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「やあ、こんにちは。リリ」
「来て下さったんですね。アル。お待ちしていました」
それからしばらくして――。
仕事の都合がついたのだと、アルが屋敷を訪ねてきた。
事前に話は聞いていたので、今日は孤児院には行かない。
昨日、アルが来るから明日は休むとクロエに言ったところ、彼女は満面の笑みを浮かべて「楽しんできてね」と送り出してくれた。あと、「また、二人の話を聞かせて欲しい」とも言われた。
どうやら彼女の中で、私とアルは理想のカップルとなっているらしい。
実情とはほど遠いとは思うのだが、否定すると自分がダメージを負いそうだなと思ったこともあり、勘違いさせたままにしている。
アルとカップルのように扱われて、嬉しかったというのは気づかなかったことにしたい。
アルをいつも通り、応接室へと案内する。
ルークにお茶を淹れてもらい、他に誰もいないことを確認してから私は、アルと会えなかった時の話をした。
「手紙は読んでいたけど、やっぱり直接聞くと感じ方も変わるな。おめでとう、リリ。友人ができたんだね」
「ありがとうございます」
優しい目で見つめられ、恥ずかしくなった私は目を伏せた。
「いまだ、どう接するのが正解なのか分からないんですけど。でも、楽しく過ごしています」
「孤児院に行っているって言ってたね。子供たちの世話をしているんでしょう? 彼らはどんな感じなのかな」
「皆、元気です。最初は私も、どうしたらいいのか分からなかったし、世話なんて無理だと思っていたんですけど、慣れるものですね。今は、意外に悪くないと思っています」
「へえ」
驚いたようにアルが目を見張る。
アルに言ったことは本当だった。最初こそ、完全にクロエ狙いで通っていた孤児院通いだったが、今は彼女と会えることはもちろん、子供たちにも会えるのを楽しみにしている。
子供というのは感情表現が素直だ。
嫌いなら嫌いだと言うし、好きなら好きとはっきり言ってくれる。
その素直さが、何が正しいのか分からない私には嬉しかった。
子供たちの「お姉ちゃん、好き」の言葉には嘘がない。それが心地よく感じられ、率先して世話をするようになってしまったのだ。
「確か、子供たちには読み書きや、計算を教えているんだっけ?」
「はい。皆、学ぶことに貪欲で、教え甲斐があります」
最初は熱心ではなかったが子供たちだが、将来役に立つのだと教えれば、一生懸命取り組み始めた。そういう話をすると、後ろからルークがわざとらしい咳払いをした。
「……何、ルーク」
「いえ、ご歓談のお邪魔をするわけには」
「それなら最初から邪魔しないでちょうだい。何かあるんでしょう? 良いわよ、言いなさいよ」
どうせ、遅かれ早かれ言うつもりなのだ、この男は。
最近、すっかりルークの性格を分かってきた私は、じとりと彼を睨んだ。
「それでは、申し上げます。殿下。お嬢様が子供たちにしているのは、教育だけではありません。よく、彼らに強請られて、歌っていらっしゃいます。むしろ、それが一番多いくらいでして」
「ルーク!」
まさかここで暴露されるとは思わなかった。思わず声を上げると、アルが興味津々と言う顔で身を乗り出してきた。
「へえ? リリって歌えるの? 初めて知ったな。なんだ。そんな楽しそうなことをしているのなら、手紙に書いてくれれば良かったのに。どうして教えてくれなかったの?」
「そ、それは……」
「お嬢様は音痴なんですよ。ですから、恥ずかしかったのだと思います。お嬢様は……殿下には良い顔を見せたいようですので。きっと深く聞かれてはまずいと考えたのでしょう。実に浅はかな話です」
「ちょっと!」
余計なことしか言わない執事を涙目で見た。
ルークはしらん振りをして、私の顔を見ようとはしない。……本当に、良い性格をしている。
「え? でも、音痴なのに、子供たちから歌を強請られるの? おかしくない? 本当は上手いって言われた方が納得できるんだけど」
「お嬢様は、歌に魔力を込めるのが得意なのです。それが心地よいものとして感じられるようで、音痴なのに不思議と聞いていたいと大評判です」
「……最低な評判だわ」
音痴なのに聞いていたいとか言われて、嬉しいと思えるはずがない。
いくら心地よく聞いてもらえたとしても、音痴なのは全く変わらないからだ。
「いやあ、お嬢様の歌って妙な中毒性がありますからね。音痴なのも味かなと最近は思うようになってまいりました」
「音痴、音痴って連呼しないでよ。……これだけ歌わされているのなら、少しは上手くなっているものじゃない?」
本心から期待したのだが、それにはルークは否定した。
