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次の日の午後、アルは彼が宣言した通り、本当にうちの屋敷に遊びに来た。
「こんにちは、リリ。約束通り、遊びに来たよ」
「ありがとうございます、アル」
頭を下げ、挨拶をしながら心の中ではかなりホッとしていた。
ないとは思うが、もし、すっぽかされたらどうしようかと思っていたのだ。
その場合は一人でこれからの自分について悩まなければならない。
昨日は「一人で頑張る」と強がっていたものの、やはりどちらを向けばいいのか分からない今の状況はかなり厳しく、アルが約束を守ってくれたことを嬉しく思っていた。
いくら婚約者とはいえ、女性が男性を自室に招くのは好ましくない。
そのため二階の私の部屋ではなく、一階にある庭に面した応接室へアルを案内した。来訪を聞いていた父は当然顔を出したが、婚約者と親交を深めたいというアルに押し切られ、すぐに自分の部屋へ戻ることになった。
戻る際、私に「何かあれば、大声を出すんだぞ」と真顔で言っていたが、私たちは婚約者とは名ばかりの単なる協力者だ。何かあるはずもない。逆に「殿下に対して失礼では?」と言い返しておいた。
給仕を済ませたルークも追い払い、二人きりになる。もちろん男女が密室にいるというのは眉を顰められてしまうので、部屋の扉は少しだけ開けられていた。
扉までは距離があるし、声を抑えれば外まで内容が漏れることはないだろう。
「あの――」
「あ、忘れてた。これを君に渡しておくね」
「?」
さっそく『悪役令嬢』について尋ねようと口を開くと、まるでそれを遮るかのように、言葉が被せられた。それでも、一応渡されたものを受け取る。
渡されたのは青い立方体の箱。上に白いリボンが掛けられている。
「プレゼント、ですか?」
「まあ、そんなところかな。開けてみて」
アルに促され、リボンを解いて箱を開ける。中からは綺麗なブローチが出てきた。赤い宝石を蝶の形に彫った美しいものだ。
「まあ、綺麗……」
ブローチは私もいくつも持っているが、ここまで凝ったものはない。素直に驚いていると、アルが言った。
「喜んでもらえたのなら良かった。それね、婚約の証だから無くさないように持っていて。ほら、僕のとお揃い」
「本当だわ……」
アルが自分の胸元を指さす。そこには同じ蝶のブローチが飾られていた。ただし、色は緑色。
昨日ほどではないが、今日もそれなりに華やかなジャケットを羽織った彼には良く似合っていた。
「アルは緑色なんですね」
深い意味はなかったのだが、それを聞いたアルは嬉しそうに笑った。
「うん。君の目の色が緑だから。代々王族は、婚約者に自分の瞳と同じ色の宝石をアクセサリーに加工したものを渡すんだ。昨日、正式に婚約が決まったからね。さっそく持ってきたというわけ」
「えっ、そんなにすぐできるものなんですか?」
もらったブローチは繊細で、とてもではないが一晩程度でできるとは思えない。
驚いていると、アルは自分のブローチを外し、私に見せてくれた。
「普通ならできないね。でも、これは特殊な魔法を使って作っているから。詳細は秘密だから教えられないけど、作るのは実は一瞬で作れるんだよ」
「そうなんですか……」
魔法でできたものだと聞き、改めてブローチを見つめる。
――魔法。
私たちの生活に根付いている、不思議な力のことだ。
人は皆、生まれながらにして魔力を持ち、それを使って様々な奇跡を起こす。
火を付けるという簡単な魔法から、それこそ死にかけの病人を回復させることまで、人によってできる範囲は違うが、己の力量に見合った奇跡を起こすことができるのだ。
特に貴族は平民よりも魔力量が恵まれているものが多く、城に仕官している魔法使いは殆どが貴族だ。私も、そう多いわけではないが、それなりの魔力を持っている。
とはいえ、死にかけの病人を回復させられるような魔法使いはそうはいない。
過去に一人だけ、大魔法使いと呼ばれた伝説級の人物がいるのだが、彼がそういう魔法を使ったという記述がとある文献に残っている程度なのだ。
つまり、魔法が使えるといっても、ピンからキリまで様々ということ。
