序章 悪役令嬢ってなんですか
「どんな方かしら……」
魔法という概念が強く息づく国、ローズブレイド王国。
その王都に荘厳な姿でそびえ建つ王城。ブレイブハート城の黄金の回廊を歩きながら私――リズ・ベルトランは小さく深呼吸を行った。
少し、ううん、いやかなりドキドキしている。
つい、自分の着ているドレスに目がいった。
最新の流行を意識した真っ赤な新作ドレスはとても気に入っているが、果たして彼は喜んでくれるだろうか。
「……」
不安を感じ、だけどもすぐに振り払う。
弱気な自分はらしくないと思ったのだ。
――考えるまでもないわ。絶対に気に入ってくださるに決まっているもの。
だって、私なのだから。
艶のあるたっぷりとした金髪に、宝石にもたとえられる美しい緑色の瞳。
唇は、まるで紅を付けているかのような綺麗なピンク色だ。
日に焼けていない白い肌には染み一つないし、昨夜は十分睡眠を取ったから顔色も良い。貴族令嬢の嗜みとして化粧を施した顔には吹き出物など許さないし、パックだって欠かせない。
まだ十五歳という年ではあるが、この頃胸回りも成長し、スタイルにもメリハリが出てきた。
身長は、平均より少し高めで気にしてはいるが、それでも男性の自尊心を打ち砕くほど高いわけではない。十分ヒールが履ける範囲だ。
性格がキツいとは言われるが、それは高位の令嬢であれば皆そうだし、プライドがないよりよほど良いと思う。
そしてなんといっても、ベルトラン公爵家という、ローズブレイド王国でも一、二を争う名家の出身。当然、貴族教育だって完璧だ。
控えめに言っても、私以上に彼に相応しい女はいないと思う。
そう改めて結論づけ、これから会う人のことを考える。
――彼。アラン・ローズブレイド王子。
この国、ローズブレイド王国の第一王位継承者。
赤い瞳と黒い髪が特徴。文武両道、性格も穏やかで大人びていて、将来が期待される人物だ。
私はまだ社交界デビューをしていないので、彼と会うのは初めてだが、かなり顔立ちの整った美形だと聞いている。
今日はその王子と顔合わせ――いわゆるお見合いにやってきた。双方の合意があれば、そのまま婚約は成立。将来の国王と、公爵家の令嬢。互いの身分に相応しい、文句の付けようのない婚約だと思う。
父は気に入らなければ婚約などしなくても良いと言っていたが、眉目秀麗と名高い王子なら、私の相手に不足はない。美しい私と美しい王子の結婚。
王子と結婚したいと思っている他の令嬢たちにも自慢できるし、そんな美形なら私の横に立っても映えるだろう。断る理由はどこにもない。
――ふふ、せいぜい王子には私に夢中になってもらわないといけないわね。
この磨きに磨いた美貌があれば問題ないとは思うが、それでも気合いをいれないと。
王子との輝かしい未来を想像し、すっかりその気になった私は案内をしてくれている兵士の後ろを貴族令嬢らしく滑るように歩いた。
初めて訪れた城内をしっかり観察することも忘れない。
いずれは私もここに住むことになるのだから、内部構造は覚えておかなければ。
今、歩いているのは、一階の回廊。壁には全面に宗教画が描かれている。五百年ほど前に有名な画家が手がけたという天井画は今になっても色褪せることなく美しいままだ。劣化しないよう一年ごとに保存の魔法が掛けられているからなのだが、なるほど、確かに素晴らしい。
ギャラリーを見学する気分で長い回廊を抜け、次に階段を上る。内装が更に上質なものに変わった。三階のとある部屋の前まで私を案内した兵士は、そこで静かに頭を下げた。
「申し訳ありません。現在、アラン王子はウィルフレッド王子とお茶をしておられます。終わり次第お呼びいたしますので、こちらの控え室でしばらくの間お待ちいただけますでしょうか」
「はあ?」
信じられない言葉を聞き、つい、令嬢らしからぬ声が出た。
まさかここに来て、待たされることになるとは思わなかったのだ。
兵士の言うウィルフレッド王子とは、アラン王子の双子の弟。
明るく活発で、アラン王子とは全く雰囲気も性格も違うらしい。王位を継ぐことのない第二王子。
普通なら、仲が悪くても仕方ないところだが、ウィルフレッド王子とアラン王子は仲が良い兄弟として有名だった。特にウィルフレッド王子の方がアラン王子に懐いているらしい。二人が一緒にいることが多いというのはよく聞く話なので、お茶をしていること自体を不思議には思わなかったが、不快感は募った。
「人を呼びつけておいて、待たせるつもり? いくら王子とはいえ、失礼ではなくて?」
確かに約束の時間まではまだあるが、それでも普通、直前まで別の人物とお茶などしない。
それが、いかにも私に興味がないと言われているみたいで腹が立った。
てっきり大喜びで迎えられるに決まっていると思っていたので、より許せない。というか、お茶? 私が来ることが分かっていたくせにお茶をしていたというの? 信じられない。
今まで誰にも蔑ろにされたことのなかった私は、自分が待たされるという状況に、つい怒りを露わにしてしまった。
「感じ悪いわ。ベルトラン公爵家を馬鹿にしているのかしら。お父様にお話してもよくてよ」
「も、申し訳ありません。ですが決してそのようなことは……」
私の怒りを受け、困ったような顔をする兵士。その顔を見て、少しだけ冷静になった。
