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ルーク

 雪が降り積もる、ある寒い日。

 私は、女神に救われた。



 それは、突然のことだった。

 父と母と私。三人で貧しいながらも長屋で幸せに暮らしていたところに突如として降り注いだ不幸。

 両親が揃って流行病にかかり、寝込んでしまったのだ。

 その時私はたったの八歳だったが、それでも必死で両親を看病した。両親は病で動けなかったし、自分が何とかするしかなかったからだ。

 医者には診せなかった。いや、診せられなかった、が正しい。

 だって、家に余分なお金なんてない。両親が一生懸命働いて、親子三人食べていくのがやっとの生活だったのだ。どうして医者に払うお金だと用意できただろう。

 どんどんやせ細っていく父と母に、「ごめんなさい」とただ謝ることしかできない。

 そのうち、食料を買うためのお金も尽きた。

 これはもう、自分が働くより他はない。どんな職でも良いと思って色々訪ね歩いたが、わずか八歳の少年では碌に仕事ももらえない。道ばたで花を売ったり、荷物を運んだり、食堂の下働きをさせてもらったりしたが、わずかな給金しか稼ぐことはできなかった。

 その金で食物を買い、自分を後回しにして父と母に与える。そんな生活を半年ほど続けたが、その甲斐もなく、両親は死んでしまった。

 涙は出なかった。とっくに枯れ果ててしまっていた。

 悲しい、辛い。そう思うより先に、「ああ、これでもう面倒を見なくても済む」と思ってしまった。だって半年は長い。

 半年の間、たった一人で両親と自分の面倒を見続けたのだ。わずか八歳の自分が、だ。

 それはあまりにも辛く、厳しい現実だった。

 だから、「もう面倒を見なくてもいい」と思ってしまったのはきっと仕方のないことだったのだろう。だけど、私は自分のことが許せなかった。

 自分を産み育ててくれた両親に対し、そんなことを一瞬でも考えた自分があまりにも汚くて、自分自身に絶望した。そしてその時に、涙が零れた。

 お金がなかったので、両親には墓も用意してやれない。教会の共同墓地に近所の人の力を借りて埋葬し、全てを終わらせた。

 狭い家の中。

 今までは窮屈に思えたのに、きゅうに広く感じた。がらんどうのように思え、寒気のようなものが襲ってきた。


 ――ああ、僕はこの世界にたった一人。


 急に、現実が押し寄せてきた。

 両親に、頼れるような親族がいるとは聞いていない。つまり本当の意味で、私は一人きりになってしまったのだ。


 ――この先、どうやって生きて行こう。


 とはいえ、取れる道は一つだけだ。

 この間、年を取り、九歳になりはしたが、やれることが増えたとは思えない。今まで通り、日雇いのような、仕事とも言えない手伝いをして、お情けで給金をもらい、何とか食いつなぐしかない。

 それでも、三人養わなければいけなかった頃を考えれば、かなり楽なのではないだろうか。

 自分一人の食い扶持くらいなら何とでもなる。

 そう思ったところで、外から声が聞こえて来た。防音などないに等しいこの長屋は、隣の音も外の音もよく聞こえる。


「開けておくれ」


 私を呼んでいるのはどうやら大家さんらしい。慌てて入り口のドアを開ける。亡くなった母より年上の大家さんは、私を見ると、気の毒そうな声で、だけど断固とした口調で言った。


「悪いね。家賃がずっと滞っているんだよ」

「え」


 家賃という言葉を聞き、目を瞬かせる。大家さんは「やっぱり知らなかったんだねえ」と眉を下げた。


「この長屋は借家なんだよ。毎月、約束したお金を払ってもらうことで貸している。あんたみたいなチビに言いたくはないけどね。ちょうど、あんたの両親が病にかかった頃から、家賃の滞納が続いている。私も鬼じゃない。元気になったら支払ってもらえばいいと思って、何も言わず、ずっと待っていたんだ。だけど、二人は死んじまった」

