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◇◇◇
「――ということなんです」
「……ふーん」
話が終わり、私はそろそろとアルの顔を見た。アルの表情は穏やかではあったが、一目見ただけで、彼の機嫌が最悪に悪いのだと察することができた。
「……あの、アル?」
「気分が悪いなあ」
「えと……あの」
「ノエルが、君の家庭教師になったって? ただでさえ、猫だというアドバンテージを利用して、君の屋敷に棲み着いているあの男が、今度は家庭教師? 本当、ふざけているよね」
「……」
アルの声が怖すぎて、反論することもできない。
彼が怒るだろうとは予想していた。だけど、こんなに怖いとは思ってもいなかったのだ。
「人型になったノエルと二人きりで個人レッスンか。ふうん……」
「あ、あの! ルークもいますから! 二人きりではありません!」
焦って否定した。だけどアルの機嫌は悪いままだ。
「そう。二人きりではないんだ。それは良かった。もしそうなら、害獣駆除をしなければならないって決意したところだったからね。でもねえ、家庭教師、ねえ?」
「……」
アルがゆっくりと足を組む。その仕草に恐怖を感じるのは何故なのか。
そして自分が悪いわけではないはずなのに、謝ってしまいたくなるのは何故なのか。
これが王者のオーラというものなのだろうか。私には全く太刀打ちができない。
ブルブルと震えていると、私が怖がっていることに気づいたのか、アルが自分を落ち着かせるように息を吐いた。
「……ごめん。大人げなかったね。君が悪いわけではないのは分かってる。公爵が決めたことなら君が逆らえないのは理解できるし。でも、どうにも腹が立ってしまって」
「も、申し訳ありません」
無意識に謝罪の言葉が口をついて出た。アルがそんな私を見て苦笑する。
「だからどうして君が謝るのかな。もしかして僕、相当怖い顔をしていた?」
「……はい」
「うーん。君に怒っていたわけじゃないんだけどね。まあでも、こうして直接話しに来てくれたのは嬉しかったよ。人伝に聞いたり、手紙で読んだりでは受ける印象も変わるだろうし」
直接会うという判断は正解だったようだとわかり、胸を撫で下ろした。ホッとしているとアルがぼやくように言う。
「特に僕はノエルに対して、かなり警戒しているからね。首輪があるから、君に害が及ぶとは思っていないし、君があいつに絆されることもないとも信じているけれども、ノエルが君に惚れるかもというのは心配してる」
「そんな……ありえません」
相手は私が生まれる前から大魔法使いと呼ばれていたような人だ。それに、人を好きになる感覚が分からないとも言っていた。そんな人が、小さなことでいちいち一喜一憂するような私に惚れるとはとてもではないが考えられない。
そういうことを告げると、アルは困ったように微笑んだ。
「君の言うことも一理あるとは思うんだけどね。何せ、今のあいつは猫でもあるから。飼い主である君には拾ってもらった恩もあるわけだし、大切に世話をされているという自覚もある。今回の家庭教師話に立候補したのも、その恩があるからってところでしょう? でもね、話に聞いたノエルという人物は、そんな面倒なことをしない男なんだよ」
「え……」
「人のことを気にする余裕があるのなら、自分の魔法の研究に没頭していたい。僕もあれからハイ・エルフであなぐらの所長だったノエルのことを独自に調べてみたんだ。魔法のためなら何を犠牲にしても厭わない。女性は好きだけど、遊んで最後は捨てるだけ。基本他人になんて全く興味のない男。それがノエルなんだよ」
「で、でも……」
家庭教師としてのノエルは優秀だった。私が、何が分からないのか随時気に掛けてくれたし、つまらないところで詰まっても苛々した態度の一つも取らなかった。他人に興味がない人ではできない授業の仕方だろう。
反論すると、アルはこれ以上なく渋い顔をした。
「だから僕は心配してるんだよ。他人に興味のなかったはずの彼が、明らかに変わっている。それは猫になっていた期間が長かったからかもしれないし、死にかけのところを君に拾われたからかもしれない。だけど、理由がどうであれ、ノエルが君には優しくしているという事実が僕には気に掛かるんだよ」
「さすがに気にしすぎだと思うんですけど」
「だったら良いんだけどね」
大仰な溜息を吐き、アルは疲れたように笑った。そうして私を見据え、はっきりと言う。
