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「まさか、お嬢様が孤児院に通い詰めになる日がくるなんて思いもしませんでした」
「……それについては全面的に賛成するわ」
クロエと友達になって、一週間が過ぎた。
結局、私はあれから毎日のように孤児院へ行き、クロエと一緒に子供たちの世話を手伝っていた。
初めてできた友達に、「また会いたい」などと言われて、断れるものか。
もう嫌だ。二度と行くものかと、散々思わされた初日の帰り際。
私はクロエの言葉を聞いて、あっさり前言撤回した。
「……クロエが来て欲しいって言うなら、また来るわ」
「本当? 嬉しい! 他の友達は、孤児院に行くと言うと、皆、『私は良いわ』って逃げていくの」
「……その友達って、貴族令嬢よね? だとしたら、当然の反応だと思うわ」
貴族の義務として、寄付はする。だが、誰が直接世話をしようというのか。
私だってできれば御免被りたいと思っているのだから。
「でも、リリは来てくれるのでしょう?」
「……そ、それはあなたがどうしてもって言うから!」
上目遣いで私を窺ってくるクロエは、同性の目から見ても可愛らしいと思う。
私の言葉を聞き、クロエは嬉しそうに笑った。
「ええ! どうしても! せっかく友達になれたんだし、もっとリリと一緒にいたいの」
「……仕方ないわね」
孤児院の世話と初めての友達を心の中で天秤に掛けた私は、あっさりと友人を選んだ。
やっとできた友達と、これで終わりになんてしたくない。その為ならば、孤児院の手伝いくらい、快くやってやろうじゃないか。そう思ったのだ。
打算的と思うなら思えば良い。
そういう流れがあって、それから私は毎日孤児院に通い続けた。
子供たちに読み聞かせをしたり、計算を教えたり、時には、歌を歌わされたり。
小さな子供たちには昼寝の時間が儲けられており、その時間にクロエと二人(もちろんルークはいるけれど、あれは無視だ)でお茶をするのが楽しかった。
今日も、皆の世話を終え、二人で簡単なお茶会を楽しんでいたのだが、クロエは私に形だけながらも婚約者がいると知り、熱心に尋ねてきた。
「わああ! 婚約者がいるんだ! さすが、リリ。公爵家のお嬢様って感じがする!」
自分も貴族の令嬢なのにそんなことを言うクロエを私は呆れた顔で見た。
「……別に珍しい話ではないわ。伯爵令嬢のあなたにもよくある話だと思うし、あなたの友人たちにもそういう娘はいるでしょう?」
「それが周りには意外といなかったりするの。私も、全然そんな話はないし。だからすごく新鮮! ねえ、差し支えなければ教えて。相手はどんな人? リリはその人のことをどう思っているの?」
「どう思ってって……」
私とアルの婚約は、父と国王の間で正式に結ばれており、その事実は別に秘密でも何でもない。
だから、相手の名前を言うのは別に構わなかったのだが、どう思っているのかという質問には困ってしまった。
「ええと……相手は、第一王子のアラン殿下よ。その……婚約したのはつい最近のことなの」
「アラン殿下!? わあ! じゃあ、リリは王太子妃になるのね。素敵だわ」
「婚約が続行すれば、最終的にはね。どうなるのかは分からないけど」
私とアルの婚約は、私に協力してもらうために行っていることだ。彼が嫌になれば、いつだって婚約解除には応じるつもりだし、他に好きな人ができたと言われた場合でも……快く、応じたいと思う。
だから、できるだけ彼のことは『自分の婚約者』と思わないようにしようと思っていた。
だって、そんな風に思ってしまったら、きっと私はアルを誰にも渡したくないと思ってしまうから。彼が、もう止めにしようと言っても、素直に頷くなどできないと分かっているから。
見た目だけでも好きになってしまったのに、私が、『悪役令嬢』にならないように、色々助言してくれる優しい彼と接して、更に好きにならないはずがないのだ。
好きな人を、他の誰かに渡したいはずがない。しかも、その人は今、自分の婚約者なのだ。
手放したいはずがないではないか。
