3
「……奥にある部屋にどうぞ。副所長がいらっしゃいますので」
「そう。ありがとう」
アルの問いかけに、私たちの一番近くにいた男性が、億劫そうに答えた。アルはその態度を咎めるでもなく「行こう」と私の手を引いて、示された場所へと向かった。
途中、床に転がっていた謎の丸薬のようなものを踏んでしまいそうになったが、間一髪のところで避けることができた。
「入っても良いかな?」
扉をノックし、アルがまた声を掛ける。扉の奥からはややあって「……どうぞ」という声が聞こえて来た。
扉を開ける。中は客室になっており、不機嫌そうな顔を隠しもしない男が、安っぽいソファにふんぞり返っていた。白衣を羽織っており、その態度から、彼が副所長であると予想できる。
年齢は、ヴィクター兄様より少し年上といったところだろうか。
その年で副所長ということはかなりの実力者なのだろう。だが、髭がぼうぼうで、清潔感があるとはとてもではないが言えなかった。
「……」
彼は目線だけで、正面の席に座るよう訴えてきた。大人しく腰掛けると、早速というように口火を切る。
「で? 偉大なる殿下が私の研究時間を奪ってまで聞きたい話って何です? つまらない話だったら許しませんよ」
「せめて君の名前を知りたいんだけどね。ええと、副所長だっけ?」
困ったようにアルが聞いたが、男は面倒そうに眉を寄せ、これ見よがしな溜息を吐いた。
「それ、必要な情報です? ま、良いですけど。私は、レナート。で、ご用件は?」
無駄な話は一切しないという断固とした決意を感じる。思わず苦笑すると、アルと目が合った。どうやら彼も呆れているようで、肩を竦める。
「……ま、あなぐらの魔法使いたちは、大体こんな感じだよ。怒っても仕方ないからね。君も気にしないでくれると嬉しい」
「アルがお怒りにならないのに、私が怒るなんてありませんけど」
昔の私なら無礼だと怒り狂ったと思うが、今は、多少身の程を弁えられるようになった。
私はただ、アルに連れてきてもらっただけの立場。私が何か言うのは違うだろう。
アルは頷くと、レナートと名乗った男に問いかけた。
「じゃ、聞くよ。君、呪いの解き方なんて知らないかな? 具体的には、精霊王の怒りを買って、猫に変えられてしまった人物を元に戻したいって話なんだけど」
退屈そうにアルの話を聞いていたレナートの目がキラリと輝いた。
今までだるそうにしていたのに、急にソファから立ち上がり、アルに詰め寄ってくる。
「精霊王の呪い? 何それ、もっと詳しく!」
「……君、いきなり態度が変わったね。今の今まで、興味ありませんって顔をしていたのに」
あまりの変わりっぷりに、さすがにアルが指摘すると、レナートは当然とばかりに言い放った。
「殿下が、興味のある話をしてくれるなんて思っていませんでしたからね。いやいや、偶然なんですけど、呪いは私の専門なんです。なのでほら、もっと具体的に、最初から話して下さい。精霊王の呪いなんてワクワクしますねぇ!」
舌舐めずりしかねない勢いのレナートが気持ち悪いと思いつつ、いや、これはかなり期待できるのではないかと考え直した。
アルも同じように思ったのか、呆れつつも詳細を話していく。
だが、大魔法使いノエルが猫に変えられたというところで、レナートは、愕然と目を見開いた。
「は? ノエル? あの大魔法使いノエルが猫に? 猫になっていたんです?」
「うん。十年以上姿を見ないと思ったら、猫になっていて、どうしようもなかったらしいよ。今はリリに飼われているけど」
「……うちの所長を飼うとか、勇者ですね」
「は?」
レナートの言った言葉の意味が理解できなかった。もう一度という気持ちを込めて視線を向けると、レナートは渋い顔をして口を開く。
「だから、所長。大魔法使いノエルはうちの所長ですよ。もう十年以上姿を見ていませんし、それ以前も名前だけで殆どこちらには姿を見せませんでしたけどね。彼が所長という事実は残っています。実は私も彼には会ったことが一度もないんですよ。吃驚ですね」
「吃驚とかそういう問題じゃないと思うわ。ノエルの無事をあなたたちは知らなかったの?」
思わず口出ししてしまった。
アルも真顔で頷く。
「大魔法使いノエルが、あなぐらの所長なんて話、僕は聞いてないけど?」
「所長に就任したのは下手をすれば百年以上前の話だし、姿も見せないから、知らない研究員も多いと思いますよ。副所長、なんて言われてますけど、私が実質所長の仕事もしていますしね」
「百年以上……」
ノエルが人間ではなくハイ・エルフだと妙に実感した瞬間だった。ハイ・エルフはとても長命な種族だと聞く。数十年姿を見せなくとも、皆、何とも思わなかったのだろう。
黙り込むと、レナートが興味津々の様子で聞いてきた。
「所長、ご令嬢の屋敷にいるんですよね? 良かったら今度、こっちに顔を出すように言ってくれませんか? 猫でも喋れるなら問題ないですから。色々、話を聞きたいなあってずっと思っていたんですよ!」
「ノエルは罪もない精霊を平然と実験材料にするような男だけど、それでも来て欲しいのかい?」
「ええ、もちろん」
アルの質問に、レナートは一瞬も迷わなかった。
「この世は弱肉強食の世界ですからね! 私たちだって罪人を薬の材料や、呪文の依り代につかったりします。同じですよ」
その言葉に驚いていると、レナートは輝くような笑顔で言い放った。
