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八頁目

 馬車の外側はある程度片付いていた。まだ(・・)地面に倒れ伏しているのは生きている者だけだ。麗筆はそこに人狼を見留めてくすりと微笑んだ。


「おや、生きていましたか。残念。もし死んでいたらその体を標本として持って帰ろうと思っていましたのに」

「っ!!」


 その言葉に体を跳ね上げた人狼は、一瞬にして体勢を整えながら足のバネを活かして麗筆に襲いかかった。鋭い爪が細い首を狙う。だが、パリンと硝子が割れるような硬質な音がして、その一撃は弾かれた。己のこめた力が直に跳ね返ってきて、さしもの彼の豪腕も痺れる。


「っ!?」

「おお、怖い怖い。まだそんな力が残っていたなんて……。少し、動けなくさせてもらいますよ」


 人狼が飛び退ろうとしたときにはすでに遅かった。

 体が糊で固められたようにピクリとも動かない。懸命にもがこうとするも体がそれに従わない。混乱。焦燥。恐怖。ぶわっと毛穴が開いて汗が滴り落ちていく。


「うぐぉ……っ! き、さま……っ!」

「それにしても、生きたシン族をこんな間近で見られるとは! ぼくが見つけるときには大体骨になっていて軟部組織が残ってないことが多いのですよねぇ。ああ、この爪、すごいです」


 麗筆はゆっくりと人狼に近づくと、恍惚の笑みを浮かべてそのゴツい腕に頬擦りをした。シン族の男は動揺したが動けない。どんなに力を込めても、それで動かすことができるのは目玉と舌くらいのものだった。このままここで狂った女に己の体を好き勝手されるのをじっと眺めるしかなかったのだ。


「ふふふ、やはり思った通りです。これも進化によるものですね、イヌ科の前肢と違って爪が収納できるようになっています。細かい作業をしやすいようにでしょうか。腹筋のつき方は他のヒト族とそう変わりませんね」

「おい、よせ」

「貴方、体長は何フィートあるんです? ……それにしても獣臭いですねぇ、ちゃんとお風呂に入っていますか?」

「うるせぇ!」


 腹筋を撫で回され、体毛に指を埋められ、臭いのことまで言及されて人狼はさすがに赤面した。挑発的な表情で見上げてくるこの小さな生き物は、他種族であるとはいえ、そして簡単に己の命を奪えるほどに強大な脅威とはいえ、やはり異性なのだ。


 自分の腰ほどまでしかない少女だ。さらりと流れる白い髪、陶器のような肌、潤んだ黒瞳。花のような甘い匂いが嗅覚を刺激する。少女は魔術で浮かんでおり、彼の顔を覗き込んだり頬を撫でたりと挑発的に振る舞う。そして、胸の下あたりから彼を見上げ、薔薇色の唇をほころばせた。


「性器も確かめてみて良いですか?」

「ブッ!」


 なんてことを言いやがるのだと人狼は心中で吠えた。


「いいわけねぇだろ、こんなとこで!」

「無理に口を動かして痛くないですか? まぁ、だめだと言うのなら無理強いはしません。それとも、ここでじゃなければ良いのですか?」

「ぐぅ……」


  人狼が返事をする前に、麗筆は彼の首許に光る笛を見つけた。ふわりと浮き上がってそれを手に取ると、小指ほどの太さと大きさのそれは銀で出来ていた。麗筆にはこれが何か見当がついていた。人間の耳には聞こえない音域で合図を出し、遠くの仲間と連絡を取るためにある笛だ。


「へぇ、良いものをお持ちですね。これはいただいておきます」

「なにっ!? おい、返せ!」


 浮かび上がった麗筆はどこかに腰掛けたような格好のまま、真っ直ぐに人狼の目を見つめた。そしてその藍色の体毛に指を埋めると、寛大にも捨てられていた仔犬を拾ってやるというような笑みを浮かべてこう言った。


「貴方はなかなか使えそうです。気に入りました、ここで殺すのはやめておきましょう」

「この……!」

「名前は? なんと言うんです?」

「…………名は、捨てた」

「ふむ。誇り高いシン族が名を捨てるとは、よほどのことがあったのでしょうね。良いでしょう、貴方に新しい名を授けます。ぼくの犬として、存分に働いてもらいますよ」

「はっ、冗談じゃねぇぞ! 誰が貴様なん……むぐ!」

「口を慎みなさい。ご主人様に向かってなんです、その態度は」


 黒術によって再び口を塞がれた人狼は、それでも何とかこの無礼な小娘に一撃加えてやろうと怒りのパワーで魔術の拘束に抗った。ミチミチと全身の筋肉が嫌な音を立てる。それを知ってか知らずか、白髪の少女――麗筆は優越感に満ちた表情を崩すことなく言葉を続けた。


「いいですか、貴方の名はこれからポチ、ポチです。ふふふ、こんな場所で追い剥ぎの一味なんぞに身をやつしている貴方には相応しい名でしょう? さて、これから契約を結びましょう。シン族である貴方は、舐めた血の持ち主がどこにいても見失わないという能力を持っているはずです。ぼくの血を舐めなさい」