「もちろん、ノエルが君に惚れたとしても、僕は君を手放さないよ。そんなの当たり前じゃないか。こっちはようやく婚約者として堂々と君を披露できるようになったばかりだって言うのに。君は僕の花嫁になるんだ。それ以外の未来は許さない」
「わ、分かっています。私も、アル以外は嫌ですから」
激しい言葉が嬉しくて、私は思わず俯き、頬を染めた。
アルに愛されている。それをヒシヒシと感じ、幸せでたまらなかった。
アルが立ち上がり、こちらへやってくる。
私の隣に座ったアルは、私の肩を抱き寄せた。
「あ、あの……」
「顔を上げてよ。僕の言葉に喜んでくれている君の可愛い顔が見られないじゃないか」
「っ!」
どうやら私が喜んでいたのはバレバレだったようだ。
そろそろと顔を上げる。アルは砂糖を煮詰めたような甘い表情で私を見つめていた。
「君にかかると、僕の醜い嫉妬もあっという間にどうでもよくなってしまう。そんなに可愛い反応をされたんじゃ、嫉妬しているのも馬鹿らしくなるからね。ああ、僕のことが好きなんだなって一目で分かるよ」
「だ、だからいつもそう言って……」
「でもねえ、嫌な気分になるのはどうしようもないよね。君は外見だけじゃなく内面も可愛いから、モテるのは仕方ないって分かってるんだけど、君の魅力に気づくのは僕だけで良かったっていうのが本音かな。いっそのこと、君がウィルの言う『悪役令嬢』のままだったら良かったのに」
「そんな私では、きっとアルに愛していただけません」
以前の私は、そう断言できるほど本当にひどかったのだから。
だがアルは懐疑的だった。
「そうかなあ。僕、どんな君でも愛せる自信があるんだけど。君の我が儘なんてきっと可愛いものだって思うし、僕だけに我が儘を言ってくれるのなら大歓迎なんだけどな。『悪役令嬢』万歳だ」
「アル……」
それでは私の掲げてきた目標が台無しになってしまう。
微妙な顔でアルを見ると、彼はクスクスと笑いながら謝った。
「ごめん、ごめん。君の努力を否定しているわけじゃないんだよ。今の君の方が可愛いのは事実だしね。でもほら、今日は珍しく赤いドレスを着ているから、つい、初めて会った時のことを思い出しちゃって」
「や、やっぱり『悪役令嬢』っぽいですか?」
自分では気をつけたつもりだったし、ロッテも大丈夫だと言ってくれたが、やはりアルには以前の私を彷彿とさせてしまったようだ。
赤なんて着るのではなかったと後悔していると、アルが穏やかな声で否定する。
「いいや。大人っぽくてとても綺麗だと思うよ。上品だし、君に良く似合ってる。でも、わざとかは知らないけれど、赤って僕の前では最初の時以外見なかったから」
「強すぎるイメージかと思って避けていたんです。でも、赤はアルの色だから……どうにか上手く着ることができたらってずっと思っていて」
「僕の色? ……って、ああ、目のことかな?」
「はい」
頷くとアルは頬を緩めた。
「僕のことを意識して、そのドレスを着てくれたんだ。……ほんっと可愛いな」
そうして、額に唇を落としてくる。
その触れ合いがあまりにも優しくて、なんだかとても恥ずかしく感じてしまった。
「ア、アル……止めて下さい。恥ずかしいです」
「恥ずかしい? どうして? 僕はただ、愛しい婚約者の額に口づけを贈っただけだよ?」
「それが恥ずかしいんです……」
肩を抱き寄せられている状況。アルの体温さえ感じられる距離での触れ合いは、どうしたってなかなか慣れることができない。
嫌なのではなく、どうしようもなく胸が高鳴るから。
「せっかくリリが可愛いんだけどな。残念」
心底残念そうに言い、アルは私を解放してくれた。
残念なようなホッとしたような……複雑な気分だ。
そのままアルは私の隣に腰を落ち着けることにしたようで、ソファに深く腰掛け直した。
「ま、ノエルのことは分かったよ。腹は立つし、考えれば考えるほど嫉妬してしまうけど、とりあえずは現状維持の様子見でいこう。確かに、ノエルがリリに惚れると決まったわけでもないしね。優秀な教師なら、リリのためになるのだろうし、そこは目を瞑るよ」
「良かった……ありがとうございます」
「それよりは、婚約式のことを考えたいしね。婚約式が終われば、それこそ君は名実共に僕の婚約者で、誰も手が出せなくなる。ノエルのことなんかよりそっちだよ」
手を組み、うんうんと頷くアル。
それに私は内心「あ」と声を上げていた。
