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◇◇◇
国王が待っているという場所に、アラン王子に手を握られ、殆ど引き摺られるようにしながら向かった。
「……」
上機嫌なアラン王子の横顔を盗み見し、溜息を吐く。
どうしてこんなことになったのだろう。
私は婚約などもういいと言っているのに、気づけばアラン王子に婚約することを了承させられている。
『悪役令嬢』の話を知る前なら、今の状況を素直に喜んだだろう。王子と上手く婚約できた。これからの私の人生はバラ色だ、王太子妃まっしぐらだと何も疑わなかったに違わない。そのまま今までの自分のやり方で突き進んだはずだ。
だけど今はもう、そんな風には思えない。
「どうしたの? さっきからずっと黙ったままじゃないか」
じっと考え込んでいると、私の様子がおかしいと思ったのだろう。アラン王子が心配そうな声で聞いていた。それに首を横に振る。
「い、いいえ、何でもありません」
「何でもないって顔じゃなかったけど」
「本当に何でもないんです、殿下」
誤魔化すように笑うと、アラン王子は形の良い眉を中央に寄せた。
「アル」
「え?」
突然自分の名前を口にした王子の顔をまじまじと見つめる。彼は焦れったそうにもう一度口を開いた。
「だから、アル。僕たちは、婚約するんだよ。殿下じゃなくて、きちんと名前、できれば愛称で呼んで欲しいな。親しさを演出するのは大切なことだと思うんだ」
「親しさを演出……」
「仲が悪いと思われるより良いでしょう?」
当たり前のように言われ、私は迷いつつも口を開いた。
「それでは……アル様」
「様はいらない。親しさが半減してしまうからね。アル、と呼び捨てで頼むよ。で、君は? リズって呼べば良い? 家族は君のことを愛称で呼んだりはしないの?」
「……えと、家族にはリリ、と呼ばれていますけど」
躊躇したが、それでも正直に答えた。リズの愛称のリリは私も気に入っている呼称だ。父や母、兄たちも私のことをリリと呼んでくれている。
そのことを話すと、アルは頷いた。
「じゃあ、僕もリリって呼んでも良い?」
「はい。どうぞお好きに」
「固いよ」
「そう言われましても……」
困ってしまう。
私は今、今までの自分の行動が全部信じられない状態なのだ。ウィルフレッド王子の言葉で、自分が最低だと思われていることは少なくとも理解した。そして残念ながら、それを認めるべきだとも判断した。とても悔しいけれど、認めなければ先には進めない。いずれ、ウィルフレッド王子に、「誰が最低だって?」とせせら笑ってやるためには、今の自分を認めることが大事なのだ。
だからそれはいい。
でも、それなら私はどう行動すればいいのだろう。
正直に言って、途方に暮れていた。
だって、不正解は分かっても正解が分からない私には、進むべき道が見えないのだから。
たとえば今だって、アルに『固い』と言われても、どう返答するのが正解か分からない。今までなら「では、敬語は抜きにさせてもらうわ」と高らかに告げただろうが、それは多分違うのだろう。
違うのは分かった。だからお願いだから、誰か正解を教えて欲しい。
「……」
結局、黙り込むことを選択するしかなかったのだが、アルからはひしひしと視線を感じていた。
「リリ、僕は気にしないよ?」
「アル?」
ぽつりと零された言葉に反応する。アルと視線がかち合う。
「君は、これから変わろうと思っているのでしょう? その決意を僕は知っている。だから今君が変な行動や言動を取ったとしても、がっかりなんてしないし、気にしない。むしろ、リリが変なことを言ったらそれを指摘してあげるよ。その方が君も分かりやすいだろうし」
「……良いんですか?」
「もちろん。だって、協力してあげるって言ったでしょう? これも協力の一環だよ」
「ありがとうございます……」
それは、すごく助かる。
ホッとしているとアルが握っていた手をグッと引っ張ってきた。
「アル?」
「僕の前では取り繕わなくていいからね。だから、黙り込むのは止めて欲しいな」
「はい」
瞳をじっと覗き込まれ、頬が熱くなった。それを必死で隠そうとしていると、アルがクスクスと笑う。
気づかれているのは一目瞭然だった。
「わ、笑わないで下さい」
「うん、ごめんね」
謝りながらも声が笑いを含んでいる。だけど、おかげで少し力が抜けたような気がした。
アルに手を引かれたまま歩き続ける。
彼は三階の奥まった場所にある扉の前で立ち止まった。
「ほら、ここだよ。――父上。アランです」
「入れ」
中から低い声で応答があった。扉脇にいた二名の兵士たちが、国王の許可を受け、重そうな扉を開いていく。
アルに連れられて中に入ると、後ろで扉の閉まる音がした。それに気を取らせそうになったが、入った部屋。おそらく国王の執務室ではないかと思われる部屋の奥のテーブルで、書き物をしている人物に目が向いた。
社交界にまだデビューしていない私でも知っている。
この国の国王で、アラン王子やウィルフレッド王子の父親。
ドゥーン三世。
在位二十年ほどになる、まだ三十代の若き国王だ。
――改めて並ぶと分かるけど、色彩がそっくりね。
整った顔立ちもそうだが、赤い目と黒い髪の色が双子王子たちと同じだった。
彼は持っていた羽根ペンを置くと、おもむろにアルを見た。