三頁目
麗筆の左手を掴んでいたのは、茶色い髪の背の高い若い男だった。こんな都会にありながら金属鎧姿で、旅装のマントに身を包んでいた。
聖堂騎士だと言い当てられ、彼は青い目をハッと見張った。
その鎧の左胸には確かに聖堂の紋章が刻印されていたのだが、麗筆の位置からではそれが見えるはずもなく、しかもマント留めで隠れていたのだから。
「なんでオレを聖堂騎士だと?」
「ぼくまだ何も悪いことしてないです! 離してください〜!」
「まだ?」
「あっ……」
「ちょっと向こうで話そうか」
「えっ、あ、あの、えっと……」
自ら墓穴を掘ってしまい、顔面蒼白になる麗筆。
「もうっ! しょうがないんだから〜!」
見かねたDは飛び出して、聖堂騎士の腕をバチンと叩き落とした。
「あっ」
「逃げるよ!」
「えっ? あっ……」
「早くぅ!」
「待ちなさい!」
聖堂騎士の制止は無視して、Dは麗筆を引っ張って走り続けた。途中、麗筆が出っ張りに足を引っ掛けて転びそうになったのはご愛嬌だ。ふたりはどうにか彼を振り切って、店が立ち並ぶ他の通りまでやってきた。
「ふぅ、ふぅ……死ぬかと思いました……」
「ちょびっと走ったくらいでそんな」
「ぼくは死ぬんです。心臓が弱いので」
「その体に心臓なんてないじゃん!」
本物の麗筆の体は、今はDが使っている。ここにいる麗筆は、魔法で作り出した肉体ですらなく、ただ魔力の塊を練って人型にしただけの紛い物なのだ、死ぬわけがない。
「それはともかく、どうして聖堂騎士が王都にいるのやら……風向きが良くありませんねぇ」
「麗筆にとっては、でしょ? ねぇ、なんであのひとが聖堂騎士だってわかったの?」
「ふっ、ぼくほどになれば、魔力の練度と色を見れば聖堂騎士かそうでないかくらい判断できるのですよ」
「へ〜。でも、なんで聖堂騎士かそうじゃないかの二択なの? 職業とかじゃないの?」
当然といえば当然の疑問に対し、麗筆は遠い目をした。
「……聖堂騎士とは、色々あったんです。そう、色々と」
「どんだけ追いかけ回されてんの」
麗筆は無言で頭を振った。
やはり、ろくでもない遭遇だったようだ。
「とにかく、聖堂騎士はしつこいんです。ぼくたちは目を付けられてしまいましたからね……どうにかしなくては」
「目を付けられちゃったのは麗筆だけでしょ? どうするの? 本に戻っちゃうの?」
「悩みますねぇ〜。戻ったら、あのショコラがもう食べられなくなってしまいます。いちいち貴女と交代するのは面倒ですし、すぐに処分することになってしまったらと思うと新しい肉体を作り出すのはちょっと……」
麗筆はブツブツとひとり呟いている。
食べたり飲んだり睡眠したりと、生身の肉体は制限が大きい。麗筆の本体は長い時間と手間をかけてそういった部分を調整しているのだが、急拵えの肉体ではそうはいかないのだ。それであれば、魔力を練っただけのこのヒトガタの方が楽で良い。しかし、ヒトガタの状態では魔術の出力調整や仕上がりが粗くなってしまうという欠点もある。
「う〜〜〜ん」
「悩み過ぎじゃない? とりあえず、ただ見つかりにくくするだけなら、変装でもしたら?」
「なるほど! それは名案です」
麗筆は本当にそう思っているのかよくわからない顔で、ぽんと手を打った。
「ならばさっそく。この体なら、見た目の変化なんてちょちょいのちょいです」
痛みもありませんしね、と付け加えながら、麗筆はパチンと指を鳴らして姿を変え始めた。さほど背の高くないシルエットが、さらに縮んでいく。髪の色や服装を変えるだけだと思っていたDは驚いた。
変身を終えた麗筆が、閉じていた瞼を開く。
現れたるは闇夜を写し込んだかのような漆黒の瞳。
「ちょっと〜、冗談でしょう?」
「ふふふっ。貴女の姿をしていれば、いざというときに囮にして逃げられますからね〜」
「サイアクー」
Dはぷうっと頬を膨らませた。麗筆がにっこりと微笑む。
幸いにしてこの静かな変身を見ていた者は誰もいなかったらしく、騒ぎにはならなかった。
いつまでもこうしていても仕方がない。
Dは気を取り直してショッピングに戻ることにした。
瞳の色が違うだけの、双子のような美少女ふたり。ひとりでいたって目を惹くものが、連れ立って街を歩けば大注目である。観光シーズン真っ盛りのアウストラルを、道行く人々に見守られながらDと麗筆は歩き回った。
「ふ〜〜〜、満足満足ぅ!」
「……結局、いくつもいくつもお店を巡っただけで、何も買い物してないじゃないですか」
「い〜んだもん、それが楽しいんだから!」
「時間のムダです……」
ウィンドウショッピングが好きではない麗筆は不平たらたらである。噴水の縁へ腰掛け足を投げ出しているDを見る目は冷ややかだ。
「まぁまぁ。そんなに怒らないでよ〜。ほら、冷え冷えのジュースポップでも食べよ!」
Dの指差す先には、果汁を凍らせたものを売っている屋台があった。専用の容器を果汁で満たしそこに木で出来た棒を入れ、黒術で凍らせて「あっという間に出来上がり!」な、夏のお手軽オヤツである。
「ふぅん。ま、いいでしょう。何味にします?」
「どうしよっかな〜」
「ぼくのはリンゴ味にしてくださいね」
つまらない散策に付き合わされたのだから当然だとばかりに、Dにジュースポップをねだる麗筆。Dはポシェットからお財布を取り出して屋台に並んだ。
「おねーさん、リンゴ味ふたつちょ〜だい。あ、待って、やっぱりひとつは桃にする〜!」
屋台のお姉さんはお金を受け取ると、アイスボックスを開いてそこから二本取り出した。Dは笑顔でそれを受け取ると、麗筆のところまで戻り、ひょいとその顔先に突き出した。
「麗筆、あ〜ん!」
「…………」
「ほら、あ〜んは? ん〜〜、冷た〜〜い!」
ジュースポップを齧ってキュッと目をつぶるD。麗筆は仕方なく差し出されたものを小さな口で咥えた。
「んっ!」
途端に麗筆の眉がひそめられる。
「これ、貴女の桃味ですよ! わざとですね、D!」
「だあって〜、リンゴ味も食べたかったんだも〜ん。いいじゃん、麗筆も私の食べたでしょ? おあいこおあいこ!」
挑発的にリンゴ味のジュースポップを下から舐めあげて、Dはペロッと舌を出す。
「ダメです、もう一本買って返しなさい。ぼくのリンゴ味!」
「欲しかったら自分で買っておいで〜だ!」
「…………」
半眼になってむくれていた麗筆は、次の瞬間、桃味のジュースポップに大きな口で齧りついた。
「あっ」
シャクシャクごっくん。
桃味のジュースポップは秒で麗筆のお腹にしまわれたのだった。
「私の桃味〜〜〜!」