「……はい」


 声がからからに乾いていた。次に何を言われるのか。なんとなく予想がついていた。


「家賃を払えないのなら、可哀想だけど出て行ってもらうしかないね」


 あまりにも予想通りの言葉に、だけど私は必死に言った。


「ま、待って下さい。ここを追い出されたら僕には住む家がなくなってしまうんです」

「そう思って、今まで待っていた。半年以上もの間だよ。私も、慈善事業をやってるんじゃない。お金が入ってこないなら、別の、ちゃんとお金を払ってくれる人に家を貸したいんだ。それともあんた、家賃を払えるって言うのかい?」

「そ、それは……」


 食べる分だけを稼げばいいと思っていたところにきた恐ろしい話に狼狽える。

 大家さんは容赦なく言った。


「もしこのままここに住み続けたいっていうのなら、今まで滞納してきた分も支払ってもらうよ。でも、その様子じゃそれは無理だろう。だから出て行っておくれ。ここから大人しく出て行ってくれるとあんたが言うなら、今までの滞納分をチャラにしようじゃないか」

「……」


 大家さんが言ってくれたことは、多分破格なのだろう。出ていきさえすれば、滞納していた家賃を払わなくてもいい。お金を持っていない私には涙が出るほど有り難い話。

 だけど、そうしてしまえば、私は住むところがなくなってしまう。

 誰にも頼れないのに。身よりは誰一人いないというのに。住むところを無くしてしまったら、私はどうすればいいというのだ。


「……はい。分かりました。今までありがとうございます」

「そうかい! あんたは物わかりの良い賢い子だねえ。助かるよ!」


 結局私が口にしたのは『出て行く』という言葉だった。

 だって、ここに住み続けるためのお金なんて持っていないから。最初から選べる選択肢などありはしない。

 それからのことは、ひどく曖昧だ。

 多分、辛すぎて、脳が覚えておくことを拒否したのだろう。

 最低限の荷物を持ち、家を出た。あてはないので、ただひたすらに歩き続ける。

 花を摘んではそれを売り、なんとか一日分の食べ物を買う。

 とにかく辛いのは夜だった。

 冷たい路上。壁にもたれかかりながら、夜を越す。季節は冬。一応、できる限り温かい格好で出てきたが、安物の上着では碌に風も防げない。


「くしゅんっ」


 どうやら風邪を引いたようだ。だけど、誰も私を心配してなんてくれない。

 そりゃあそうだ。だって、私は、たった一人。

 誰にも見てもらえない親無し子だ。


 ◇◇◇


 住んでいた場所を追い出されて一週間くらいが過ぎた。

 もう、色々と限界だった。身体を休められる場所がないというのは、想像よりもずっと厳しい。寒い冬というのも悪かった。

 地面に座り込んでも回復などするはずはなく、とにかく毎日夜が明けることだけを祈っていた。


「はあ……ああ……」


 足を引きずるように歩く。

 運が悪い。

 昨夜は雪が降った。雪は朝になっても降り止まず、道に薄らと積もっていた。

 薄っぺらい靴底から、融けた雪が染みこんでくる。刺すような冷たさに涙が出そうになる。

 いつの間にか持っていた荷物もなくしてしまった。

 何も持っていない。ただ、行くあてもなく歩くだけ。


「僕……死ぬのかな」


 力が入らなくなり、その場に倒れた。

 雪が積もっていたおかげで怪我はしなかったが、立ち上がる気力もない。冷たい雪が、風が体温を奪っていく。身体中がキシキシと痛む。


 ――楽に死ねたらいいなあ。


 このまま目を瞑って、そのまま目覚めることがなければいい。

 もう、辛いのも寒いのもごめんだ。

 そう思って、目を閉じた。これで、楽になれる。そう思ったのだ。


「――まあ、汚い。人の家の前に死体なんて止めて欲しいわね」

「?」


 頭上から聞こえた声に、ピクリと身体を動かす。誰か、私を見ている?

