七頁目
『ひとおおかみ~? そんなのいたっけ?』
「ええ、いたんです。月に侍うシン族である彼らは、普段なかなか人前に姿を現しません。人間と交わることがあっても、彼らの多くは結局、インキュナブラ大陸の北東部に引っ込んでしまうのです」
『ふ~ん』
「彼らは独特な感性、そして文化を持っています。彼らを研究したいのですが、ぼく、徹底的に避けられてしまっていて……。でも、死んでいるのなら、せっかくなので標本に欲しいんです」
『どうぞどうぞ。あ、でも、自分でやってくださいよね~』
「そうします。さて……とりあえず、先に事後処理をしませんとねぇ?」
麗筆は両手を複雑に動かした。流れるように滑らかに、軌跡が円を描いたかと思えば、そこに小さなゲートが開いた。
「さぁ、出ていらっしゃい。ごはんの時間ですよ~。死んでいる生き物の肉は食べても良いですが、踊り食いはやめてくださいね。お行儀よく、食べこぼさないでくださいよ」
のたり、のたりと這い出てきたのは透明な粘液に包まれた軟体状のナニカだった。ソレはねちゃねちゃと耳障りな湿った音を立てながら、よたよたと新鮮な肉を求めて触手を伸ばしていた。全体的に灰色がかった土色をしており、つるんとした凹凸の少ない体は平べったい団子状だ。その下から出ている、蛸のような足は何本あるかも分からない。その人間大のナニカには目があるようには見えなかったが、輪切りになったダグの近くまで行くと、不器用に触手を動かして食事を始めた。
『事後処理ってそれ?』
「いえ、まだ他にも。馬車にいる生存者を何とかして差し上げませんと。町まで乗せていってほしいなら尚更です」
『そっかぁ~、色々と面倒なんだね~』
「だからぼくは嫌だったんですよ。貴女はそういうの、しないでしょう。ぼくだって得意じゃないですのに……」
麗筆は少女の姿でぶちぶち不平を言った。背中の呪文書の言葉は他の誰にも聞こえない。だから彼女はひとりで喋っているように見えた。
「はぁ、まったく馬車強盗だなんて。おまけに乗っていたのが若い女性だということで、寄ってたかって乱暴しようとしていたようです。……殺さないにしても去勢しておいた方が良いでしょうか。それともやはり、あと腐れなく息の根を止めておきましょうか?」
『私は別に~、その子が犯られてるとこ見てても良かったんだけどな~。悪漢たちに無理やりあんなことやこんなこと!』
「そんなの、ぼくが嫌ですよ!」
◇ ◆ ◇
麗筆は倒れている男たちに足が当たらないギリギリを浮かびながら、馬を失った馬車へと近づいていった。豪華な車は楽に四人が腰掛けられる大きなもので、詰めれば六人は座れそうだ。麗筆が右手をかざし、触れもせずに扉を開くと、中には少女を抱えた壮年の男性使用人の姿があった。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「はっ……強盗は? お嬢さんはいったい……」
呆気に取られたような表情の男性使用人はおそらく執事だろうと麗筆は推測した。顔立ち、物腰、着ている物すべてが上等である、年齢から見ても下級使用人ではありえない。侍女を連れていないということは長旅の予定ではなさそうだった。
それよりも気になるのは血の匂いだ。ぐったりとして焦点の合わない目をしている、まだ幼さを残した若い女性はドレスの前を引き裂かれて眩い半裸をさらけ出している。
『ちっちゃいけどキレイなおっぱいだね~!』
(お黙りなさい!)
『きっひひひ!』
麗筆は顔が引き攣るのを抑えながら心の中でDを叱りつけた。改めて見ると、彼女の白い肌にこぼれるのは黒髪ばかりで朱は見当たらない。であればと思って執事を観察すれば、分かり辛いが黒服の胸の辺りが濡れていた。
「しゃべらないでください、肺に穴が開いているのでしょう? どこへ行くつもりだったのかは知りませんが、最寄りの町へとお送りしますよ。……いさ、【鎮痛】【治癒】」
「おお……」
実際には執事の受けている傷は深く、殺菌したり血管を繋ぎ合わせたりと面倒な処置があったのだが、生憎と麗筆はそういった専門の療術士が唱える祈りの言葉を知らなかった。無詠唱で必要な術を導きつつ、普通の術士を装うために適当な‟力ある言葉”を口にして誤魔化したのだが、どうやらこの執事はそういった面に明るくなかったようで麗筆の手際に素直に感心しているようだった。
「助かります。さぞや名のある探索者殿なのでしょうね。お連れの方は外に?」
「いいえ、それほどでも。さあ、お嬢様の方も診せてください」
「はい」
問いの後半はあえて無視し、麗筆は執事を黙らせた。【透視】で見てみても、軽い擦過傷以外に出血などは見当たらない。軽く正気を失っているのも精神的なショックからのようだ。麗筆は痛々しいドレスの破れに手を伸ばした。
「失礼、少し触れますよ」
「ひっ! いや、いやぁっ!」
「お、お嬢様……!」
「……【静心】。落ち着いて、もう大丈夫ですから。……ね? ぼくは味方ですよ。さぁ、動かないでください、そのドレスを直して差し上げます」
麗筆が触れても、もう彼女は嫌がりはしなかった。白い肌を覆う深い青と黒のドレス。その引き裂かれた端と端を麗筆は黒術を用いて丹念に繋ぎ合わせ、仮止めしていく。その正確な指先はあっという間に破れを補修し、見かけだけは元のドレスの姿を取り戻すことができた。
「一応【固定】はかけておきましたから、粗雑に扱わなければ明日の朝までは大丈夫でしょう。でも、できれば早く着替えた方が良いと思いますよ」
「あ……あぁ……!」
「お嬢様に代わりまして、篤く感謝を申し上げます。助けていただき、また、こうしてお気遣いを頂戴いたしまして、誠にありがとう存じます。つきましては、でき得る限りの御礼と心尽くしの歓迎をいたしたく。どうか、私どもと一緒にまずは別宅までお出でいただけませんでしょうか。
私はエリック・ムーブと申します。こちらのガルム家のアイお嬢様のお供で王都まで参るところでございました」
「……そうですね、急な話ですから、少し考えさせてください。ええと、私の名前は……」
麗筆は言葉に詰まり、Dに声なき言葉で話しかけた。
(D、どう名乗りましょうか。考えていませんでしたよ)
『いつも通りの挨拶でいいんじゃない? 任せるよ~』
(仕方がないですねぇ、もう)
「私の名前はディーヴルと申します。どうぞ、Dとお呼びください。もしくは麗筆と』
「はい、D・レイヒ様でございますね」
「……とにかく町へ向かいましょう。馬車の準備が整うまで、どうかお二人ともここで待っていてください」
麗筆の名はこちら側の人間には発音し辛い。いつものことだった。思わず訂正しそうになるのを飲み込んで、麗筆は引き下がった。まだ色々とやらなければならないことがあるのだ。彼らの馬は死んでしまったし、それにシン族の男の死体も回収しなくてはいけない。お嬢様と執事を馬車に残して、麗筆はひとり外へと出ていった。