ブローチを隅々まで観察する。
魔法を使ってアクセサリーを加工するというのは聞いたことがあるが、かなり時間がかかるものだとも聞いている。それを一瞬で作るというのだから、さすが城のお抱え魔法使い。市井にいる魔法使いとはひと味もふた味も違うのだろう。
「お城の魔法使いって、アクセサリーを作ったりもするんですね」
「ううん。これは僕が作ったんだよ。婚約時に渡すアクセサリーは、当事者の王子が作るって決まってるんだ。ふふ、なかなか上手くできたでしょう?」
「えっ、アルが?」
まさかの自作発言に驚いた。王子とはこんな器用なこともできるのか。
王家の人間は、往々にして莫大な魔力を保持しているものが多い。アルもきっと、その有り余る魔力で、難しい魔法を行使したのだろう。
「すごい……ですね」
「気に入ってくれた?」
「はい。大切にします」
もらったブローチをそっと握る。
私がアルの婚約者であるという証のブローチ。いつか、これを返す日が来るのだろうが、それまでは大事に持っていよう。
欠けてしまっては大変だと思い、再び箱の中に戻そうとすると、アルに止められた。
「これ、特別な魔法が掛かっているんだ。だから、できればいつも身につけておいてくれると嬉しいんだけど」
「分かりました」
壊してしまうことを恐れたのだが、作った当人がそういうのなら従おう。
早速、着ていたドレスの胸元に留める。今日はいつもの私なら選ばない柔らかな雰囲気のドレスを着ていた。
「今日は、昨日とは全く雰囲気の違うドレスだね」
アルが目を細め、感心したように言う。
「昨日のドレスも良く似合っていたけれど、今日のドレスの方が僕は好きだな。化粧も控えめで、君の肌の美しさが引き立っているし、弟が言うような『悪役令嬢』には全く見えない」
「……ありがとうございます」
手放しの称賛に、私は小さく礼を告げた。
実は、今日も最初は昨日着ていたような派手なドレスを選ぼうとしていたのだ。だが、思ったのだ。
私の派手な顔立ちに原色のドレス。もしかして相当に『悪役』っぽい印象を与えるのではないだろうか、と。
普段なら気にも留めなかっただろうが、一度そう思ってしまうと、なかなか否定はしづらい。結局困った私は、いつも着替えを手伝わせているメイドを呼び出し、私にはどのようなドレスが似合うのかを直接尋ねてみた。
最初は私に怒られると思ったのか、原色の派手なドレスばかりを勧めていたメイドだったが、私がそれは違うのだと言うと、やがておずおずとではあるが、オフホワイトの可愛らしいドレスを指さしてきた。
似合うとは思わなかったし、気も進まなかったが、試してみるのも一興だろう。
化粧も髪型も全てをメイドに任せ、できあがった私はなかなか見慣れなくて落ち着かないと思ったのだが、アルは随分と気に入ってくれたようだ。
「その、私としては昨日のドレスのようなものが好きなのですが、どうにも『悪役』っぽく見えるかなと急に気になりまして。これはいつも着替えを手伝ってもらっているメイドに選んでもらったんです」
「そうなんだ。でも、すごくよく似合っているよ。似合いすぎて……僕以外の男に見せたくないくらいだ」
「まあ、アルってば、大袈裟です。でも、ありがとうございます」
本当に気に入ってくれたみたいだ。
でもそうか。アルはこういう格好が好みなのか。
なるほど、今までの私とは全く正反対だなと思いながら頷いていると、アルが言った。
「そういえばね、昨日、弟から聞いたんだけど、『悪役令嬢』というのは君が昨日着ていたような派手なドレスを好むらしいよ。不必要なくらいにお金を掛け、最新の流行を必死で追い、宝石を買い求める。君はそんなことしないだろうけど、『悪役令嬢』のイメージから少しでも離れたいのなら、今のような格好に変えた方が良いんじゃないかな」
「っ! そ、そうですか。ご助言、ありがとうございます」
一瞬、息が詰まるかと思った。
最新の流行を追い、不必要に金を掛け、宝石を買い求める。
どれも、思い当たる節があったからだ。
流行の最先端に自分がいることが大事だと思っていたし、年々ドレスを作る際にかかる金額が増えているのも知っていた。宝石は質の良いものが欲しくて、つい最近も父に強請った覚えがある。
