一頁目
ざあっと風が渡る。
海が見える崖の上は今も昔も立ち入り禁止で、その素晴らしい見晴らしを味わえる者は誰もいなかった。丈の低い緑に埋もれるようにしてある白い大理石は、三つ。墓碑銘もなく、華美な装飾もなく、墓だと知らない者が見れば何か歴史的な碑か何かかと思うようなものだった。
そこへ両手いっぱいの白百合を抱えて歩いてくる青年がひとり。
物憂げな中性的な貌、少しくすんだ白のローブ。
白百合に負けぬ白さの髪を風が嬲るままに任せ、彼、麗筆は墓所まで歩んでいった。
「お師匠、おばあ様、……ブラン。お久しぶりです……」
そこに眠るのはいずれも麗筆に縁のある人物たちだ。麗筆を拾い魔術の手ほどきをした“大魔導”、麗筆を育てた養母にして黒術の大家である“黒衣の貴婦人”……そして、麗筆の娘ブラン。
いずれも、人間的な情緒や執着の薄い麗筆にとっては珍しく大切にしていた者たちだった。白百合を墓前に供え、痩身の魔術師はしばしの間瞑目した。
◇◆◇
「おっそ〜〜〜い!」
アウストラルの王都、その中心地にある最高級のホテルのロビーで少女はひとり足をバタつかせた。
落ち着いた待ち合いスペースに置いてあるソファはフカフカ、絨毯もテーブルもシャンデリアも、目に入るものすべてが高級品であるこの空間で癇癪を爆発させている彼女もまたスペシャルな存在だった。
長い真珠色の髪をハーフアップにし、大きな青いリボンを留めている。彼女の瞳も澄んだサファイア・ブルーで、靴もつやつや光る青のエナメル。青みがかった灰色のシフォンドレスの裾にはたっぷりとレースがあしらわれていて、膝丈のスカートからすらりと伸びた足は初霜のようなストッキングに覆われている。
お化粧をしていなくても白い肌に、薔薇色の頬と唇、幼いながらに美を宿した彼女の名前はディーヴル。Dという名で通っている美少女にして、本体は意思ある物品である呪文書なのだ。
Dはぷりぷり怒っていた。
麗筆が墓参りに行ったまま、なかなか帰って来ないためだ。
「まったくぅ、何してるのよぅ麗筆〜。もう三日になるのにぃ!」
そう、彼と別れて三時間ではない、三日だった。その間、Dはずっとこのホテルで待っている。待ち続けているのだ。
「こんなことなら、どこか遊びに行けばよかった……」
ため息をこぼしながらも、Dは新たにホテルに入ってくる人々の姿を横目でチェックしていく。その中に、見慣れた白髪があった。
「麗筆!」
Dはサッと立ち上がると、その背に向かって駆け出していた。勢いをつけたままで飛びついて、いつものようにふたり一緒に倒れ込むかと思いきや、その人物はどうにかこうにか踏みとどまった。
「何だ、お前は!」
「あれ〜? 麗筆、じゃない……?」
「…………!」
Dが抱きついた背中は意外に逞しく、振り向いた彼の瞳は深い紫水晶だった。その色はDにユーリを思い出させたが、それ以上に彼の困惑した表情は、彼女の探し人にそっくりだった。
「麗筆の顔してるのに、麗筆じゃない……なんで?」
「何を、言っているんだ……? その顔、もしかして君は、俺の妹、なのか……?」
頭の上にクエスチョンマークを浮かべたまま見つめ合うふたり。
その横にザッと音を立てて並んだのは、およそ七歳から十歳くらいの、九人の子どもたちだった。ぞろぞろと、揃いもそろって黒ずくめで、麗筆のそっくりさんと同じフード付きのマント姿だ。目深にフードを被っていて、顔はよく見えない。
「どういうこと、エペ。彼女は新しい妹なの? 聞いてないわよ」
「アルク……いや、俺にもわからない」
「わからないってどういうことよ!」
アルクと呼ばれた少女が叫ぶ。
「こんなにソックリなのに! 関係ないわけないじゃないの!」
ビシッと音が鳴るんじゃないかというくらいの勢いで、アルクはDに向かって人差し指を突きつけた。他の八人の黒マントの子どもたちも、フードの隙間からDをじっと見つめていた。麗筆のそっくりさん、もといエペという名の青年は、そっとアルクの手を下ろさせた。
「行儀が悪いぞ、アルク。真実はどうあれ、俺たちは初対面だし、ここは人目がある。騒ぎを起こすな」
「……ごめんなさい」
エペに諭され、アルクは意外にも素直に謝った。Dの前にぴょこんと黒いフードの頭が下がる。
「ううん、気にしないで~。私も、人違いして抱きついてごめんなさい。でも、本当によく似てる」
「……そんなに似ているのか?」
「うん、そっくりだよ。目の色と、髪型がちょっと違うくらい。あ、あと、麗筆の方がひょろひょろしてる」
「ひょろひょろ……」
Dの言葉にエペは苦笑した。
(笑うと、ちょっと違うんだぁ)
Dはトキメキにちょっぴり頬を染めつつ、エペに手を差し出した。エペは頷き、握手に応えた。その手も、麗筆のものとは違い、武術でもやっているのかしっかりとしていて硬かった。
「私、ディーヴル。Dちゃんって呼んでね。貴方は?」
「エペだ。エペ・オブスキュリテ。……王都は初めてか?」
「うん。まだどこも見て回ってないの」
「そうか。俺を誰かと間違えていたようだが、連れか? ふたりでここに?」
「うん。麗筆……レイヒっていう、貴方と同じ年くらいの魔導師と一緒に来たの。麗筆はお墓参りに行ってて、私はここでお留守番。もう三日も帰ってこないの!」
「それは、心配だな……」
「大丈夫、麗筆は強いから」
顎に手を当てて考え込むエペに、Dはニッコリ笑って見せる。
それにしても、エペ・オブスキュリテ……”闇の剣”とはまた、いかにも偽名臭い名前である。
(もしかして、自分でつけたのかなぁ? イケメンだけど、ちょっぴり残念かもね)
Dの思いをよそに、ダサい偽名の青年、エペはかしこまった顔をして言った。
「もしも困ったことがあったら、城を訪ねてくると良い。力になろう。俺たち、”魔術師のイメージ向上委員会”が!」
「ダサッ……」
今度こそ耐えられずに本音をこぼしてしまうDであった。





