ユーゴ
僕の周りは、キラキラした綺麗なものだけでできている。
そう、自覚したのはわずか五歳の頃だった。
ユーゴ・ベルトラン。これが、ベルトラン公爵家の次男として生まれた僕の名前。
僕は、美しいものが大好きだった。
自分の姿はもちろんのこと、両親に兄、そして妹。家族も皆、美しく、彼らの姿は僕の心を満たしてくれた。
美しいものに興味を抱き始めた僕は、色々な綺麗なものを集め始めた。綺麗な洋服に、綺麗な靴。綺麗な絨毯に、綺麗な食器。
綺麗なものに囲まれていると気持ちが落ち着く。
僕は綺麗なものがますます大好きになっていった。
逆に、汚いもの、綺麗ではないものを僕はだんだん厭うようになった。
目に入れたくない。僕の周りには綺麗なもの以外、あってはならない。
どんどんそう思うようになっていった。
周りに、僕を諫めるようなものはいない。
力のある公爵家の令息を咎めたり諫めたりしようなどと思わないのだろう。僕に従い、僕におべっかを使い、気に入られる。
それが一番簡単なのだから、皆、笑顔の仮面を被り、僕に接していた。
別に、それで良かった。
だって、汚いものなど見たくなかったから。指摘などされても、困るだけだったから。
僕は僕の言う通り、一緒に笑ってくれる人だけを周りに侍らせ続けた。
父も母も何も言わない。子供に過干渉する気はないのか、お前の勝手にすれば良いと言うだけだ。
そして兄は何故か侮蔑の視線を投げかけてくる。
兄も美しい人だ。せっかくだから、僕としては仲良くしたいのだけれど、兄は僕と目を合わそうともしない。やがて僕も、兄と会話をすることを諦めてしまった。
だけど家族の中では唯一、妹だけが僕を慕ってくれた。
妹は、僕と一緒で綺麗なものが大好きだ。少し我が儘で困ったところのある子だけれども、似た感覚を共有できる妹のことが僕は大好きだった。
毎日、お気に入りの者たちだけを呼び、お気に入りの庭で、新しく手に入れた食器を並べ、美しい菓子を楽しむ。
――ああ、なんて世界は美しいのだろう。
僕は、この完結された世界の中で生きて行ければそれでいい。どうせ次男なのだ。特に何も期待されていないのだから、このまま怠惰に生きて、綺麗なうちに死んでしまえたら、もう、それで良かった。
その世界を崩したのは、同じ世界で生きていたはずの妹だった。
妹――リリは、ある日、突然変わった。
それまでお世辞にも仲が良いとは言えなかった専属執事と関係を改善し、驚く間もなく、僕が避け続けている兄に接触を始めた。
兄は僕と同様、いや、それ以上に妹のことを嫌っている。
話しかけても侮蔑の視線をもらうだけだから止めておけと思ったが、妹はめげず……そして、気がついた時には、なんだか以前とは全く別の存在になっていた。
ある時、兄が妹を呼んだ。
珍しいこともあるものだと思っていると、兄は妹に「孤児院へ通っているらしいな」と尋ねていた。
――孤児院!
汚い子供がいる、衛生的にもあまり推奨されない場所。
あんな場所に僕の可愛いリリが行っているというのか。
綺麗なリリに汚い場所なんて似合わない。
そう思った僕は、兄が立ち去った後、リリに忠告に行った。
孤児院なんて、行くものではない。
そう言えば、聡いリリはきっと分かってくれると思ったのに、リリは不快げに眉を寄せ、僕には分からないのだと言い切った。
そして、しばらく話しかけないで欲しいと言ってきたのだ。
ショックだった。
よりによって、家族の中で一番僕に近しいと思っていたリリが僕を拒否したことが、とてもショックだった。
リリが何を言っているのか分からない。
世界には美しいもの以外必要ではなくて、汚いものは排除するべき。
それは間違っていないはずなのに、リリは僕を拒絶する。
とても、混乱した。
近づかないでと言われるまでもなく、リリに近づこうとは思わなかった。
兄と一緒だ。拒絶されるのが分かっていて近づけるほど、僕は心が強くない。
そんなある日、妹は、汚い、不細工な一匹の猫を拾ってきた。
そして、恐ろしいことにそれを飼いたいと両親に訴えたのだ。
白い猫は、鼻が潰れていて、耳が不格好に大きく、尻尾が長かった。
普通の猫とは違い、ひどく足が短くて胴が長い。
こんな気味の悪い猫、僕の世界にあってはならないものだ。
きっと両親は反対する。
両親だって、不細工な猫は嫌だろう。そう思っていたのに、両親はリリに説得され、それを飼うことを許してしまった。
信じられなかった。
――この不細工を飼う? 僕の家で?