――久しぶりにアルに会いたいな。
第一王子は暇ではないから仕方ないのだが、それでも思ってしまう。彼に会って、クロエのことを話したい。初めてできた友達のことを手紙には書いたが、やっぱり直接話したいと思うのだ。
「……リリって、殿下のことが本当に好きなのね。今、すごく優しい顔をしていたもの」
「えっ」
クロエがクスクス笑いながら私に言う。アルのことを考えていたのは本当だったので、言葉に詰まってしまった。
「政略結婚の婚約者なんてどうなんだろうって思っていたけど、リリは幸せなのね。きっとアラン殿下はとても素晴らしい方なんだろうなあ」
「ええ、それは。噂に違わぬ……いいえ、噂以上に素敵な方よ」
「いいな、いいな。私も、そんな婚約者……ううん、恋がしてみたい!」
きゃあ、と楽しそうに両手を頬に当てるクロエを見つめながら私は言った。
「ええと、クロエには婚約者はいない……のよね。それなら好きな人はいないの?」
後ろでガタリと動揺するような音が聞こえたが、無視をした。
自然な流れのはずだ。私も自分のことを話したのだから、聞いても構わないはず。
私の質問を聞いたクロエが、苦笑いをした。
「残念だけど、私には婚約者も好きな人もいないの。いつか、私にも良い人ができればなって思っているけど」
「そう」
薄々感じていたことだが、クロエの中で、ルークは恋愛対象ではなかったらしい。
ルークには気の毒な話だが、これはもう仕方のないことだろう。
クロエに意識してもらえるようにもっと頑張るか、それとも諦めるか。彼次第だ。
そんな風に思っていると、クロエが夢見るような瞳で言った。
「さっきのリリみたいな顔ができるような人に出会いたいなあ。社交界デビューすれば会えるかなって期待しているんだけど」
「そうね。社交界にはたくさんの未婚男性がいるから、あなたのお眼鏡に叶う男性もいると思うわ。でも、中には妻子持ちでも声を掛けてくるような最低なのもいるから気をつけないとね」
私も社交界デビューはまだだが、話だけは聞いている。
愛人候補を探しているような公爵や侯爵などいくらでもいるのだ。
友達であるクロエがそんな男たちの毒牙に掛かるのは絶対に嫌なので忠告すると、彼女は笑いながら言った。
「大丈夫よ。私、妻や恋人がいる男性に興味はないの。そういう人たちには、ちゃんと自分の大事な人を大切にして欲しいなって思うから、お断りする」
はっきりと答え、クロエは顔を歪めた。
「大体、私、二番目、とか絶対に嫌だし、一人の男性を誰かと共有するのも絶対にごめん。私は私だけを見てくれる人がいいの」
「それは、そうね」
「あとね、今の恋人と別れるから自分と……なんて言う男も信用できない。そういう人は、また同じことを繰り返すのよ。初めて付き合った女性が私! なんていうのはさすがに無理だと分かっているし、望む気もないけれど、誠実な人とお付き合いがしたいわ」
「クロエ、あなた意外としっかりしているのね」
彼女の望む男性像を聞き、感心してしまった。
確かに、彼女のいうとおりだなと思ったのだ。
私も、好きな人を誰かと共有なんて嫌だと思うし、誠実な人と付き合いたい。
「私も……そういう人がいいわ」
思わず本音を口にすると、クロエは目を丸くした。
「何を言ってるの。リリにはアラン殿下がいるでしょう?」
「……そうね」
クロエの言葉に曖昧に頷いた。
そうなってくれれば嬉しいけれど、今の、すぐに『悪役令嬢』に傾いてしまう私では彼の相手にはなり得ない。完璧令嬢になって、その時まだ、彼が私の側にいてくれたら……そんな未来がきたら、好きだと伝えても許されるだろうか。
彼は、私を選んでくれるだろうか。
――ああ、駄目だわ。
考え込みそうになる思考を振り払う。
私には、こんなことを考えている暇はないのだ。
まずは、完璧令嬢になる。そしてウィルフレッド王子を見返す。
この目標を達成してから、それから続きを考えるべきだ。
「どうしたの? リリ」
クロエが心配そうな声で聞いてくる。それに私は「何でもない」と笑って誤魔化し、上手く話題をすり替えた。




