六十一頁目
「きゃあああああっ!」
「D!」
Dの喉から絹を裂くような悲鳴が迸る。
膝から崩れ落ちたDを人狼が支えた。
【障壁】は張っていたというのに、それを掻き消してDの体に突き刺さったということは、この鏃はあの“枷”と同じ金属でできているということだ。
(やってくれたわね……!)
まさかほとんど回収の見込みのない鏃にまで隕鉄を使ってくるとは。先程までのあの不恰好な動きは、この鏃を貫通させずにDの体内に残すための射法だったのだろう。
(よういしゅーとーな男ってキラ〜イ! お金の使い方を間違ってる男も! こんなのより、もっと、甘いお菓子とかレースのリボンに使いなさいよね!)
自分の詰めの甘さを棚上げにしてDは心の中でユーリとガイウスを詰った。膝から崩れ落ちたDを人狼が支える。さらに射掛けられた矢はすべて彼が腕で打ち払った。
「ここは危険だ、早く離れるぞ、D」
「ううん、それよりもコレ抜いて……!」
「し、しかし」
「もう!」
躊躇う人狼。Dは左肩に突き立った矢に手をやり、自分で無理やり引き抜いた。
「あううぅっ!」
「D……!」
Dの額から脂汗がどっと噴き出した。鮮血がドレスを染めていく。痛みに耐える悲鳴がまるで啜り泣きのように、真珠粒のような歯の隙間から漏れ出た。
「せっかくの可愛いドレスだったのに……! 気に入ってたのに! 麗筆に見せるんだったのに! もう、絶対、許せない!」
爆発的な冷気の奔流が人狼に襲いかかる。Dの瞳はまたも怒りで暗く黒い暗青に濁っていた。
「おい、落ち着け」
「あいつら、皆、みんな殺してやるっ!」
「やめろ。ここには巻き込まれただけの人間もいるんだぞ」
Dの手に、人狼が大きな掌を重ねた。Dの黒い瞳が射抜くように鋭く見つめるのを、人狼は大海のような穏やかな目で受け止めた。その顔の藍色の毛には霜がついている。
それを見留めて、Dはようやく冷静さを取り戻した。
「……ごめんなさい」
「構わん。大事なものを壊されたら、誰だって怒りたくなるだろう。それよりもその傷の方が心配だ。それに、人間たちが増えたぞ、あの制服は衛士だろう」
「ホントだ! じゃあ急がなくっちゃね。……殺しはしないケド、その分、死にたくなるくらいの悪夢でも見てもらおっかなぁ〜!」
血の気のなくなった白い顔で、美少女はその美しさにそぐわぬニタリとした笑みを浮かべた。
◇◆◇
ガイウスたちはユーリの私兵と言えども、かつては王立軍に属していた選り抜きの兵士であり、その練度は現役の軍人を凌ぐ。
多勢に無勢でありながらも致命的な一撃を食らうことなく、敵の盾や建物の壁を巧みに利用し、斬りつけ、殴り、蹴飛ばし、同士討ちさせて逆に探索者たちの数を減らしていった。
あと少しで標的のいる場所へ手が届こうかという時、王都の衛士らの吹き鳴らす警笛の音が辺りに響き渡った。
「……急げ!」
「はっ!」
ガイウスの号令の下、男たちが探索者を蹴散らしつつ梯子を上り始める。
だが、そこへ歌うように不思議な、少女の声が聞こえてきた。
「教えて 教えて 夜はどうして暗いの?
それは 夜の女王が ヴェールで覆ってしまうから」
「この詠唱……これは“操作”だ、耳を塞げ!」
ガイウスが叫ぶ。
部下はすぐに彼に従い、探索者たちはどうして良いものか戸惑い、指示に従う者もいれば逃げようとする者もいた。術者を探そうとする者、この隙にガイウスたちを攻撃しようとする者、様々だ。
精神操作の術は、耳から入って心を操る。逆に聞きさえしなければ効果を及ぼすことはない。詠唱を聞いただけでそれが攻撃魔術なのか精神操作なのかを言い当てるのは、魔術に精通した者ならそう難しくはない。
だが、耳を塞いでもなお聞こえてくる声にガイウスは困惑した。
「お眠り お眠り 女王の腕で
女王は命の支配者 魂の蒐集者
お前たちは皆 女王のものよ!
さあさあ お前の内側を覗いてご覧
お前の怖いものは何?
夢に巣食うお前の恐れに むしゃむしゃバリバリ喰われてしまえ!
いさ、【悪夢顕現】!」
少女がくるりと円を描いて舞うと、ガイウスの目の前が突然闇に覆われた。
「っ!?」
視界を奪われたか、と剣を握り直そうとするガイウスだったが、何故か剣が無い。予備の短剣を引き抜こうとするも、それもまた無かった。
「馬鹿なっ!」
視界が利かない上に武器まで失うとは!
ガイウスは慌てて全身を手で確かめるが、暗器すらすべて失われていた。肚の底が冷えていく。ガイウスは荒くなる息を鎮めようと深く息を吸った。
『耳を塞いだくらいで私の声を邪魔することなんて出来ないんだよ? きっひひひ!』
「貴様っ!」
いきなり耳に息を吹きかけられ、ガイウスは肘を構えて後ろを振り向く。しかし少女には当たらない。きゃはははっ、と遠くの方で笑い声が聞こえた。
「くっ……!」
目を凝らせど視界は闇のままだ。ガイウスはふっ、と息を吐き、もう一度構えた。目で見るだけが相手を捉えることではない。ガイウスは目を閉じ、集中した。
『ぷ〜っ! 私は貴方の魂に直接話しかけてるんだよ?』
「そこだっ!」
今度は反対側の耳に囁やき声。
ガイウスは左後方へ向き直ると、拳と回し蹴りを叩き込んだ。
『きひひひっ、はっずれ〜! ムダ、ムダ、ムダよ、お馬鹿さぁん。魂に話しかけてるって言ったでしょお〜〜?』
「…………」
『んふふっ。ガイウス、貴方の怖いものって砂なのね〜? そう、昔、流砂にハマりかけたの。へぇ〜〜〜』
ねっとりとした声が舐めるように耳を這う。
いや、本当に舐められていたのかもしれない。
ガイウスの背筋に痺れるような悪寒が走った。
「な、ぜ……」
ようやく絞り出した声が、いつもの自分の声とは違うことにガイウスは愕然とした。
「ど、どういう事だっ!?」
いつの間にか視界が元に戻っている。見回せばそこは暗い夜の砂漠だ。砂を踏みしめた足も振り回した手も縮み、鏡があれば八つのときの自分の顔に出会っただろう。
「嘘だ……! こんな、馬鹿な……あっ!」
思わず後ずさりした足が砂に埋もれガイウスは小さく叫んだ。一瞬のうちに腰まで沈み込む。
「あっ、あっ……嫌だっ、嫌だぁっ! 父さん! 助けて、父さん!」
日の沈みきった砂漠の砂はまるで水のように冷え切っている。自分の体の重みで徐々に沈んでいくのを、泳ぐようにして手を伸ばす。その袖に、靴に、腰に巻き直した日除けの布に、細かな砂が入り込んで、どんどん、どんどん重くなっていく。
「助けて……死にたくない……死にたくない! 誰か! 父さん、兄さん! やだっ、ゲホッ! や……!」
目に、口に、もがけばもがくほど、砂の飛沫が入り込んで痛い。苦しい。為すすべも無くガイウスは砂の渦に飲み込まれていった。
『ごちそうさま』





