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「リリ」
名前を呼ばれたと思っていると、アルが両手を広げて私を誘った。
「おいで」
「っ!」
柔らかな甘い響きに嬉しくなって駆け出す。広げられた腕の中に飛び込むと、アルは私をしっかりと受け止めてくれた。
「今日も可愛いね、リリ」
「アルもとっても素敵です」
顔を上げ、アルの目を見つめる。今日も彼の赤い目は甘く蕩けていた。
「黒のドレスなんて初めて見たよ。とてもよく似合っているね」
「本当ですか、嬉しいです。黒はお気に入りの色なんです」
「大人っぽく見えたからドキッとしちゃったよ。もういつでも僕のお嫁さんになれるね?」
「そんな……」
お世辞だということは分かっていたが、嬉しくなってしまう。
照れ隠しに俯くと、抱き締める力が強くなった。耳元に熱い息が掛かる。
「照れてるの? 可愛いね、リリ」
「……兄上、いい加減にしてくれないか? 今日が何のための集まりか、全然分かってないだろう」
どこかうんざりしたようなウィルフレッド王子の声が聞こえ、我に返った。
アルはといえば、不満げな声でウィルフレッド王子に文句を言っている。
「うるさいな。分かっているに決まっているだろう。それとこれとは別。リリがせっかく可愛い格好をしてきてくれたんだ。褒めないなんて選択は僕にはないんだよ」
「じゃあ、そのあとの糖分過度なやり取りはいらないだろ」
「糖分? お前は一体何を言っているんだい? 僕は普通にリリと話していただけだよ」
きっぱりと言い切ったアルをウィルフレッド王子は絶望の表情で見つめた。
「……自覚のないタイプだ。一番質が悪いタイプだ……いや、分かってた、兄上が溺愛キャラだって分かってたけど……ええ?」
「なんだ、文句があるのか」
「ないけど……ないけど!」
「ア、アル、離して下さい」
アルに呼ばれて、反射的に飛びついてしまったが、ここにはクロエもいる――というか、今日は彼女とウィルフレッド王子がメインで私たちはただ同席を頼まれただけなのだ。それなのに、私たちがこれではクロエたちにあまりにも申し訳ない。
「ご、ごめんなさい、クロエ」
渋々離してくれたアルから離れ、クロエのところに戻ると、彼女は笑みを浮かべて言った。
「全然気にしなくていいのに。むしろ素敵なやり取りに、最後の緊張が解れていったみたい。あなたのおかげだわ」
「本当にそうだったらいいんだけど」
「……クロエ・カーライル嬢」
硬い声が響いた。
慌てて振り返ると、いつの間にかすぐ側にウィルフレッド王子が立っていた。
以前は『クロエ』と呼び捨てにしていた彼が、きちんとクロエを呼んだことに驚きを禁じ得ない。だが、それにより彼が本気で反省しているのだと分かった。
その変化を嬉しく思いつつ、私はクロエに言った。
「私、向こうにいるから……」
ここは空気を読むところだ。私はクロエの返事を待たず、さっとその場を離れた。
とはいっても、二人とは数メートルも離れていない。何かあった時は介入して欲しいと頼まれていることもあり、あまり遠くへ行くつもりは最初からなかった。
アルも私の側にやってくる。
「……」
「……」
クロエとウィルフレッド王子、二人の間に重い沈黙が流れている。
二人とも何から話せば良いのか分からないと、そんな感じだ。互いに距離を測りかねているというか、このままでは埒があかないというのはよく分かった。
「あー……その」
「えと……私」
二人とも目を合わさず、それでもなんとかしようと頑張っている。それは分かったが、これではいつまで経っても話が進まない。
いきなり謝罪するのが難しいと言うのなら、まずは何気ない会話から始めて見ればどうだろうか。そう考えた私は、いつまでも動かない二人――実際はクロエに声を掛けた。
「とりあえず、関係のないところから話してみれば?」
「えっ、そう言われても……何を話せば良いの?」
「ええ? 何をって……最近気になっていること、とか?」
適当に答えると、クロエに睨まれた。緊張が解れたとはいっても、やはり彼女もいっぱいいっぱいなのだろう。
「適当ね。でも……何かあったかしら? 私が最近ずっと心配していたのはリリのことばっかりだったけど、それも解決したし――」
クロエの言っているのは精霊契約のことだろう。少し考えていた様子のクロエだったが、やがてポンと手を打った。
「その……ウィルフレッド殿下の契約精霊ってどんな精霊なんですか?」
「え? 契約精霊? オレの?」
「はい。そういえば聞いたことなかったかなって」
クロエの言葉に、ウィルフレッド王子は渋い顔をした。
「……オレ、そんな基本的な話すらしてなかったんだな。……わかりました。オレの契約精霊は土の上級精霊ですよ。良かったらご覧になりますか?」
「えっ、良いんですか?」
まさか見せてくれるとは思わなかったのだろう。クロエが驚いたように目を見張ると、ウィルフレッド王子は苦笑した。
「ええ、構いませんよ。秘密にするようなものではありませんし、お安いご用です。……ブラン!」
『呼んだ? ウィル』
ウィルフレッド王子の声に応え、現れたのは、女性型の精霊だった。掌を広げた程度の大きさ。髪は首までの長さしかなかった。クリーム色の衣を着ていたが、その丈は彼女の足を覆い隠すほど長い。愛らしいというより凜々しい雰囲気だ。
