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最近、めっきり私を避けている兄は、珍しくも私を睨み付けていた。私も負けまいと気合いを入れる。
「お父様は認めて下さいました。兄様には近寄らせないようにしますから、あとはもう放っておいてもらえませんか?」
「……そんな不細工な猫と同じ屋敷に住んでいると思うのすら耐えられないんだよ。リリ、頼むから、そいつを今すぐ捨ててきて。美しくないものが一緒にいるなんてゾッとする」
「この子は私がいないと死んでしまうと言ったでしょう。それとも兄様は、この子が死んでも構わないと言うのですか?」
「……美しくないのだから仕方ないね。今死ねば、次は美しい猫に生まれ変われるかもしれない。その方がそいつにとってもきっと幸せだと思うよ」
「……最低」
兄様が平然と放った言葉が許せなかった。
兄様は、命を命とも思っていない。美しくないものには価値がないと、死んでしまってもいいと言い切った。
この猫は、私が助けようと思った、これからも一緒に暮らしていこうと決めた大事な家族だ。それを『死んでもいい』と言われるのは許せなかった。
「兄様なんて大嫌いです!!」
「っ! リリ……!」
「出ていって下さい。この子を捨てたりなんて絶対にしません! この子は私の大事な家族。貶められるのは許せない!」
兄を睨み付けると、彼は気圧されたように一歩下がった。
それに、アルが同意する。
「ユーゴ、今のは明らかに君が悪い。リリが怒るのは当然だ。……自分の言った言葉の意味を考え、出直すのだな」
「で、殿下……」
「ユーゴ様。お嬢様もこう言っておられますし、部屋から立ち去って戴けますでしょうか。ここは、お嬢様のお部屋ですから」
ルークも私の味方をしてくれた。
ユーゴ兄様はアルとルークの顔を交互に見て、最後に私に顔を向けると、信じられないと首を横に振った。
「あり得ない。どうして、殿下まで? 僕は、僕は何も間違ったことを言っていないのに……!」
そうして、ばっと踵を返し、まるで逃げるように部屋を出て行った。
「……兄様」
大嫌いなんて言ってしまった。
その場の勢いだったが、さすがに言い過ぎだったのではないだろうか。
早速後悔が首をもたげてくる。だけど、言った言葉は戻らない。
「……リリ、気にすることはないよ。君の言ったことは正しかった」
「アル」
兄様が去った扉をじっと見つめていると、慰めるようにアルが言った。
「放置すれば死んでしまうと言っているのに、それを仕方ないと、それでも捨ててこいと命令するのはおかしいよ。大丈夫。ユーゴも聡い男だ。きっと近いうち、分かってくれる」
「そう……ですね」
アルの言葉にノロノロと頷く。今は、アルの言葉を信じるしかなかった。
「にゃあ」
「あ、ごめんね」
まるで、こちらのことを忘れるなとでも言うように、猫が鳴いた。その拗ねた感じの声が可愛らしくて、滅入りそうになっていた気持ちが浮上する。
「お前、不細工だ、なんて皆に言われていたけど、随分とこぎれいになったよね」
食事を終えて、とりあえず満足した様子の猫は、ふくふくと機嫌良さそうにしながら、己の耳を足で掻いていた。
改めてその顔をじっと見つめる。鼻ペちゃの大きな耳。足の長さは普通の猫の三分の一ほどしかない。
あまり見ない種類の猫だ。だから皆からは不細工だと言われてしまうのだろうが、今の私には十分に可愛らしく見えた。これが欲目というものだろうか。
「大丈夫。お前のことは私が面倒を看るから。お父様も許可を出して下さったし大丈夫。お前はうちの猫よ」
頭を撫でながらそう言う。アルが、私の横から猫を覗き込みながら言った。
「で? この子に君はどんな名前を付けるの?」
「そうですね……」
猫の名前……。そう言われても急には思いつかない。だけど、せっかくだから良い名前を付けたいと思った。
「どうせなら……すっごく有名な歴史上の人物の名前なんか付けてみたいんですけど」
「悪くないんじゃない? 名前負けしてるって思うけどね。候補は?」
「……ノエル」
その瞬間、ピクンと猫が反応した。逆にアルは「え」と眉を寄せる。
「ノエルって、あれ? 今、絶賛行方不明中の大魔法使い。確かに誰もが知っている有名人だけど……あんまり良い名前だと思えないな」
「……殿下に賛成です」
ルークまで渋い顔をした。
「どうして、ノエルなんて名前を選ぼうと思ったのですか?」
「うーん、どうしてって言われても困るんだけど、敢えて言うなら、この子を見ていると、ふっと頭に名前がよぎったから? かな。それに、その大魔法使いって行方不明ってだけで、まだ生きているんでしょう? 長生きして欲しいなって思うから、ちょうど良いかなと思うんだけど」
「……アレが行方不明になって、もう十年以上が経つよ? 死体が上がらないから行方不明扱いだけど、死んでると認識して良いと思う」
「にゃあ!!」
何故か抗議するように、猫が鳴いた。
宥めるように、その背を撫でる。
「良いじゃないですか。直感って大事だし。この子、『ノエル』って顔をしている気がしてきたんです。だからこの子の名前はノエルです」
「……大魔法使いノエルは、超絶美男子で有名だよ? この不細工に付けて良いの?」
「……良いんです」
一瞬、どうしようか悩んだが、やっぱり『ノエル』という名前以外にないという結論に達したので、そのままにすることにした。
「お前は今日からノエル。良い?」
「にゃあ!」
両手で持ち上げると、猫――ノエルは元気に返事をした。まるでこちらの言っていることが分かっているみたいだ。もしかして、すごく賢い子なのかもしれない。
「……ま、良いか。リリがそれで良いと言うなら」
「そう……ですね」
アルとルークが微妙な顔をしつつもうなずき合う。
こうして、猫のノエルは私の新たな家族となった。