「残念ながら、全く上達していませんね。お嬢様……せっかく良い才能をお持ちなのですから、もう少し努力しようとは思いませんか? そう……歌の先生についていただくとか。よろしければ手配しますけど」
「要らないわよ。子供たちの前でしか歌わないもの。彼らに私の音痴は知られているし、もう諦めたわ」
溜息を吐くと、アルが「ええ!」と声を上げた。
「リリの歌。僕も聞きたいんだけど」
「……ルークの話を聞いていらっしゃったのなら、おわかりいただけるでしょう? 私は……自分でも言いたくないんですけど本当に音痴なんです」
「でも、それでも聞きたくなる魔性の声でもあるんでしょう?」
「魔性って……自分では分からないので、なんとも。でも、下手だと分かっているものをアルにお聴かせすることなどできません」
「そんなことを言わずに。ね?」
「無理です」
お願い、無理、の攻防がしばらく続く。
「分かり……ました」
結局、私が折れるという形で決着は付いた。私が、この人に勝てるわけがないのだ。
……分かっていた。
「……少しだけ、ですからね。笑ったら、すぐ止めますから」
「分かってる、分かってるって」
「……もう」
しぶしぶ、歌い始める。選曲は、最初に子供たちに披露した童謡だ。短いし、あれから子供たちから何度もリクエストを受けて歌っているので慣れているからだ。
「……終わり、です」
本来なら三番まであるのだが、一番だけを歌う。
アルがどんな反応をするのか怖かった。彼の顔をそっと窺う。……どうやら、笑われてはいないようだけれど。
「ええと……アル?」
いつまでも何も言ってくれないので、つい、名前を呼んでしまった。アルがパチパチと目を瞬かせ、「ごめん」と苦笑する。
「つい、聞き惚れてしまって。すごく、後に残る歌だね。確かに、上手いとは言わないけれど、君の歌はすごく味のある、気持ちを安らかにさせることのできる素晴らしいものだと思う」
「……ありがとうございます」
上手くないのは、やはりそうなのか。
仕方ない話だが、少しだけがっかりした。やはり、ルークが言った通り、歌の先生に習った方が良いのではないかと考えてしまう。
「君の歌を聞いていたら、なんだかすごく眠たくなってしまったよ。気持ちがホッとしたからだろうな」
「お忙しいみたいですものね」
「うーん、王族だからそれはもう、仕方ないんだけどね。ふあああ……眠い」
本当に眠いらしく、アルは小さく欠伸をした。そして私に視線を向けてくる。
「ねえ、リリ。お願いがあるんだけど」
「はい」
何だろう。そう思いながらも頷くと、アルは言った。
「少しだけで良いから、君の膝を貸してくれない? 本当に、妙に眠くなっちゃってさ」
「ひ、膝、ですか? か、構いませんけど」
膝を貸すとはどういう意味だろう。
分からないけれど、アルはいつも私を助けてくれている。そのアルに私が協力できることがあるのなら、協力したいと思った。
「えと、私、どうすれば……?」
「こっち。僕の隣に座って」
「は、はい」
アルの正面に座っていた私はソファから立ち上がり、彼の隣の席に移動した。言われたとおりに腰掛けると、アルが膝の上に倒れ込んでくる。
「ひゃっ!?」
いきなりの展開に、思わず変な声を出してしまった。
「な、な、な……!」
「膝を貸してって言ったでしょう」
「い、言いましたけど、まさかこんな……」
膝枕をしてくれという意味だとは思わなかったのだ。アルを膝の上に載せたまま固まっていると、彼は言った。
「君は僕の婚約者なのだし、これくらい良いでしょう? それとも駄目?」
「だ、駄目と言いますか……」
「じゃ、嫌?」
「そ、そんなわけ……」
「じゃあ良いよね」
「っ!」
良かったとふわりと笑い、アルが私の膝の上で目を瞑る。それを私は目をカッと見開きながら凝視した。
「えっと、えっと……」
「お嬢様。とりあえず、口をお閉じになることをお勧め致します。殿下はお疲れのようなので、少し寝かせて差し上げるのが良いのではないでしょうか」
酷く冷静な声が聞こえ、私はなるほどと頷いた。
「そ、そうね。……ん? ルークっ!」
「はい」
「み、見てたの」
「見てたって……そりゃあ、私はずっとお側に控えておりますからね。当たり前でしょう」
「どうして、止めてくれなかったのよ!」
いくらでも止める機会はあったはずだ。きっと彼を睨むと、ルークは肩を竦めた。
「殿下をお諫めすることが、一介の執事である私にできるはずもありません。それに、お嬢様が嬉しそうでしたので、お止めするのも野暮かなと思いまして」
「や、野暮……」
それより、私が嬉しそうな顔をしていたというあたりを、小一時間ほど追及したい。断じてそんな顔はしていないはずだ。




