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「し、失礼いたしましたっ!」
相手が誰かを認識した私は、慌てて立ち上がった。王子に立たせておいて、自分が座っているなど礼儀としてあり得ない。
ぴょんと飛び上がった私は、急いで貴族令嬢として相応しい礼を取りつつ、アラン王子に挨拶をした。
「も、申し訳ございません。わたくし、リズ・ベルトランと申します。恥ずかしながら、殿下がお入りになっていたことに全く気がつきませんでした。ご無礼をお許し下さいませ」
冷や汗ものの失態である。この人を待っていたのに、近づいてくるまで気づかなかったのだから、罰せられても文句はない。無礼以前の問題だ。
ぶるぶると震えているとアラン王子は軽い声で言った。
「顔を上げて。知っているみたいだけど一応自己紹介しようか。アラン・ローズブレイドだ。ああ、怖がらなくてもいいよ。待たせてしまった僕にも非はあるから。約束していた時間に遅れてしまってごめん。さすがに悪いなと思って、兵士ではなく僕自身で君を迎えにいこうとやってきたんだけど」
「そ、そうでしたか」
許しを得られたことにホッとする。王子を怒らせて、父に迷惑を掛けたらどうしようとそれが心配だったのだ。
だけど、どうやらアラン王子は怒っていないようだ。
良かった。そう思い、表情が緩んだところで、アラン王子が口を開いた。
「――それで。ねえ? 君は『悪役令嬢』ではないの? さっき、そんなことを言っていたよね?」
「っ!?」
さらりと告げられた言葉を聞き、息が止まった。
え、今、この人は何と言ったのか。
「あ、あ……あの? 殿下?」
「君はよほどショックを受けていたみたいだね。僕が入ってきたことにも全く気づかず、ずっと独り言を話していたのだから。悪役令嬢などではないと自分に言い聞かせているように見えたよ」
「う、嘘……」
自分では心の中で考えているだけのつもりだったのに。
どうやら声に出していたと聞き、青ざめた。
――まずい。覗き見をしていたことがばれてしまった。
真っ先に思ったのがこれだった。
だって『悪役令嬢』なんて言葉、そうでなくては出てこない。
聞き慣れない言葉だったし、私も意味を分かっているわけではないのだ。それは他の誰に聞いても同じだと思う。
「あ、あの……わ、私……」
「扉が開いていたのかな? まあ、それはこちらのミスだし、気になった君が覗くのも無理はないと思うから責めたりはしないよ。その代わり、聞かせてくれないかな? どうして、君が『悪役令嬢なんかではない』と必死で否定していたのか。もしかして、弟の言葉に思い当たる節でもあったかな?」
「そ、それ……は」
アラン王子が笑顔で痛いところを突いてくる。
言葉を失った私に、アラン王子は納得したようだった。
「なるほど。心当たりがあった、と。で、君はショックで泣いていたってことなのかな?」
「っ! 泣いてなんて……」
あるわけない。気丈にアラン王子を睨み付ける。だが、王子は私の目の端に手を伸ばしてきた。そうして何かを掬うような仕草をする。
「ほら、目の端に涙が溜まってる。ショックを受けて泣いてしまうなんて可愛いね。ウィルから聞いた『悪役令嬢』とは全く違う。あいつが言っていた悪役令嬢はもっとこう、無神経で図太い女性って感じだったのに」
「む、無神経で図太い……」
遠回しに自分のことを貶されたのだと気づいた私は、あまりの侮辱にふるふると震えた。
「うん。だって、君も聞いていたのなら分かるでしょう? 傲慢で我が儘。自分が一番でないと気が済まない……ええと、あと、何だったっけ。とにかくそんな人物が、繊細で神経質だと思う?」
「……思いません」
「でしょう?」
――これ、私のことを言われているのよね。
内心イラッとしたが、客観的には確かにその通りだとしか思えなかったので頷いた。
「で、君はそんな人物ではないはずだと嘆いている、と。合ってるよね?」
「当たり前です。殿下ならどう思われます? 自分が最低だ、なんて聞いて、納得できますか?」
「どうだろう。本当に最低なら、自分を変えるしかないなって思うけど……でも最低な人間は、まず己を顧みようとしないから、その時点で最低ではないんじゃないかなあ」
「……」
思いの外、真面目な答えが返ってきて驚いた。
「うん。だからそういう意味では、君は弟が言うほど最低ではないと思う。だって、さっきの君の顔は後悔と反省に彩られていた。その上での葛藤でしょう?」
「っ!」
「心当たりがあって苦しい。でも、認めたくない。それは当たり前の反応だと思うな。僕も、あんなこと言われたらショックだと思うから」
「……殿下は何をおっしゃりたいのですか」
「僕?」
アラン王子の言わんとするところが掴めない。彼をじっと見つめると、王子はぱちぱちと目を瞬かせた。そうして破顔する。
「ああ。君があまりにも悩んでいるようだから。それなら協力してあげようかと思って」
「へ?」
何を言われたのか一瞬、本気で分からなかった。呆然としていると王子は笑ったまま話を続ける。
「弟に『悪役令嬢』なんて言われて悔しかったんでしょう? 違うって言ってやりたかったんでしょう? 違う?」
「それ、は……違い……ません、けど」
アラン王子の言う通りだ。
私は、私がウィルフレッド王子の言うところの『悪役令嬢』などではないと言ってやりたかった。そんな最低な女ではないと堂々と告げたかったのだ。
だけど、否定できないと気づいてしまった。違うと言いたいのに言えない。そのことに苦しんでいたのだ。
ようやく自分の気持ちに気づき、俯きながら唇を噛みしめていると、アラン王子が私の関心を引くように手を打った。大きな音が聞こえ顔を上げる。彼はじっとこちらを見ていた。
「だから、協力しようかって言ったんだよ。僕は弟から『悪役令嬢』のなんたるかを色々と聞かされている。だから、それを参考にして君に助言してあげられると思うし、君にとっては悪くない話だと思うけど」
「協力……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。アラン王子は大きく頷いた。
「そう。君が本当に最低な女性なら、こんなことは言わなかったけどね。弟に好き放題言われてショックを受けていた君の様子を見ていれば、改善の余地はあるんじゃないかと思って。どうする? 僕と一緒に『悪役令嬢』にならないように頑張ってみる?」
「……」
その誘いは、『悪役令嬢』が何かも分からない私には、渡りに船の幸運な話だった。
確かにウィルフレッド王子の兄であるアラン王子なら、色々と情報も持っているだろう。だけど、どうして彼がこんなことを言い出したのかが分からなかった。
彼はまだ私の婚約者ではないし……その、『悪役令嬢』などと言われる最低な女を助ける理由が分からなかったのだ。
「……」
どうしても迷ってしまう。
先ほどまでの私なら、『美しい私に協力するのは当然』と不思議にも思わなかっただろう。だが、この短い間に私の認識は変わってしまった。最低だと称される私を、アラン王子が助けてくれるとはどうしても思えないのだ。