5
「よし……やるわ」
アルが帰ってしばらくして、私は息を整えてから、自分の執事を呼んだ。
アルにも誓ったばかりだ。ルークについて、自分が悪いことをしていたのは理解したし、さっさと彼に謝ってしまおうと思っていた。
「簡単、簡単なことよ。今までのことをルークに謝って……その、そうね。アルに報告できるような言葉だけを言うようにすれば良いんだわ」
そう、自分に言い聞かせる。
何が正しくて間違っているのか、未だ良く分かっていない私には、『アルに報告できる言葉だけを言う』というのはとても分かりやすかった。
「……失礼します。お呼びですか、お嬢様」
さほど間をおかず、ノック音が聞こえた。入室を許可すると、ルークが入ってくる。
いつも通り、皺一つないお仕着せがしっくりと馴染んでいる。そして初めて気がついたのだが、彼の表情は決して明るいものではなかった。
――私に、呼び出されたから、かしら。
普通、敬愛する主人に呼び出されれば喜びを露わにするはず。だが、彼の瞳にあるのは怯え。
嫌悪が見えないことだけが救いだった。……もしかしたら隠しているだけなのかもしれないけど。
その考えに至り、嫌な気持ちになる。
どうして今まで、こんな簡単なことが気づけなかったのか。少しルークを観察すれば、すぐに分かったことだったのに。
――今は、反省より先にやることがあるわ。
落ち込みそうになる気持ちを無理やり奮い立たせる。私はできるだけ友好的な態度を心がけようと笑みを浮かべた。
「ルーク。今までごめんなさい。あなたにきつく当たって悪かったわね」
「は?」
いきなり本題に入った私を、ルークが不審げな顔で凝視してくる。それを無視して私は言った。
「今まで、あなたを傷つけ続けたこと、とても反省しているわ。今後はしないと誓う。だけどね、あなたにも責はあると思うのよ。あなたが私に対してあまりにも萎縮した態度を取るから、それで私は苛々してつい……あ」
「えと、リズ様?」
言葉を急に止めたことが気になったのか、ルークが窺うように声を掛けてきたが、私はそれどころではなかった。
――しまった。あなたにも責があるとか言ってしまったわ。
つい、本音まで話してしまった。
正直に言えば、まだ、私は自分がルークに対して、そんなに酷いことをしたとは思っていない。自らの使用人の態度が良くないのなら叱るのが主人の役目だし、主人と使用人の関係は決して対等ではないからだ。
主人は使用人に対し、食事や住む家、給金を与える。それに対し、使用人は主人に敬愛と労働を返す。マイナスの感情を向けるなんて、庇護してもらっている主人に対してしていいことではない。
中には使用人に暴力を振るう主人もいるようだが、それはしていないし、少しキツい言葉を投げつけただけだ……って、ああ。言葉も暴力だと、さっきアルに教えてもらったばかりではないか。
自分も経験して理解したことだというのに、情けない。本当に、私は学習しない女のようだ。
しかし、一番の問題は、先ほどの言葉の後半を、アルに報告できないということだ。
謝ると言っておきながら、最終的には『あなたにも責はある』だ。
きっとアルに「君は何をしているの。謝るんじゃなかったの」と呆れた顔で見られてしまうだろう。
――それは、嫌だわ。
アルの顔を思い浮かべる。あの綺麗な人に、私を何とかしようとしてくれているあの人に、ガッカリされるのだけは嫌だった。
私は何とか取り繕うと言葉を紡いだ。
「あー……そう、そうね。さっきの言葉は取り消すわ。全部私が悪かった。その、主人だからといって、酷い言葉であなたを傷つけて良いはずがなかったわね。その、今後は態度を改めるから、今までのこと許してくれないかしら」
どうして主人である私が許しを請わなくてはいけないのだ? という疑問が頭の隅をよぎったが、今は無視することに決める。
とりあえず、言わなければならないことは言った。アルにも……うん、報告して差し支えない内容だろう。
これは、なかなか上手くやったのではあるまいか。
心中で自画自賛していると、ルークが苦虫を噛みつぶしたような顔で口を開いた。
「……どうしたんですか、お嬢様。突然謝りだすなんて。何か、変なものでも食べましたか?」
「違うわよ! どうしてそういう反応になるの! 普通、そこは感動して『いいえ、リズ様は何も悪く無い。悪いのは私。それなのに、主人に気を遣わせてしまうなんて従者失格ですね』とか言うところでしょう!」
「……そう言えばいいんですか? それなら最初からそう言って下されば……」
「だから違うって言ってるでしょう!?」
言えというのなら言いますけど、というルークを私は睨み付けた。
「私は! 今までの自分の態度を反省したの! だってほら、あなたいつだって私に対して萎縮して。昨日だってそうじゃない! あなた、私が殴るとでも思っているの? あんな態度を見せられたら、色々考えるし、反省するしかないじゃない!」
「え? 反省? あなたが? しかも、今更ですか? って……あ……」
