5
「なんだか……怒濤ですね」
昨日、私が精霊契約に成功してから、ずっと全力疾走し続けているような感覚だ。
疲れたように笑うと、隣に座ったアルも同意した。
「本当だね。僕の予定では、精霊契約も無事終わり、結婚が確定した愛しい婚約者と二人きりでお茶でも楽しみたい、と思っていたんだけどね?」
「申し訳ありません……私がノエルを拾ってしまったばっかりに」
結局、私がノエルを拾ったことが今回の騒動の始まりだったのだ。
彼を拾わなければ、私は問題なく精霊契約を成功させただろうし、そうしたら余計な不安も感じずに済んだ。
だけど、それは言っても仕方のないこと。
怪我をしている猫を見過ごすことなど私にはできないし、見つければ絶対に拾うという選択しかない。いくら考えても、その行動は変えられない。
それに、ノエルのおかげで助かったことだってある。破落戸から逃げおおせられたのは間違いなくノエルがいたから。彼が助けてくれなければ今頃私はどうなっていたか。想像するのも恐ろしい。
色々あったが、その件に関してだけは、本当に感謝するしかないのだ。
ふるりと震えていると、アルが腰を抱き寄せてきた。まるで私の考えていることが分かっているかのように口を開く。
「君の無事には変えられないよ。だから、謝る必要なんてない。それに僕だって、今更君がノエルを見捨てるとは思っていないからね。僕が好きになった君だよ? そんなことできるはずがないじゃないか」
優しい言葉がどうしようもなく嬉しかった。だから私はお礼の言葉を紡ぐ。
「……ありがとうございます」
「あれ? 本気にとってくれてない? 僕はいつだって真剣なのに」
おどけたように言うアルの表情はどこまでも優しい。
心配させてしまったなと反省し、笑顔を作った。
考えても仕方ない。『もし』なんて言っても始まらないのだ。
気持ちを切り替える。今から私たちがしなければならないのは、彼の呪いを解くこと。
呪いを解いて、ノエルとお別れする。
真実の愛、なんて微妙すぎる解呪方法だが、方法が分かっただけ良かったと思おう。
私はアルの肩に頭を預けながら彼に言った。
「アルが本気で言って下さっているのは分かっています」
「そう? それなら良いんだけど。――でも、ねえ?」
「?」
ゆっくりと紡がれた「でも」の言葉が気になり、アルに預けていた身体を起こす。彼の顔を見ると、アルは私と視線を合わせてきた。
「リリ。一つだけ言わせて。ノエルは真実の愛で元に戻ることができる。でも君は、君だけはその相手になっちゃ駄目だからね」
「えっ……何を……」
パチパチと目を瞬かせる。アルが何を言ったのか分からなかった。
――私がノエルの相手になる?
普通にあり得ない。
驚きのあまり目を見開いていると、アルは苛立たしげに言った。
「君が僕のことを思ってくれているのは分かっている。だけどね、理屈じゃないんだ。ウィルは言っていたよね。本来はその相手はヒロイン――つまりカーライル嬢だったけれども、ノエルを拾ったことで、その立ち位置は君になったって」
「そ、そんな。私はただ……」
傷ついたノエルを見捨てられなかっただけ。私が好きなのはアルだけだし、ノエルに傾くようなことはないと断言できる。
「あ、ありえませんよ」
「あいつが、ノエルが元に戻った姿、見たよね? 聞いていた以上の美男子だったと思うけど?」
「わ、私にはアルの方が素敵に見えています!」
嘘ではなかったので即答した。
確かにアルの言うとおり、ハイ・エルフに戻ったノエルは息を呑むほどの美貌の持ち主だったと思う。だけど、それで彼に惚れるとは思わないで欲しいのだ。
――そ、そりゃ、アルに一目惚れした私が言っても何の説得力もないと思うけど。
お見合いの際、扉の隙間から覗いた時に見たアルに一目惚れした日のことは今も鮮明に覚えている。あれから私の運命の全てが変わったと言って良い。
どうしようもなかった私がアルのおかげで変わることができた。
いつも変わらない笑顔で私を導いてくれた。駄目な私に手を差し伸べてくれたのだ。
最初は一目惚れだったけれども、今は彼の全てが好きなのだと断言できる。
アルの代わりはどこにもいない。
アルは私の唯一無二の人なのだ。
「私は、アルだけが好きだから……!」
「うん、知ってるよ。……ごめんね」
「っ!」
アルの顔が近づいたと思った瞬間、唇が重なった。
柔らかな感触に、心臓が飛び跳ねる。
「ア、アル……」
真っ赤になってアルを凝視する。彼は困ったように微笑んだ。
「君の気持ちを疑ってるわけじゃないんだ。でも、ウィルにあんなことを言われるとね。特に、あいつの言うことの全部が嘘ってわけじゃないって知ってしまったから、余計に不安になるというか」
彼の言葉を聞き、「そうか」と腑に落ちた。
アルが不安になった気持ちが、理解できてしまったからだ。
――そうだ。アルも……。
「……私と一緒、です」
アルの上衣の端をキュッと握った。