それを、私は悪いことだと思いもしていなかった。
だって、父がそれで構わないと言ってくれていたから。
だけど、アルを見てみると、彼は顔を顰めている。
「さすがにやり過ぎだよね。綺麗なドレスを着ることも貴族である以上、ある程度は必要だし、僕もそうしているけれど、何事にも限度というものがあるよ。弟の話だと『悪役令嬢』な君は、金を湯水のごとく使っていたらしいんだ。領民から得た大事なお金を、毎週の令嬢たちとのお茶会で着る新作ドレスにつぎ込んでいたっていうんだから、恐ろしい話だよね。同じドレスは着られないって理由らしいよ。信じられない。僕も、リリはそんなことをする子じゃないって弟にはきつく言ったんだけど……ああ、ごめんね。嫌な気分になったよね」
「い、いえ……とんでもないです」
本当にとんでもない話だ。
だって、アルが言ったことは全部、事実だったから。
背中に冷や汗が流れる。
ほんの少し前の話だ。
毎週ドレスを作る私に、ルークやメイドが、さすがにやり過ぎだと諫めたことがあった。それを私は、同じドレスなんて着られるわけがない。そんなことをすれば他の令嬢たちの前で恥を掻くと怒鳴った。
はっきり言って憤ったし、どうしてそんなことを言われなきゃいけないのかと、二人を厳しく罰したのだけれど。
今、目の前で不快だと顔を歪めているアルを見ていれば、私のしたことを間違いだと言われているくらいは分かる。
――私、私、どうしよう……。
父の収入がどこからきているものなのかなんて、私は一度も真面目に考えたことがなかった。
当たり前にあるものとして、父に強請っていたのだ。だけど、アルに指摘され、真剣に考えてみれば、それが間違ったことなのだと理解できる。
民の血税を何も考えずに、使い潰す娘。しかも、毎週のお茶会に着るドレスを作らせるためだけに、だ。
考えなくても分かる。字面だけでも最悪ではないか。
――ああ、確かに。本当に私は最低らしい。
ウィルフレッド王子の言う『悪役令嬢』に、相変わらず自分が見事に嵌まっていることに気づけば、見返してやる! と息巻いていた自分が情けなくて仕方ない。
「リリ、どうしたの?」
自然と俯いてしまっていた。慌てて顔を上げ、笑顔を作る。
「いえ、何でもありません」
とにかく、今日発注しようと思っていたドレスはキャンセルにしよう。明日には行商人が宝石を持ってくる予定だったが、これも取りやめにした方が良いだろう。
次回のお茶会は……また、メイドにドレスを選んでもらえばいいか。自分で選ぶと碌な結果にならなさそうだ。
頭の中で明日以降の予定を考え直していると、アルが言った。
「それで、『悪役令嬢』の話の続きだけど。『悪役令嬢』というのは、そういう迷惑な行動を取る女性のこと、で間違いないみたいだよ。大体が高位貴族の令嬢で、度を超した我が儘や言動で周囲を振り回し、最終的には皆に見捨てられる存在。弟は、『悪役令嬢』という存在がいることで『ヒロイン』の優しさが際立つのだと主張していたね」
「最後には見捨てられる……」
「大概の『悪役令嬢』は、『攻略対象』と呼ばれる人物と婚約していて、最終的にはその人物に婚約破棄をされる運命にあるそうだ。その後は、親兄弟に見捨てられ、親子の縁を切られるか、もしくは親ごと没落。酷い場合には、処刑ということもあり得るそうだよ。そこまでされるとは、『悪役令嬢』というのは一体どんなに酷いことをしてきたのだろうね。今まで散々好き放題してきた『悪役令嬢』が最後に酷い目に遭うのが楽しいと、醍醐味なのだと弟は言っていたよ」
「それが……私だと、ウィルフレッド殿下はおっしゃるのですね」
声に力が入らない。『悪役令嬢』という存在が、どんなに酷い目に遭うのかを知り、ぷるぷると身体が震えた。処刑なんて恐ろしい。でも、私は本当に、そこまでされてしまうほど、酷いことをしてしまうのだろうか。
悪役と言われただけでもショックだったのに、そんな未来が待ち受けているのかと思うと、吐き気でお腹の中が気持ち悪くなってくる。今にも倒れてしまいそうだ。




