六頁目
ザンスは苛立ち紛れに大きく舌打ちをした。慣れない街道での馬車強盗の首尾が良くないのだ。普段は町で花代を徴収したりスリやかっぱらいからの上がりをまとめるのが仕事だというのに、こんな場所で何時間も待ち伏せさせられるとは。おまけに部下が反乱を起こすし、変なガキまで首を突っ込んできた。
「おい、よく狙え! この下手くそ!」
「兄ぃ、あいつぁなんか、やべぇよ。おかしいんだ。浮いてるし。あのガキ術士だぜ絶対」
「チッ」
彼らの頭上二メートルほどに浮くのはまだ幼い少女だった。長い銀髪の、人形みたいに可愛い顔をして、さっきから面白い見世物でもあるかのようにこっちを窺っている。残念ながら、腕が立つからと引き入れた獣人のウルフのせいでご令嬢の輪姦ショーは中止だ。
(むしろお嬢ちゃん自身がショーの目玉になってくれてもいいんだぜ!)
下品な野次を心の中で飛ばしつつ、人狼と空中の少女と、両方を見比べてザンスは少女を排除することに決めた。
「目障りだな、とっとと追い払え! それか網でも引っ掛けて引き摺り下ろしてやれ。上手くいったらソイツは好きにしていいぞ」
「マジか。よっしゃあ!」
ダグが短弓を下ろして荷馬車へと投網を取りに戻ったとき、急に雨が降り出した。いや、雨ではない、鋭い氷の棘がバラバラと、密度と速度を増しつつ辺り一体に降り注ぐ。
「こなくそ! どうなってやがる!」
「ぐぉぶ……!」
「ぎっ! くそ、いてぇ!」
ザンスは頭を庇いつつ、長剣を握った腕をがむしゃらに振り回して落ちてくる氷柱を砕いた。どれも致命的なダメージになるものではないが、当たり所が悪かったか動けなくなっている者もいた。
(チクショウ! いや待て、ウルフにも当たってるだと……あのガキ、アイツの味方じゃねぇのかよ!)
人狼どころか、彼が守ろうとしている馬車にまで氷柱が降りそそぎ、天井を突き破って被害を与えている。強盗に襲われている馬車を助けに来たお人好しかと思えば、また違うようだ。ザンスはダグに投網を寄越すように言った。
「きゃはははっ! 降れ降れ氷柱~!」
「これでもくらえっ!」
歌うように笑いながら両手を天に捧げる少女に、ザンスは投網をぶち当てた。バサッと広がり絡みつく網にDが慌てたような悲鳴を上げる。
「きゃっ、ナニコレ! やだっ、落っこちちゃう、麗筆!」
「おらっ、とっとと地べたにキスしろ!」
意外にも空中で粘る少女を、ザンスは腰を落として引っ張った。
「きゃあああっ!」
恐怖に身をすくませ、目をぎゅっと瞑るD。両の手は祈るように胸の前で組み合わされている。それでも彼女は信じていた。麗筆の、相棒の助けを。
『まったく、仕方がありませんね』
(麗筆!)
まさに地面に叩きつけられそうな瞬間、少女の体がふわっと浮き上がった。投網が細切れになって弾け飛ぶ。
「……ここからは、ぼくの手番、ですよ」
打って変わって傲慢な笑みを口の端に刻んだ少女がそこにはいた。麗筆はゆったりとした口調でそう宣言すると、顔の真横で指をパチンと鳴らした。
「な、んだ……?」
咄嗟に身構えたザンスだったが、何も起こらない。辺りを見回してみても特に変わったところはなく、人狼もじきに片がつきそうだった。ザンスが宙に浮く少女に向き直ると、ちょうどダグが掴みかかろうとしているところだった。
「お、脅かしやがってぇ。おい、ガキ」
「待て、ダグ!」
ザンスが制止するよりも先に、ダグの体が輪切りになって落ちた。ずるりべしゃりと湿った音を立てる肉。生温い血飛沫がザンスの頬にかかる。
「は……、な? お……おげぇええええっ!」
目の前で幾つもの肉塊になってしまった仲間の姿に、遅れて鼻を刺すその酷い臭いにザンスはえづきを抑えられなかった。膝から頽れひとしきり嘔吐するその脳裏には、ダグの最期の姿がこびりついていた。そう、髪の毛が張り付いたままの頭蓋がぱっかりと口を開いて、そこから活きの良いピンク色の脳みそが丸見えになっていた。落とされた首の断面からは体を支える中心の大きな骨と血管と肉々しい筋肉の色が見え、それが下の輪切りへ行くと内臓が大部分を占めるようになる。柔らかい腸は体が地面に落ちるより先に輪切りの枠から抜け落ち別々に着地していた。べちゃべちゃと土を叩くのは血と臓物。そこにザンスの胃の内容物が加わったところでそれが何だと言うのだろう。
「うげっ、何だこりゃ!」
「こいつの仕業かっ!?」
「ば……よせ!」
さらに少女へと手を伸ばす仲間たち。ザンスの制止は間に合わなかった。つむじ風が巻き起こり、舞い上げられた木の葉が刻まれる。元より倒れていた者、膝をついていた者を除いて全員が見えない刃に引き裂かれ、呻き声を上げることとなった。くすくすという楽しげな含み笑いが残酷に響く。顔を上げられないでいるザンスの視界に、青く光るエナメルの靴が入ってきて立ち止まった。
◇ ◆ ◇
麗筆をぼんやりと見上げてくる中年の男の瞳は濁っていた。その途方に暮れたような表情に憐れみを覚えないこともなかったが、容赦してやる理由もなかった。
「さようなら」
微笑みを浮かべた麗筆は右手を賊の方へ差し出し、彼の前で指を鳴らす。今度はすぐさま効果が表れ、男は全身を真っ赤な炎に包まれた。
「ひぎっぎぃいいいいああぁああぁっ!! 熱い! あづいあつあぁあ!」
ザンスは痛みと苦しみに失禁しながら身を捩り地べたを転がった。まるで日なたに放り出されたミミズのように体をくねらせ、泣き叫んだ。肉と脂の焼ける香ばしい匂いにはしかし、血抜きをしていない獣臭さが若干混じっていた。
常人にあっては、この香りに食欲を刺激されてしまい倫理観から吐き気を催す者もあるだろうが、麗筆はそんな感性を持ち合わせてはいなかった。だが、普段から肉食をしない彼は逆にこの臭いに閉口したらしい。眉間にしわを寄せる可愛らしい顔に、失敗したと書いてある。
『あ~あ~、可哀想に。私だったらせめて眠るように死なせてあげるのに』
「なにを馬鹿なことを。なにもわからないまま死ぬよりも、ちゃんと死を自覚して最期を迎える方が良いに決まっています」
『そんなの麗筆の傲慢だよ~』
「失礼な……。まぁいいでしょう、あの火が自然に消えたとき、彼がまだ生きていたら優しく命を奪ってあげます。それでいいですか? そんなことより。ぼくは、人狼が気になるのですよ」
絹糸の髪に漆黒の瞳をした美少女は熱っぽく囁いた。