「あ、思い出した。確か所長ってハイ・エルフでしたよね! 知ってます? ハイ・エルフって材料としても優れているんですよ。あれです。鯨と一緒。捨てるところがない。ああ……所長、皮くらい剥がさせてくれないかなあ。あと、歯の五本くらいもらえれば……あ、髪の毛も欲しいなあ。脱毛症によく効く薬が多分、作れると思うんだよなあ」
「……」
己の所属する場所の所長を、薬の原材料としてしか見ていない発言に、ある意味ノエルと似たもの同士だと思ってしまった。
やっぱりあなぐらの魔法使いは、常人の頭では理解できない人たちばかりの集まりで間違いない。
◇◇◇
結局、レナートからは有力な情報は得られなかった。
まず、精霊王からの呪いなんてものをかけられた前例がないのだ。
レナートはノエルを実際に見て調べたいと言っていたが、ノエルが頷くかは分からない。
それに、猫になる呪いなんて特殊なものを解呪する方法に心当たりはないらしい。
「せっかくあなぐらまで来たのに、意味はなかったですね」
屋敷に戻ろうと思ったが、アルについてくるよう言われ、私は彼と共に王族居住区へと向かっていた。
王族居住区のキラキラした壁や天井、そして置かれている美術品の数々を見て、なんだかホッとしてしまう。いつも見ている王城の違う姿に、やはり私も随分と緊張していたのだろう。身体から力が抜けたことに気づいたアルが、気遣わしげに顔を覗き込んできた。
「リリ、大丈夫?」
「……はい。ホッとしただけですから。平気です。ところでアル。どちらへ向かっているのですか?」
最初はアルの部屋へ向かっていると思ったのだが、道が違う。覚えのない場所を歩いているアルに思い切って聞いてみると、アルはあっさりと答えてくれた。
「うん、ウィルの部屋」
「えっ……ウィルフレッド殿下の?」
「そう。結局、あいつが今回の件については一番詳しいって思うからね。――ゲームの話はさておき、ウィルの話には無視できないものがいくつもある。君もそれは分かるよね?」
「はい」
アルが真剣な顔で前を見る。
「僕は今だってウィルの話を、『馬鹿げたこと』だと思っている。この世界がゲームだなんて到底受け入れられないからね。だけど、全部を『違う』と言い切ることもできないんだ。だって、ウィルはあまりにも知りすぎているから」
「……はい」
それは私も思っていた。ウィルフレッド王子は、誰も知らないはずのノエルの真実を知っていた。
ノエルが大魔法使いノエルで、そして精霊王の怒りを買ったなんて、誰も知らないはずなのに、彼は当たり前の顔で答えたのだ。
「だから、ゲーム云々は置いておくにしても、ウィルの話をもっと真剣に聞くべきだと思うんだ。もちろん全部を信じるわけじゃないけど、今の僕たちには呪いを解くヒントが何一つない。参考になる話が聞き出せるかもしれない」
「そう……ですね」
アルの話は至極尤もで、同意することができた。
そのまま二人でウィルフレッド王子の部屋に向かう。
部屋の扉を開けたウィルフレッド王子は、私たちの顔を見て驚いた様子だったが、黙って中に入れてくれた。
「適当に座ってくれ」
「え、えと……」
その言葉に、どうしようと思わずアルを見る。
ウィルフレッド王子の部屋は、アルの部屋とは全く違っていた。
まるで子供のプレイングルームのような、そんな印象。
客を迎えられるようなソファなどはなく、その代わり、一段高い場所を設け、足の長いふかふかの絨毯と、その上にたくさんのクッションを重ねている。
カードゲーム用の台などが置かれているが、執務机などはない。椅子と呼べるようなものは大きな暖炉の前にある肘掛け椅子だけだった。だがまさか、部屋で唯一の椅子に、私が腰掛けるわけにもいかない。
どうすれば良いか迷っていると、ウィルフレッド王子が私の様子に気がついた。
「あー……ごめんな。あんまり人を入れることがないからさ。そこ、一段高くなってるだろ。靴を脱いで上がって、適当に寛いでくれ」
「靴を脱ぐ?」
自分としてはあり得ない話に目を見張る。もう一度、アルに視線を送ると、彼は仕方ないと頷いた。
「郷に入っては郷に従えって言うからね。ウィルがそうしろって言うのならそうしようか。ほら、リリ、おいで」
「は、はい……」
まずアルが靴を脱ぎ、クッションが敷き詰められた場所へと上る。私も怖々ではあるが履いていた靴を脱ぎ、アルに続いた。足に当たる絨毯の感触は柔らかくて気持ち良く、靴を履いていないせいか、なんだか解放された気分に感じてしまう。
「不思議な感触ですね……」
「悪くないだろ」
言いながら、ウィルフレッド王子も上がってくる。絨毯の上に直接座るというのは初体験だったが、悪くはなかった。敷き詰められたクッションが背中に当たる。柔らかくて気持ち良い。
私たちが落ち着いたことを確認し、ウィルフレッド王子が問いかけてきた。
「で? わざわざ二人で訪ねてきて何の話って……ま、ノエルの話しかないよな。でも昨日もリズ・ベルトランに言ったけど、呪いの解き方なんてマジで覚えてないんだよ」
ウィルの言葉にアルは頷いた。
「そうか。でも、こちらとしても手詰まり状態なんだ。現状、一番情報を持っているのはお前のようだからね、何かヒントになることでもと思って来たというわけさ」
「兄上の頼みなら聞いてやりたいけど……ヒント、ヒントねえ……ノエルルート、どうだったかなー。特殊なアイテムを使ったとか、そういうのはなかったような気がするけど」