 ない気力を振り絞り、顔をそちらへ向ける。見たこともないくらい美しい少女が私をじっと見下ろしていた。

 分厚い、見るからに暖かそうなコートを着ている。足も、毛皮でできたブーツを履いていた。

 貴族のお嬢様だ。

 町でも時折見かけた、明らかに平民とは一線を画する存在。

 着ているものも、その存在感も、何もかもが私たちとは違う。

 そんな貴族のお嬢様が、私をじっと見つめていた。


「あら、死体だと思ったけれど、生きていたの」

「あ……う……」

「汚いわねえ、あなた。あら、でも、よく見れば、綺麗な顔をしているじゃないの。へえ」


 じろじろと私を観察するように見つめた後、少女はぱんっと嬉しそうに手を打った。


「そうだわ! そうしましょう! ねえ、あなた、こんなところで倒れているってことは、家から追い出されたか、孤児か。とにかく帰る場所なんてないのよね?」

「っ!」


 さらりと告げられた言葉は事実だったが、酷く胸を抉った。だけども微かに首を縦に振る。

 彼女は「やっぱり」と笑顔になり、「それなら」と言った。


「私の執事になって、一生私に仕えるって誓えるかしら? 私のいかなる命令にも逆らうことは許さない。それを誓えるのなら、今、あなたのいるどん底から拾ってあげる」

「え……」


 いきなり告げられた言葉を理解するのに数秒かかった。

 この少女は今、何を言ったのだろう。

 私を拾う? この状態の私を? 貴族特有の冗談か何かだろうか。

 私を見つめる少女の顔は楽しそうではあるが真剣だ。

 だから、多分、これは嘘の話ではないのだろう。私の頭はもう、疲弊しきっていて正常に物事を判断できるような状態ではなかったが、それでも、これを逃せば本当に死んでしまうことだけは理解していた。

 少し、躊躇う。

 先ほどまではもう、死んでしまいたかった。だけど、本当に助けてくれるというのなら。

 ああ、悪魔にでも縋りたい。


「誓います。ですから……助けて下さい」

「良いわ。なら、今日からあなたは私のものよ」


 必死の思いで告げた言葉は、あっさりと受諾された。

 少女は目の前の邸の中に入ると、すぐに何人かの使用人を連れてきた。


「この子を屋敷の中に運んで、手当てしてちょうだい。私専属の執事にするから」

「お嬢様、ですが……」

「私がそうするって決めたの。何か文句ある?」

「……いいえ」


 少女の鶴の一声に、使用人たちは頭を下げた。

 私は彼らに邸の中へ運び入れられ、浴室に連れて行かれ、手当を受け、今まで着ていたものより数倍は暖かい服をもらった。食事を与えられ、個室すら与えられる。


「……良いんですか? こんなの……」


 与えられた個室は、私が住んでいた長屋くらいの広さがあった。中にはふかふかのベッドがあり、机や椅子、そして、長屋では見たことのなかった暖炉まであった。

 急に降り注いだ破格の待遇が信じられない。目を見開く私に、私を部屋まで連れてきた使用人が言った。


「お前だけが特別待遇ってわけじゃない。このお屋敷では、使用人皆が同条件で働いている。専属執事には個室を与えるのが決まりだ」

「そう……なんですか……」

「お前も拾ってもらった恩を忘れるな。お嬢様の気まぐれがなければ、間違いなく死んでいたんだからな?」

「……はい」


 それには素直に頷く。

 言われるまでもないことだ。彼女に助けられなければ死んでいたことなど、誰よりも私自身が知っている。


「お嬢様は気まぐれで我が儘な方だが、手を挙げたりはなさらない。とにかく命令には逆らうな。分かったな?」

「はい」


 手を挙げられないというのは有り難かった。今まで時々させてもらっていた下働きの仕事では、殴られたり蹴られたりすることも決して少なくなかったのだ。それだけでも、運が良かったと思える。


「誠心誠意、お仕えします」


 拾ってもらった命。彼女のために使おうと思った。








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