「あ、じゃないわよ!」
しまったという顔をするルーク。そんな表情、初めて見た。
もしかして、これが彼の素顔なのだろうか。だとしたら、私は彼に随分と我慢をさせていたのかもしれない。
いや、主人のために己を殺すのは従者の勤め。やっぱり私は悪く無い。ルークを睨むと、彼は慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ありません。お嬢様。おしかりはお受けしますので……」
「そうね……って、違う!」
ビクッと身体を震わせるルークに、どんな処罰を与えようか考え……我に返った。
違う、そうじゃない。
これでは今までと何も変わらない。
私は頭を振り、思考をリセットさせた。今までと同じでは駄目なのだ。
「こんな……くだらないことで叱ったりしないわよ。……さっきも言ったでしょう? 今後は態度を改めるって。これからは私に遠慮せず、ものを言ってくれて構わないわ。それで処罰を与えたりはしない」
できるだけ真面目にルークに伝えた。
使用人にここまで許すとは、私、心が広すぎやしないだろうか。さぞかしルークも感動したことだろう。そう思ったのだが、何故かルークは胡散臭そうな顔でこちらを見ていた。
「え……本気だったんですか? 性質の悪い冗談じゃなくて?」
「違うわよ!」
思わず言い返したが、驚くくらいにルークが私を信じてくれない。
「私は心を入れ替えたの。心を入れ替えた私は、あなたをむやみやたらと怒鳴ったりしないわ。理不尽な真似はしない」
「……本当に?」
「ええ」
「私の思ったことを素直に言っても構わないとおっしゃるので?」
「そうよ」
根気よく頷くと、たっぷり間をおいて、ルークが言った。
「あなた、誰です? お嬢様の皮を被ったニセモノですか?」
根気にも限界があると、今、知った。
「早速酷いわね! あなた、そんな性格だったの!?」
「いや、だって……お嬢様が謝るとか、好きに発言してもいいとか……普通にあり得ないなと」
「あなた、私を何だと思っているのよ」
「……」
さっと目を逸らされてしまった。酷い。
今までが今までだったせいか、ルークはなかなか私の謝罪を本心だと信じてくれない。
確かに全てが本心とは言い難いが、でも、言葉の暴力に対しては酷いことだと、やり過ぎだったと反省しているのだ。
「言葉って、時には肉体に対する暴力よりも傷になるのよ。それを私は昨日、実体験として知ったの。だから……あなたも傷ついていたんじゃないかと思ったし、反省もしたの。……それなのにあなたときたら、信じようとしないんだから」
「……だって、私を叱りつけるの、お嬢様の趣味みたいなものでしょう?」
「趣味って……」
愕然とルークを見つめると、彼は「違うんですか?」と首を傾げてきた。その様子から、彼が本気でそう思っていることが伝わってくる。
――趣味で使用人を叱りつけるような人間だって思われているの?
そんな傍若無人な主人だと思われていたのか。
ルークの言葉に、私はひどく打ちのめされた。
確かに、思い返してみれば、私は一日に何度も彼を呼び出し、気に入らないことがあれば八つ当たりしていた。自分が拾った存在だから。私に捨てられたらルークは生きていけないのだからと高をくくり、好き放題していたのだ。
――最低。
改めて、自分の行動に嫌気が差す。黙りこくると、ルークは私の顔色を窺いつつ聞いてきた。
「ええと、お嬢様?」
「とにかく、私は反省したの。だから、あなたは一言『許します』って言えばいいのよ。分かった?」
「……本心でなくてもよろしいのでしたら」
「駄目に決まってるじゃない!」
クワッと目を見開くと、ルークはびくりと身体を反らせた。そんな行動でさえ、彼がまだ私に怯えていることが分かる。
「……怒鳴って悪かったわ。その……じゃあ、今すぐ許してくれなくてもいい。ただ、その……私のことを嫌いでなければいいの」
「別に、嫌いじゃありませんけど」
「本当?」
てっきり嫌われているものだとばかり思っていたから、ルークの返答は意外だった。
目を輝かせると、ルークは渋い顔をして頷く。
「ええ。怒鳴ったり、酷い言葉を投げつけたりしてくるのは本当に勘弁して欲しいと思っていますが、嫌いではありません。あの日、私を拾って下さったことは本心から感謝していますから」
「そ、そう……それなら良いのよ」
――『悪役令嬢』は家族や身近な人間から嫌われている。
そう聞いていたから心配していたのだが、どうやらルークは私のことを嫌いではないらしい。
良かった。本当に良かった。
万歳三唱したい気持ちに駆られていると、ルークが言った。
「もう、お嬢様はそういう人だなって諦めていますから。あと、いつか天罰が下るだろうから今は我慢すればいいかと……あっ」
上向いた気持ちがあっという間に地の底まで沈んだ。
「あ、じゃないわよ。あなた、普通に失言が多いわね」
「も、申し訳ありません」
前言撤回だ。やっぱり私はルークに嫌われている。