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「申し訳ありません。遅れました」
謝罪すると、父が視線を向けてきた。
「殿下から手紙が届いたと聞いている。それを読んでいて遅くなったのか?」
「は、はい……」
「そうか。それなら仕方ない。次回からは気をつけるように。さあ、座りなさい」
「はい」
上品に見えるギリギリの速度で自分の席に座った。全員が揃い、食事が始まる。
父は近くに座っている母に話しかけていた。
「陛下から、殿下の正妃にリリをと言われた時はどうしようかと思ったが、案外上手くやっているようで安心したな」
「わたくしたちの娘ですもの。当然ですわ」
「ああ、そうだな」
父と母が楽しそうに話し始める。父は昔は城で大臣職を務めていたのだが、今は引退して領地経営に勤しんでいる。母とは完璧な政略結婚だが、仲は良い……というかラブラブだ。お互い初見で一目惚れしたらしく、今も幸せそうにしている。
互いに一目惚れするくらいだ。両親は二人ともかなり容姿が整っている。その子供である私や兄たちも同様で、公爵家というより美形一家としての方が有名だった。
中でも私は唯一の女の子ということで、両親にはかなり可愛がられている。我が儘はしたい放題させてくれるし、今回の婚約だって、私が嫌だと一言言えば、父はすぐにでも動くだろう。完全にお姫様扱いされている。
それを今までは当然のことだと思い、過ごしてきたが、このままではきっと駄目なのだろうとはさすがに分かってきた。
だって、ウィルフレッド王子も言っていた。『悪役令嬢リズ・ベルトランは両親に甘やかされている』と。
それについては自覚がある分、堂々と言い返すこともできない。
「愛されていることの何が悪いの? それは愛されない者の僻みでしょう?」と、昨日までの私なら言っただろうが、今は「くっ、我が儘放題で悪かったわね。これから改善するんだから、黙ってみてなさいよ!」くらいしか言えないのだ。
負け犬の遠吠えのようで、言えるわけがない。
とにかく、現在彼の言っていることの真逆を実行してやろうと考えている私としては、両親からの自立。つまりは親離れ。これを目標に掲げなければならないのだ。
――よし、頑張るわよ。
密かに決意を固めていると、父が「そうだ」と思い出したように言った。
「リリ、最近、新しいドレスを作っていないそうではないか? どうしたんだ? もしかして、今のデザイナーが気に入らないのか? それならお前の気に入るデザイナーを誰でも呼ぶといい。お前が綺麗な格好をしてくれると、私たちも楽しいからな」
ずっと派手に動いてきた私が、急に大人しくなったことを父は気にしているようだった。確かに父の言う通り、あの日、アルが屋敷に来てくれた日から、私は一度もドレスを作っていないし、宝石も買い求めていない。
先日、私は改めて私室の隣にある私専用の衣装部屋を確認したが、一度着たきりのドレスが、山のように出てきて頭を抱えたくなった。宝石も同じだ。
美しい装いをするのは貴族令嬢としての勤めとの認識はあるが、いくらなんでもこれはやり過ぎだろう。そしてそこまで考え、ふと、やり過ぎだと思えた自分に気づき、驚いた。アルと話したことで、私の認識も少しは変化しているのだろうか。
だとしたら、それは大事にしたい。多分、今の私が持っていなくてはならない感覚だと思うからだ。
「王家主催の夜会に出向くようになれば、やはりドレスを新調するべきと思ってはおりますが、普段のお茶会程度で新しく作り直す必要はないと考え直したのです。それに、必要以上にお金を掛けるのも良くないなと思いまして」
今の気持ちを素直に告げると、父も、話を聞いていた母も驚いた顔をした。
父が私を凝視してくる。
「リリ? どうしたんだ、一体。いつものお前らしくないぞ。ドレスに金を掛けるのは令嬢として当たり前のことだと、どんな時でも気を抜かないのが当然と、いつも口うるさく言っていたではないか。……何か悪いものでも食べたのか?」
「……食べてません」
ルークもそうだったが、どうして皆、同じことを言うのだろう。
ムスッとしていると、私の給仕をしていたルークが声を押し殺して笑っていた。
……許さぬ。
「さきほども言いましたが、別に作らないとは言っていません。ただ、何でもかんでも新しいものにする必要はないと思ったまでです。それはただの贅沢だと。その……私のドレスを出して下さるお父様のお金は、元を正せば民の血税ではありませんか。それを何も考えず、湯水のごとく使うのはどうなのかと考えるようになっただけです」
自分の考えを述べると、父も母も、何故か兄たちまでもが、私を凝視してきた。
父が、まるで皆を代表するかのように言う。
「お前……本当にどうしたのだ? 熱でもあるのか?」
「あなた……本物のリリ?」
母が、とても失礼なことを真顔で聞いてきた。それに私は機嫌を悪くしつつも頷いた。
「熱はありませんし、私は本物で間違いありません。何ですか。私、何か間違ったことを言いましたか?」
「いや……言ってはいない……普通なら褒めるべきところだ。だが……なあ?」
父が母に同意を求めるように目を向ける。母はこっくりと首を縦に振った。
「それを言い出したのがあなただと言うのが、信じられなくて。リリ? 私たちは別に、今のままのあなたでも構わないのよ? 無理をしなくても、今まで通り好きに暮らしてくれたらいいの。あなたが領地経営をしているわけではないのだから、お金の心配なんてしなくていいの」
「そうだ。それにお前は次期王太子妃となる。その折にはもっと贅沢もできるだろう。今から節約など考えなくてもいい。お前には可愛らしく着飾って、皆の目を楽しませるという役目があるだろう? 今までお前もそう言っていたではないか」
両親の言うことはその通りだし、その生活に何の不満もなかったが、それでは『悪役令嬢』になってしまうのだ。
ウィルフレッド王子のいう、『悪役令嬢』に。そうしたら、私は皆から見捨てられてしまう。
そして、これが一番肝心なのだが、『悪役令嬢』になってしまったら、ウィルフレッド王子に「ざまあみろ」と言うことができないではないか。
私を馬鹿にしたウィルフレッド王子にやられたままなど、私のプライドが許さない。
絶対に、完璧な令嬢になって、彼を地に這いずらせてやるのだ。
そう決めているから、両親の言葉には「はい」とは言えなかった。