そうして自分の抱えていた気持ちを吐露する。
「私もずっと怖かった。クロエがヒロインだって聞いて。もし、アルが取られてしまったらどうしようって。そんなことあるはずがないって分かっているのに。ずっと、ずっと」
大好きなクロエ、大好きなアル。
二人の気持ちを疑ってなんてないのに、いつだって不安は私を苛んだ。真に結ばれるべきは私ではないかもしれないと思ってしまうと、猜疑心は膨らみ、泣きたくなった。
信じているのに、疑いを拭えない。
それが本当に嫌だった。
そしてそうなってしまった私を助けてくれたのは、やっぱりアルだったのだ。
今、アルがあの時の私と同じ不安を抱えているというのなら、今度は私が助けたい。
そんな風に思う。
「私が好きなのはアルだけです。確かにハイ・エルフに戻ったノエルはすごく綺麗で驚きましたけど、気持ちを揺らしたりなんてしません。私はアルがアルだから好きなのであって、その、外見だけではないというか……もちろん外見も好きですけど私はそれ以上に中身が――」
アルを何とか安心させようと言葉を尽くしているうちに訳が分からなくなってきた。
途方に暮れ、アルを見つめる。
彼はぷっと吹き出した。
「どうしてそんなに情けない顔をしているの。可愛らしい顔が台無しだよ?」
「だって……上手く伝えられないから」
私がアルを好きだという気持ちを、彼以外見ていないのだという心をどうにか知ってもらいたい。
なのに、言葉にするとどれもありきたりで、アルに納得してもらうには不十分すぎた。
それがとても悔しかった。
「……私、自分が情けないです」
「ああもう、可愛いな……!」
「きゃっ……」
思いきり抱き締められた。
予想しなかった動きに、一瞬、身体が硬直する。
「ア、アル……」
「……ありがとう。でも、初めて不安がっていた君の気持ちが心から理解できたような気がするよ。すごく不安だったんだね。……察してあげられなくてごめん」
「そんな……」
アルは私を抱き締めたまま溜息を吐いた。
「こんなに不安になるものなんだね。君が僕を裏切るなんて思ってないのに、すごく嫌な気分になる。もし君を奪われるなんてことが本当にあったら……ちょっと自分がどうなるか自信がないね」
怒気を孕んだ声が恐ろしい。私はアルに必死で訴えた。
「う、奪われません」
「当たり前だよ。君は僕のものなんだから。可愛い可愛い僕のリリ。お願いだから僕以外に目を向けないで。僕だけを愛していて。でないと僕、何をするか本当に分からないからね?」
「わ、分かりました」
コクコクと首を縦に振る。
心配する必要はないとはもう言わない。だって、これ以上言っても仕方ないし、アルも分かっている。彼が欲しいのは肯定だけだ。
その気持ちは分かるから。
「リリ、僕の大切な人。君は精霊契約も済ませ、正式に僕と結婚する権利を得た。あとは婚約式を済ませさえすれば、婚約は履行され、破棄なんて話は絶対に起こらなくなる。君は僕の妻になるんだ。いいね?」
「はい」
念を押すような言葉に頷いた。
アルとこの先を生きて行くことは私の望み。だから考えるまでもない。
「……ほんと、僕たちは意外とウィルに振り回されているよね」
「そうですね。でも、助かった部分もありますから」
それを忘れてはいけない。
アルも「そうだね」と苦笑する。
「なんだかんだ言って、可愛い弟だしね」
「クロエと仲直り、上手く行くといいですね」
ちょっと困ったところはあるけれど、悪い人ではないのだ。これを機に、二人が仲直りしてくれるのなら、私としてもとても嬉しい。
クロエの悲しい顔を見るのは嫌だし、アルの弟であるウィルフレッド王子を悪く言うこともしたくない。
明るい未来を想像し、ニコニコとしていると、アルが溜息を吐いた。
「僕はそんなことより、これからノエルを見る度に攻撃したくならないかの方がよっぽど心配だよ」
「まさか」
「いや、僕も知らなかったんだけど、意外と僕って我慢が効かないらしくてさ。猫の姿であることを利用してリリに近づいているところでも見た日には、問答無用で潰したくなると思うんだよね」
冗談だと思ったのに、アルの顔はどこまでも真剣だった。
「えと、さすがにそんなことにはならないと思いますけど……」
「そうだと良いよね。とりあえずは僕、ノエルに牽制はかけておくつもりだから、リリもそれは分かっていてね」
「牽制、ですか?」
意味は分からなかったが、アルがそれで少しでも安心できるというのならすれば良いと思う。
頷くと、私を抱き締めたまま、アルが髪を撫でてくる。柔らかな触れ方は心地よく、懐いてしまいそうになってしまう。
だけど甘く囁かれた言葉に、私はまた固まることになった。
「そう、牽制。僕のものに手を出したら、殺すよってね」
「……」
アルって結構過激な人なのだろうか。
両想いになってからというもの、日々明らかになる彼の本性に、私は眩暈を覚えつつも、それでも彼から離れたいとは思わなかった。