兵士に八つ当たりしても仕方ない。単なる一般兵の彼にはどうしようもできないのだから。
「……もういいわ。あなたは下がって。私はここで待っていればいいのよね?」
「は、はい!」
形式的に頭を下げ、兵士は逃げるように去って行った。それを白けた気持ちで見送る。
「嫌だわ……」
せっかくの良い気分が台無しだ。
仕方なく、案内された部屋の中に入る。控え室だと告げられた部屋には緋色の絨毯が敷かれ、壁際にいくつもの椅子が並べられていた。彫刻が施された白い暖炉の上には文字盤が金色の置き時計。年代物の皿やアンティークの人形。大輪の花が描かれた大きな壺には、生花が惜しみなく飾られている。
「はあ……」
近くの椅子に腰掛ける。
まさか、こんなところで待たされることになるとは思わなかった。
「この私を一人で放置するなんて信じられない」
王子に会ったら絶対に文句の一つも言わせてもらわなければ収まらない。
ベルトラン公爵家の一人娘を一体何だと思っているのか。
「――だから」
「ん?」
怒りのやりどころに困っていると、小さな声が聞こえて来た。ボソボソとした話し声。どうやら男の人の声のようだ。不思議に思った私は立ち上がると、声のした方向に向かった。
部屋の奥側にある扉。それが少しだけ開いている。
「……不用心ね」
誰かいるなら鍵を掛けておくべきだ。そう思いつつ、誰が話しているのだろうと気になってしまった私は、そうっと扉の隙間から中を窺った。はしたない真似をしている自覚はあったが、どうにも退屈だったのだ。
「あっ……」
声が漏れ出た。慌てて自分の口を押さえる。
中にいたのは、二人の男性だった。
二人とも非常に整った容姿をしている。赤い瞳と黒い髪という同じ色彩を持つ二人は、だけども醸し出す雰囲気がまるで正反対だった。
一人は穏やかで、口元に緩い笑みを浮かべている。もう一人は楽しんでいるというのが一目瞭然の分かりやすい笑顔。二人とも、金糸で縫い取りがされた仕立ての良い黒いロングジャケットを着ている。中にシャツやベストを着ていたが、どれも最高級品で、平民や下級貴族ではとてもではないが用意できないものばかりだった。首元で締められたタイの形はその人の身分を示す分かりやすいものだが、それは私の父や兄たちが結ぶものとよく似ていた。
赤目で黒髪、そして公爵位に並ぶタイの結い方。
間違いない。彼らは、この国の王子。第一王子アランと、第二王子のウィルフレッドだ。
――双子の王子がお茶をしている場所ってここだったの?
まさかこんなにすぐ近くで待機させられているとは思わなかった。
「……」
胸がどきどきする。穏やかな笑みを浮かべながら紅茶のカップを持つ王子の方をじっと見つめた。
――この方が、アラン王子。
私の、婚約者になる人。
つい、気になり、まじまじと観察してしまう。
赤みがかった黒髪がさらりと揺れる。伏せられた睫は長く、横顔が息を呑むほどに美しい。弟に向ける視線は柔らかく、仲が良いというのは本当だということが分かった。
――なんて、素敵なの。
ときめいて仕方ない。
アラン王子は見事に私の好みど真ん中をいく美形だった。
こんな人と婚約――ひいては結婚できるなんて、公爵家の娘としての生まれをこれほど嬉しく思ったことはない。
彼の向かい側の席に座る弟に視線を移す。さすが双子、よく似た顔立ちではあったが、こちらには全くときめかなかった。美形は美形なのだが、からっとした明るい美形とでも言おうか、とにかく私の好みとは違う。ウィルフレッド王子の裏のない笑顔に癒やされる者も多いだろうが、私はアラン王子のようなしっとりと艶のある笑顔の方が好きだった。
――婚約者が、アラン王子で良かったわ。
もし逆だったら、お父様に直訴して、婚約者を変えてもらわなければならないところだった。
父は私に甘いので、その場合でもお願いすれば快く頷いてくれるだろうが、最初から相手がアラン王子であったことは嬉しく思った。
自分の婚約者になる男性が、自分の好みであったことに気をよくした私は、先ほどまでの不機嫌をすっかり忘れてしまった、というかどうでもよくなった。アラン王子の美しい所作を眺めている方が大事だったのだ。
と、そこで自分がずっと覗き見をしていたことにようやく思い至る。
誰がいるのか気になって覗きはしたが、気づかれていないからといっていつまでも見ているのは失礼だろう。私も、せっかくの婚約者の印象を悪いものにはしたくない。
「……大人しく待っている方が良さそうね」
兵士もお茶会が終われば呼んでくれると言っていたし、これ以上覗くのは止めておこう。
二人から視線を逸らす。さて、まだ時間も掛かりそうだし、女官にでも頼んで私もお茶でも飲んでいようか。
そう思ったところで、お茶を飲んでいた弟――ウィルフレッド王子が口を開いた。
「で? 兄上。今日はこれから、あのリズ・ベルトランと会うんだって?」
「ああ、そうだよ」
「!!」
自分の名前が出て、思わず振り返ってしまった。私の名前を出したウィルフレッド王子が楽しそうな口調で言う。
「気をつけろよ? リズ・ベルトランは傲慢で気位だけは高い、我が儘お嬢様だからな。……ほんっとう、悪役令嬢という言葉がぴったり嵌まるご令嬢さ」
新連載始めてみました。
しばらく毎日更新しようと思いますのでよろしくお願いします。