それは何故かと言えば、すっかり婚約式のことを忘れていたからだ。
――婚約式。
王侯貴族が婚約する時に執り行う儀式のことだ。
ローズブレイド王家では、婚約式は、結婚する相手の条件が全て揃った時に行うと決まっている。
今までの私は、婚約が内定していたというだけ。盛大に式を執り行うことで、アルの――ローズブレイド王国第一王子の正式な婚約者と認められるのだ。婚約式が終われば、婚約破棄など国の面子にかけても許されないし、それこそ結婚まで一直線。
その婚約式を執り行う条件が、精霊と契約すること。
つい先日ではあるが、条件を満たした私は婚約式を行えるようになったと、そういう話だった。
何度かアルも婚約式のことは口にしてくれていたのに、今の今まで忘れていたのは、私もいっぱいいっぱいだったから。
ノエルのことやクロエとウィルフレッド王子のこと、そして家庭教師の話と、このところ色々なことが目白押し過ぎて、一息つく余裕もなかったのだ。
そして、精霊契約できたことが嬉しすぎて、すっかりそれで満足してしまったからという理由もある。
これでアルと結婚できると浮かれ、その後にある儀式にまで気がいってなかったのだ。
ようやく婚約式のことを思い出した私に、アルが真剣な声で尋ねてくる。
「結婚式は、君が成人するまで待たなければならないけど、婚約式なら条件さえ揃えばいつでも執り行える。ただ、婚約式をしてしまうと、もう婚約破棄は許されないよ。君は僕と結婚するしかなくなるんだけど――覚悟はあるよね?」
「はい」
一瞬も迷わず頷いた。
色々ありすぎて、そして結婚できるという事実に浮かれすぎて、その間にある婚約式の存在をすっかり忘れてはいたが、彼との結婚が確約されることは私にとっては喜びでしかない。
国内外に認められる、アルの正式な婚約者。
もう、どんな女性がアルに近づこうと、何を言われようと、この婚約を覆すことは誰にもできないのだ。
あまりの安心感に、涙が出そうだった。
私の反応を見たアルが嬉しそうに言う。
「良かった。大丈夫だとは思ったけど、実際の君の反応を見るまで実は少しだけ心配だったんだ。少し考えさせて下さい、なんて言われたらどうしようって」
「嘘ばっかり。そんなこと思っていらっしゃらなかったでしょう」
私がアルを慕っていることを、彼はよく知っているはず。そういう気持ちで小さく睨むと、アルは声を上げて笑った。
「バレバレだったね。そうだよ。君が断るなんて、ありえないって思っていたよ。だって君は僕のことが好きだから」
「アルってば……」
「そして僕も君のことが好きで好きでたまらないわけだからね。そんな二人が正式に婚約式を行うのは当然の流れだと思わない?」
ね、と上目遣いで同意を求められ、そのあまりの色気に身体中の血が沸騰するかと思った。
「で、僕としてはノエルの件もあるし、できるだけ早く行いたいって考えているんだけど。君はどうかな?」
「私も……その、早くアルの正式な婚約者として認められたいです」
正直に話すと、アルは目に見えて上機嫌になった。
「うん。じゃあ、できるだけ早く行うことにするね。婚約式の参加者は国内貴族だけだから、そんなに時間はかからないと思う」
「はい」
「明日、とかでも僕は良いんだけど、さすがにそれはね。君に逃げられそうならそれも考えたかもしれないけど、君は楽しみにしてくれているようだし、それならまあ、二週間後くらいでいいかな」
「二週間?」
「ん? 遅すぎる?」
「いえ、早すぎると言いたかったんですけど」
どれだけ早くてもひと月ほど先、余裕を見て三ヶ月ほど先かと思っていた。予想外の早さに驚いたのだが、アルは当然のように言った。
「結婚式のように外国の招待客がいるわけではないしね。夜会の延長のようなものだから、用意に時間はかからないよ。相手を捕まえて、結婚できる条件が整ったのなら、気が変わられる前にさっさと婚約式を挙げてしまうのが代々のローズブレイド王族たちのやり方だしね。父上なんかも、条件が整って次の日には婚約式を決行したクチらしいよ。それに比べれば、十分ゆっくりだと思うけど」
「……そう、ですか」
時折話に出てくる、ローズブレイド王家の話を聞く度に、なんだか不安になってくる。だけどもアルとの結婚は私が望んだことだ。それに、早く彼の婚約者として正式に認められたい気持ちは強かったので、もう気にしないことにして、あとはただ、アルの言う通り頷いておいた。




