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吐き捨てるように言われ、身体が固まる。
――酷い、何それ。
傲慢で我が儘?
どうして会ったことのない王子に、こんな陰口を叩かれなければならないのだろう。
呆然としながらも二人の王子から目が離せない。ウィルフレッド王子の言葉を聞いたアラン王子が困ったように息を吐いた。
「悪役令嬢……ね。お前が昔から言っていた話かい? この世界が『ゲーム』で、僕やお前が『攻略対象』……だったっけ? まだその話は続いていたのか」
「そうそれ! 兄上はメイン攻略キャラだからな。悪行の限りを尽くす婚約者の悪役令嬢に嫌気が差した兄上は、ヒロインとの真実の愛に目覚め、ハッピーエンドに辿り着く。オレ、兄上×ヒロイン推しだから、絶対に兄上には頑張ってもらいたいんだ!」
身を乗り出したウィルフレッド王子をアラン王子が穏やかな声で宥める。
「……聞いているのが僕だから良いものの、決して他の者には言ってはいけないよ。第二王子は気が触れたと思われてしまう」
「オレは気が触れてなんていないって! それに兄上にしかこの話はしないさ。だって変に話して、原作が壊れたら困るもんな」
「それなら僕にも話さなければ良いだろう」
困ったように息を吐くアラン王子は美しかった。とてもではないが、十七才の男性には思えない。男女を超越した、中性的な美貌なのだ。同系統の顔をしているウィルフレッド王子とは全く違う。こちらは年相応の表情で、どこか男臭い。
「兄上には絶対に間違った道に進んで欲しくないから。その為なら必要な情報は伝えるべきだと思うんだ」
「……僕も、お前の話を信じているわけではないんだよ? それはいつも言っているだろう?」
「分かってるって。兄上はそれでいい。話半分にでも聞いてくれたら十分」
「お前がそれでいいのなら構わないけどね」
そう言って、疲れたようにアラン王子は笑った。
「――それで? 今から僕が会う婚約者が、そのお前の言う『悪役令嬢』だと。まだ社交界デビューをしていないからどんな女性か僕は知らないけれど、本当にそんなに酷い女性なのかい? 仮にもベルトラン公爵家の令嬢だろう? きちんと教育を受けた淑女だと思うのだけれど」
アラン王子の問いかけに、私も心の中で頷いた。
そうだ。私はウィルフレッド王子の言うような酷い女では断じてない。
傲慢で我が儘などと言われる覚えはないのだ。
だが、ウィルフレッド王子は笑いながら言い切った。
「ああそれな。見た目だけは最高に良いんだけど、リズ・ベルトランの性格は最悪だぜ? 笑い方は基本的に高笑いで、悋気は酷いし、美しいもの以外は認めない。高飛車で、自分が一番チヤホヤされていないと満足できないタイプだ。これは設定に書かれていたから知っているんだけど、あの女、親から甘やかされて育ってきたらしいから、我が儘も相当なものだと兄上も覚悟した方が良い。最初は猫を被っているかもしれないけど、次第に本性を現すからな?」
「……そんな女性が僕の婚約者だと言うのか。お前が言うことが真実だとしたら、気が重いな」
「嫌なら関わらなければ良いんだって。とにかく兄上には、悪役令嬢のリズ・ベルトランと婚約してもらわないと。その上でヒロインと出会わなければゲームが始まらない」
「僕にはお前の言っていることが全く理解できないよ」
「まさか。天才の兄上に分からないことなんてないだろ」
「……いい加減、弟が病気かもしれないと主治医に相談すべきか本気で悩んでいるんだけどね」
「止めてくれ。兄上だからこそ話しているんだからさ」
「……何……今の……」
二人の話はまだ続いていたが、私はもう聞いてはいなかった。
だって、それどころではなかったからだ。
「……」
ふらつきながら、先ほどまで座っていた椅子があるところまで戻る。頭の中が悲鳴を上げていた。
――笑い方は高笑い。悋気が酷く美しいもの以外を認めない。高飛車で自分が一番じゃないと満足できないタイプ。
嘲笑うようなウィルフレッド王子の声がすぐ側から聞こえてくるようだ。
「そんなんじゃない……」
違う。
私は、そんな女ではないはずだ。
先ほども思ったはず。傲慢で我が儘などではないと。
これは、事実無根の話。私は根も葉もない噂を婚約者になる男性に広められた被害者のはずなのに。
「なのに――」
なのに、どうしてこんなに胸が痛いのだろう。
どうして私は今、吐きそうなほどに気持ち悪くなっているのだろう。
まるで、図星を突かれたかのように、傷ついているのだろう。
「違う、違う、違うわ」
必死で自分に言い聞かせる。私は、そんな女ではないと、違うのだと言い聞かせる。
だけど、胸の痛みも、吐きそうなほどの苦しみも収まらない。
その理由に私は、気づきたくないと思いながらも気づいてしまった。
――思い当たる節があるのだ。
高笑いも、高飛車なのも、美しいもの以外認めないのも、自分が一番でないと嫌だというのも全部。
全部、思い当たる節がある。
「……私の、こと、よね」
当たり前だ。ウィルフレッド王子は私の名前を出していたのだから。彼は私を最悪な性格だと言い切った。そしてそんな女は気が重いとアラン王子も言ったのだ。
つまり、それは私が否定されたということで――。
頭の中がグルグルと気持ち悪く回っている。
今まで、誰にも言われたことがなかったから気づかなかった。自分が今やっていることを全部正しいと信じてきた。
だって、父も母も兄も、皆、それで良いのだと言ったから。それが正しいのだと笑ってくれたから。
だから私は今までこうして生きてきた。
「――って、駄目だわ。こんなの言い訳にしかならない」
自分がやってきたことを、全部家族のせいにしているだけだ。
正直言って泣きそうだった。
初めて他人から否定された。そのことで、主観的にではなく客観的に自分のやってきたことに気づかされてしまった。
最悪だと言われ、確かにそうかもしれないと思ってしまったのだ。
「私のやってきたことって……なんだったの?」
分からない、分からない。
まるで足下の地面が崩れ落ちてしまったかのようだ。どこに立てばいいのか分からない。
今までの自分が最低だったのは、情けない話だが、なんとなくは理解した。
だけどそれなら、これから私はどうすればいいのか。
私は、他の生き方なんて知らないのだから。
そして、震えながらも私はウィルフレッド王子が言ったもう一つの言葉がどうしても気になっていた。
「悪役令嬢って……何なのかしら」
言葉からして良いものでないことだけは分かる。
だって、『悪役』なんて付くくらいだ。
悪役、つまりは嫌われ者ということだろうか。
――悪役令嬢リズ・ベルトラン。
ウィルフレッド王子はそう言っていた。
それは私が皆から嫌われているとそういうこと?
「……」
深く考えたくない。
恐怖で震えが止まらない。
今まで、皆に好かれていると思っていたのは全部私の思い込みだったのだろうか。最悪な性格の私に、皆は我慢して合わせてくれていた? 考えるだけで吐きそうになる。
「いや……いや……」
そんな惨めな自分はどうしても許せなかった。
「悪役令嬢……違う、私はそんなのじゃない……」
「――ねえ」
椅子に座って俯き、ぶるぶると震えている私の頭上から声が掛けられた。反射的に顔を上げる。
「っ!!」
いつの間にここに来ていたのだろう。目の前にいたのは、透明な赤い瞳の、先ほどまで私が覗き見をしていた王子の一人――つまりは私の婚約者になる予定だったアラン王子だった。