「グルルルゥ!」

「……反抗的ですね。痛い目にあいたいのですか?」

「チッ!」


 人狼、改めポチは器用に舌打ちした。麗筆はため息を吐き、きゅっと寄せていた眉の力を抜いた。


「血と言いましても、ほんのちょっぴりで良いんです。でも、指先は傷つけたくありませんし……」

『麗筆、もしかして怖いの~?』

「うるさいですよ、D!」

『きひひひ』

「?」


 Dの言葉が聞こえない人狼は不思議そうに麗筆を見た。説明するのを億劫に思った麗筆は左手を小さく振った。


「いえ、なんでもありません。こちらの話です。……血を採るなら耳が良いでしょう。その爪か牙で傷をつけて、ぼくの血をお舐めなさい」

「…………」


 髪の毛を押さえ、耳を差し出す少女の姿に、動揺していないと言えば嘘になる。いきなり現れ、圧倒的な魔術によって抑え込まれた。生意気な言動と馬鹿にした態度は業腹だ。だが、小さなその身から溢れ出す(よう)()は彼らシン族にとって心地良く、彼女の黒い瞳は彼らが崇める月と同じ(いん)()を帯びている。そして何より彼女は美しかったのだ。目を閉じてじっと大人しくしている少女はまるで壊れもののように繊細な美を宿している。今、その女が、故郷を追われ名を捨てたことを承知で彼に求婚(・ ・)している……。


「どうしました、怖いのですか?」

「……わかった」

「なら、早くなさい」


 少女がパッと目を見開いて彼を見た。その口許には冷笑が浮かんでいる。この挑発的な態度さえなければ可愛げもあるのにと思いつつ、人狼は浮遊する少女を引き寄せて己の腕に抱いた。人間の少女はその言葉とは裏腹に、身を固くしている。


「いきなり噛みつきやしない」

「……殊勝な心掛けです」

「怖いのか?」

「いいえ!」

「お前、名前は?」

「……麗筆」

「火山地帯の出か」

「……知っているのですか?」

「まぁな。字は?」

「筆の手蹟が美しいという意味で、レイヒツです」

「そうか。……じゃあ、噛むぞ」

「……はい」


 痛いのが苦手なのか、顎に手をかけると閉じられた白い睫毛が震えた。人狼はギラギラ光る鋭い歯列の隙間から、赤い舌を出して少女の唇へとねじ込んだ。見開かれた闇色の瞳と視線が合わさる。


「っ!? な、なにを!」

「お前が痛いのが嫌そうだったからだろう。別に体液なら何でも構わん、血じゃなくたっていい。今ので(つが)いの契りは完了した」

「なん……ですって……」

「聞こえなかったのか。これで(オレ)とお前は(つがい)だ」

「ばかなことを! どうしてぼくと貴方が番うことになるんですか! 主従の契りを交わすと言ったのです、ぼくは!」


 麗筆は暴れて人狼の腕から抜け出した。そのまま彼の手の届かない辺りまで浮かび上がる。この体になってまだ慣れず、表情筋のコントロールが甘いのか麗筆は涙目だ。感情的に泣き言をぶつける様はまるで年齢相応の少女だった。


「なんでって、お前は女だろう。だったら番で問題ないはずだ。脅されて成した結婚だが、心配するな、ちゃんと守ってやる。(オレ)は約束を違えない」

「なっ……違います、誤解です! この体は違うんです!」

『ぷくくくっ、犬のお嫁さん! あははは、お腹痛い!』

「くっ……もういいです! 用事があるときは呼びますから、この国を勝手に出ないように。あと、馬車の中の女性を町まで送り届けなさい。死んでいない強盗は殺すなりどこかへ突き出すなりなさいな、ぼくはもう行きますから」

「おい、どこ行くんだ麗筆!」

「頼みましたよ!」


 人狼は飛び去っていく麗筆をしばらく見送っていたが、辺りの惨状に目を落とすとため息を吐いた。


「気楽に言ってくれる。こっちはさっきまでその馬車強盗の仲間だったんだぞ」


 人狼は息のある賊を荷馬車に押し込み、自分は令嬢の乗った車を牽いて町まで行った。そして、執事たちからの謝礼を固辞して、賊を突き出した報酬だけを手に麗筆を追ったのだった。


 ちなみに王都まで宮廷黒術士の登録をしに行く予定だったアイリスガル・ガルムは、麗筆に助けられたことで自身も位階を高めるべく探索者(シーカー)を目指すことになるのだが……それはまた別の話だ。

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Dちゃんが出演しているコラボです、こちらもどうぞよろしくお願いいたします!
この作品だけで独立して読めます。

『Trip quest to the fairytale world』
― 新着の感想 ―
[良い点] 主従関係を結んだと思いきや 番いの契りを結ぶとはこれは予想外の展開! [一言] いつも冷静な麗筆が動揺してて、面白かったです♪
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