「……土の精霊……。わあ、初めて見た」
クロエが物珍しげに精霊を見つめる。
光の上級精霊と契約していても、種類の違う精霊を見るのはまた別なのだろう。その気持ちは私にも理解できた。
クロエが嬉しげにしているのをウィルフレッド王子はホッとしたように見つめている。
二人のやり取りを見ていたアルが小声で言った。
「まあ、不器用ではあるけどウィルなりにきちんとカーライル嬢に向き合おうとしたことは評価してやってもいいかな」
「ウィルフレッド殿下、頑張っていると思います」
思っていたことを言うと、アルも同意してくれた。
「僕もそう思うけど、始まりがマイナスからだからね。どこまで頑張れるのかはウィル次第だけど、今の感じが続くのなら多少は応援してやってもいいかな」
「……はい」
クロエがヴィクター兄様のことを好きという事実はあるが、これはクロエの完璧な一方通行だ。それが今後どうなるかは未知数だが、クロエが笑っていられる結末になればいいと思う。
二人のやり取りに耳を澄ませると、クロエも精霊を呼び出すという話になっていた。
ぎこちなくではあるが、会話が噛み合っている。これなら、二人とも後できちんと本当に話したい話をすることができるのではないだろうか。
クロエが、光の精霊を呼び出す。私も一度見たことのある精霊だ。あの時は怯えられ、すぐに帰られてしまったなと思いながら見ていると、クロエの精霊がギョッとしたように目を見開いた。
そうして叫び声を上げる。
『いやあああああああ!!』
あっという間もなかった。クロエの精霊は身体を震わせると、全身から眩い光を放った。
「リリ!」
「っ!」
焦ったような声と同時に、全身に衝撃が走る。
身体に強い痛み。何かに覆い被され、地面に倒されたのだと知ったのは、光が消えてからのことだった。
「……いた……今、何が……」
「リリ! 大丈夫!?」
「……アル?」
私に覆い被さっていたのはアルだった。彼は身体を起こすと、すぐに私を抱き起こし、怪我がないかを確認した。
「どこか痛いところはない?」
「痛いは痛いですけど、怪我をしたという感覚はありません」
「そう……良かった」
そう言って笑うアルの頬には赤い線が走っていた。
「アル……! お怪我を!」
「こんなのかすり傷だよ。傷も残らないから心配しないで。それより君が無事で良かった……」
ホッとしたように笑うアルの姿を見ていると、愛しさが込み上げてくる。文字通り身を挺して守ってくれたのだとわかり、喜んではいけないと思うのに、嬉しく思ってしまう。
私は急いでドレスのポケットからハンカチを取り出し、アルの頬にあてようとした。だが、それはアルに止められた。
「大丈夫。魔法で治療するから。これくらいの傷ならすぐだよ」
その言葉通り、アルの頬についた傷がすうっと、まるで何もなかったかのように消えていく。
たとえ小さな傷でも『癒やす』というのは難しい。とても繊細な魔力制御を必要とするし、失敗すれば、より酷い傷を負ってしまうからだ。
実際、成功するより失敗する方が多いくらいで、治癒魔法が使えるものは限られていた。
もちろん、私も使えないし、ルークだって苦手なのだ。彼は何かを壊す魔法は得意なのだが、癒やす魔法は不得意で、十回中五回は失敗するとこの間も言っていた。そんな難しい魔法を難なくこなしてしまうアルは本当に優秀なのだ。
「アル、治癒魔法が使えるんですね」
「うん? ああ、これでも王族だからね。基本、王族――特に王太子は全ての魔法に精通していないといけないから」
何でもないことのように話すアルだったが、きっと彼がここに至るには血の滲むような努力があったのだろう。アルは確かに天才と呼ばれるに相応しい人だけれども、努力をしないような人ではないからだ。
治療を終えたアルと一緒に立ち上がる。怪我こそしていないものの、少し眩暈がした。
「あ……」
「大丈夫?」
ふらついたが、咄嗟にアルが身体を支えてくれた。それに礼を言う。
「ありがとうございます。平気です。でも、さっきのは一体……?」
何が起こったのだろう。グラグラする頭を抑えていると、アルがある一点を見つめながら厳しい声で言った。
「どうやらカーライル嬢の精霊が暴走したようだね」
「えっ」
アルの視線を追う。
そこには暴れるクロエの精霊と、それを必死で宥めるウィルフレッド王子の精霊の姿があった。
そして――ひどい怪我を負ったウィルフレッド王子と、彼に取りすがるクロエの姿も同時に見えた。
「クロエ!」
思わず声を上げたが、クロエは私には気づかなかった。俯せに倒れたウィルフレッド王子に取りすがり、必死に声を掛けている。
「ウィルフレッド殿下……! 大丈夫ですか! どうして、どうして私を庇ったんです!?」
「うっ……」
ウィルフレッド王子が苦しそうに呻く。よく似合っていた上衣はボロボロに裂けており、酷い有様だ。精霊のすぐ近くに居たからだろう。アルが負った怪我の比ではないくらい酷かった。
ありがとうございました。
この度、コミックシーモア様の、『電子コミック大賞2020』のラノベ部門に本作をノミネートしていただきました。よろしければ応援していただけると嬉しいです。