あり得ない。そう思った。
だけどリリは、僕がどれだけ言葉を尽くしても退かない。それどころか、更に僕を拒絶したのだ。
――よりによって、大嫌い、などという言葉で。
その言葉は思いの外僕にショックを与えた。
僕が好ましく思っている存在に嫌われる。それは途方もない恐怖だったのだ。
僕はリリの前から逃げ出した。どうすれば良いのか分からなかったのだ。
彼女が追ってくることは当たり前だがなく、リリはそれから毎日猫にかかりきりになった。
――きっと、そのうち目を覚ますはずだ。
今は、あの猫に感情移入しているかもしれない。だけどあんなに不細工なのだ。近いうち、妹は目を覚まし、あの不細工猫を捨てる決断をするだろう。
そうだ、そうに違いない。
そう考えた僕は、こっそり妹の様子を観察した。
妹に気づかれないようにこっそりと。いつものお茶会も開かず、ただひたすらに、妹とその猫の動向を追っていたのだ。
そうしているうちに、僕はとあることに気づいてしまった。
――何だろう。あの不細工が可愛く見える時があるんだけど。
冗談みたいな話だ。自分のことなのに、そう見えた自分が信じられなかった。
だけど、まさかと思ったことは、それから何度も起こる。
妹の後を、短い足を一生懸命動かして追いかけていくところ。与えられた餌を尻尾をきゅっと立てながら美味しそうに食べているところ。
満足そうに目を細めてむにむにとしているところ。
何だろう。あんなに不細工だと思っていたのに、いや、今だって不細工は不細工だと思っているのに、それなのに何故か可愛く見える。
不細工な猫。僕の基準では捨ててしまうべき存在。なのに、それが時折、僕の美意識に触れるのだ。意味が分からない。
自分の価値観が崩壊しそうだった。
「……」
考えあぐねた僕は、料理長に頼み、猫の好物を作ってもらってから久々に妹の部屋を訪ねた。
遠目から見ているから可愛く見えたりするのかもしれない。だから思い切って近くに行って、そしてやっぱり不細工だった。可愛く見えたのは気の迷いだったと確信したかったのだ。
だけど――。
作戦は見事に失敗した。
近くで見ても、食事を楽しんでいる猫の姿はやっぱり可愛かった。不細工だなって思うのに、可愛かったのだ。
僕がおかしくなったのかと思った。
だけど妹は、その不細工を『可愛い』のだと言う。
今までの僕なら、それを一刀両断しただろう。その意見を認めようとはしなかっただろう。
だけど、この猫が可愛く見える時があるのを知ってしまった。
妹はもしかしたら、いつもこんな風にこの猫のことを見ているのかもしれない。
それなら――可愛いと言うのも頷ける。
――人によって、価値観は違う。見え方は違う。
何を可愛いと、美しいと思うのかはその人次第で、自分の意見を押しつけるのは間違っているのだ。
そんな、当たり前のことに初めて気がついた。
――そうか。僕はもしかしたら美しかったかもしれないものさえも拒否していのかもしれない。
不細工だと、美しくないとあっさり拒絶したものはいくつもある。だけどそれらも、もっと良く知れば、綺麗だったり、可愛かったりする部分が出てきたかもしれない。
たとえば、今目の前にいる、この不細工猫のように。
――それは、とても惜しいことをした。
ごくごく自然に、そう思った。
そして今度からは、醜いと、汚いとまず拒絶するのではなく、良く知ってから判断するようにしようと考えた。
そうすれば、まるで万華鏡のようにキラキラと、綺麗でないものが、綺麗に見える瞬間に立ち会えるかもしれない。
それはとても素晴らしいことだと思った。
きっと、僕の周りの美しいものも、もっと増えるに違いない。
世界はもっと美しく、綺麗になっていくだろう。
ああ、僕は酷くもったいないことをしていた。
世界は、きっと、僕が思っていたよりももっと広くて、きっともっと美しかったのに。
それを、今からは見逃さず、全部を見てみたいと僕は思う。




