「――はい」
耳元で甘く囁かれた言葉に頷くと、アルが小さく笑った。
「良かった。もし『婚約を解消したい』なんて言われたらどうしようかと思ったよ」
「……私がそんなこと言うはずないって分かっていらっしゃったでしょう?」
元々、返事を期待して良いのかと言われ、頷いていたはずだ。
そういう気持ちで見つめると、アルは「そうなんだけどね」と言った。
「やっぱり万が一を考えると、僕も怖いんだよ。端から君を手放すつもりなんてないのに、別れたいなんて言われたらどうしようかなってさ。困るなあ、実力行使なんてしたくないのになあって、ね?」
「……」
上機嫌で言われたが、私は彼の言葉を聞いて固まってしまった。
――実力行使? え? どういうこと?
愕然としつつアルを見つめる。彼は「ん?」と言いながら、ニコニコと笑っていた。
「……」
どうやらアルは、私がどう答えを出そうとも、結局は自分のところへ戻ってこさせようと画策していたようである。私の答えはとうに出ていたし、離れるという選択は端からなかったので構わないのだが、さっき一瞬感じた寒気のようなものは間違いではなかったのだなと察してしまった。
――ええっと、アルって実は、結構怖い人?
「どうしたの、リリ」
私を抱き締めたまま優しい笑みを向けてくれるアルを見る。
どうやら私が婚約した人は、ただ優しいだけの人ではないようだ。
だけど、まあ、それもいい。
そう思い、私は言った。
「いいえ、何でもありません」
彼が、私の為に気を配り、骨を折ってくれたことは事実だと、私は知っているから。
彼の優しさが本物だと、知っているから。
それさえ分かっていれば、あとはどうでも良いのである。
「リリ、これから本当の婚約者、ううん、恋人としても宜しくね」
「はい、アル。その、至らないところも多くありますが、どうぞよろしくお願いします」
返事をすると、アルはそっと私に顔を近づけてきた。
それの意味するところに気づき、私は焦ったが、少し考え、やっぱり静かに目を閉じることにした。
だって、私は彼のことが大好きだから。
「リリ、愛してる」
私にだけ聞こえる声は熱く掠れていた。
唇に、自分のものではない熱が押し当てられたのは、その直後。
こうして、私は『悪役令嬢』ではなくなり、第一王子アランの恋人兼、婚約者になった。
ありがとうございました。
これにて第一部、終了です。
ちょっと他の色々を片付けたのち、第二部を再開させていただきますので、引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。
また、今作品ですが、書籍化が決定致しました。
3/27にフェアリーキスピュアより、発売予定となっております。
イラストレーターは雲屋ゆきお先生。
書籍版もどうぞよろしくお願いします。




