アル3
――執務室。
今日も終わらない仕事に忙殺されていたが、僕は今、かなり上機嫌だった。
もうすぐデビュタントを迎える婚約者のリリが、この間、僕を明らかに意識した返事をくれたからだ。
彼女のエスコートを引き受けた夜会には、大勢の人が集まる。そこで、改めて彼女を婚約者としてお披露目しようと思っていたが、非常に楽しい席になりそうだ。
「兄上。ずいぶんと機嫌が良さそうだな?」
「ああ、ウィルか。仕事は? 片付いたのか?」
ノックと共に入ってきたのは弟のウィルだった。彼はうんざりとした顔をしつつも首を横に振る。
「いいや、あんなの終わるわけないって。ちょっと横見た隙に増えてるんだから、無くなるわけないよな。今は休憩。兄上の顔が見たくなって来てみたんだけど、端から見て分かるほど上機嫌だったから気になってさ」
「ああ、リリのことを考えていたんだ」
正直に告げると、ウィルは目を丸くした。
「リリって……リズ・ベルトランか? 兄上、まだあの女と付き合ってるのか? 我が儘な糞女だろう? 何も婚約者だからって、真面目に付き合わなくても良いんだぞ? どうせ、婚約は破棄になるんだし、適当にあしらっとけばいいのに」
言いながらウィルは、その場にあったソファに腰掛けた。相変わらず弟は、リリを『悪役令嬢』としか見ていない。彼女がそれ以外になれるとは考えてもいないようだった。
「馬鹿を言うな。僕にとってはあんなに可愛い子はいない。だってリリは『僕』を見てくれて、『僕』を必要としてくれてるんだから。お前には悪いけど、僕は予定通り、婚約を履行して、彼女を妃に迎えるつもりだよ」
「は? 嘘だろう?」
「嘘を吐いてどうするんだ。もうすぐ彼女のデビュタントだし、夜会では彼女をエスコートする予定だよ」
「えっ……でも、ゲームでは……ええ? な、なあ、兄上。デビュタントの夜会って……あれだよな? 我が儘なリズ・ベルトランに無理やり押し切られて、忙しい中、やりたくもないエスコートをする羽目になったって話だよな?」
「……お前が何を言っているのか意味が分からない。デビュタントのエスコートについては、僕が申し出たよ。婚約者なのだから当たり前だろう。それに、彼女のために日程を調整するのも当然。ひと月以上前から調整して、その日は空けてる。何の問題もないけど」
「嘘……だろ?」
「ウィル?」
ウィルが愕然とこちらを凝視してくる。
「だ、だって、ゲームでは……ええ? でも、デビュタントで一騒動あるはずだから、そこで原作に戻るのか?」
「……お前はまだゲームだなんだ、言っているのか」
「だって、ゲームだろ、この世界は。ここは、『シンデレラナイト~運命の恋人~』のゲーム世界で、オレや兄上は『攻略キャラ』なんだ。オレは、この世界に転生して……せっかくだだから、オレの推しだった兄上とヒロインに結ばれて欲しいって思ってる。なあ、兄上。ヒロインは本当に良い子なんだよ。将来の王妃としてもお勧め。だからさ、あんまりリズ・ベルトランに近づいて欲しくないんだ。……原作をこれ以上変えるのは止めて欲しいんだ。展開が変わると困るんだよ」
「悪いけど、僕はリズが好きなんだ。彼女以外と結婚する気はないよ」
「もしリズ・ベルトランが良い子ぶってるんだとしたら、今だけだって。絶対にそろそろ本性を見せてくるはず。だから兄上……」
これ以上、ウィルの話を聞いていられなかった。リリに対する侮辱の数々。それを言ったのが、たとえ血を分けた弟でも怒りが込み上げてくる。
「僕の好きな子を、これ以上貶すのは止めてくれないか。いくらお前でも、許せることと許せないことがある」
「兄上……」
「お前もいい加減、現実を見た方が良い」
「お、オレはちゃんと分かってる。だからこそ兄上に最高の相手をって……。なあ、もうすぐなんだ。ヒロインのデビュタントはもう少し先で、でも素晴らしい出会いが待っているから。そうしたら兄上も絶対に目が覚めるから」
「リリ以外は要らない。僕を必要としてくれるのは彼女で、僕は彼女を愛しているんだ」
はっきりと告げると、ウィルは泣きそうな顔をした。
「嘘、だろう? だって、リズ・ベルトランの……『悪役令嬢』のルートなんて存在しない。あるのは全部ヒロインとのルートだけで……。どうしてだ? どうして、どこで話が狂った?」
「お前が信じたくないのは分かったけれど、僕の気持ちは変わらないよ。そうだね、彼女がたとえ『悪役令嬢』だとしても、僕は彼女を選ぶよ。それが、お前の願う方向とは違ってもね。だけど――」
話を区切り、弟の顔を見る。ウィルは、呆然としながらも僕を見つめ返してきた。
「いい加減、理解してくれないか。リリと恋愛をしているのはお前ではなく、僕だってことをね。お前に、僕の恋の相手を決める権利はどこにもない。僕の恋なのだから、僕が選ぶ。そんなの、当たり前のことだろう?」
「あ……」
「お前が決められるのは、お前の恋だけだ。ウィル、いい加減、目を覚ましてくれ。お前が狂っていないことは分かっている。優秀な弟だということもね。だけど、この件に関してはいい加減うんざりなんだ」
「あに……うえ。オレ……は」
ウィルの目の焦点が定まらない。彼が酷く混乱しているのが分かった。
だけど、これは自分で解決しなければならないもの。いい加減、全部が自分の思うとおりになると思い込むのは止めて欲しい。
そして、僕の道を勝手に決めつけるのも止めて欲しい。
リリを手に入れるために、色々と参考にはさせてもらったけれど、これ以上はもう、十分だ。
「お前は僕ではなく、もう少し自分のことを見てみればいい。それこそ、その『ヒロイン』だっけ? そんなに素晴らしい女性なら、お前が相手になればいいだろう。お前もその『攻略キャラ』なのだから」
「えっ、いや……えっ?」
今まで考えたこともなかったとその顔が語っていた。だけど、それほどまでに勧められる女性なら、自分の恋人にしようと思わないだろうか。僕はずっとそう思っていた。
「とにかく、僕たちのことでこれ以上余計なことは言わないでくれ。僕はリリと結婚する。……お前も祝福してくれると嬉しいよ」
話を終わらせ、僕は書類へ目を落とした。
「……仕事が残っているんだ。悪いけど、休憩したいのなら、自分の部屋に戻ってくれるかな」
「……」
返事はなかったが、弟が部屋を立ち去った音がした。それを確認し、僕は大きな溜息を吐いた。
「リリ……」
ふと、彼女との婚約の証であるブローチに目を留める。
特殊な魔法を使って作り上げたブローチは、実は魔力で彼女のブローチと連動するようになっていて、彼女が危険に陥った時などは、光って知らせてくれるのだ。
たとえば、今のように。
「え?」
先ほどまで、何もなかったブローチが、今は明らかに光っていた。
あり得ない。リリには、ルークという優秀な護衛を兼ねた執事がいるし、彼女は自分から危険な場所に行くような子ではない。
何かの間違いだろうか。
いや、僕の魔法で、そんな間違いが起こるはずがない。
「……リリ!」
詳細は分からないが、それでも僕はとにかく部屋を飛び出した。




